香草

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「水たまりに映る空」

午前中の雨が嘘かのように午後はカラッと晴れた。
なんとも都合の悪いことに5時間目に体育がある。
雨上がりの炎天下で体育なんてしたらぶっ倒れてしまうだろう。俺は今日が命日と悟った。すると横から暑苦しい太陽のような奴が一人、ヌッと現れた。
「いやあ!晴れた晴れた!よかったなあ若人よ!」
「全然嬉しくないけどね」
若人に突っ込むべきか、嬉しくない天気を讃えてることに突っ込むべきか迷って後者を選んだ。しかし前者の方が良かったかもしれない。なぜならそいつは俺が指導するべき学生だからだ。
教育実習の一環でこの学校に赴任してきておよそ半年。元来運動が得意でプロを目指していたこともあり、大学ではスポーツ推薦で入学した。学士課程の単位取得の一つに教員免許の課程があったから、せっかくだし教員免許もついでに取っておこうとプログラムに参加したのが運の尽き。
教育実習は想像していたよりもハードで、高校生の頃と比べるとやはり体力は落ちていた。
あんなに好きだった体育の授業が段々憂鬱になっていった。

「先生がそんなんでどうする。俺は全部の授業が体育でもいいくらいだ」
こんな舐めた態度を取っているのは最近やたら絡んでくる男子生徒だ。一応担任業務も見学できるので、それでチラッと覗いたクラスの一人。
俺の何が気に入ったのか分からないが、こうやって昼休みでも体育教官室に遊びにくる。
なかなかの脳筋野郎で最近では珍しい熱血タイプだから先生からの人気は高い。しかし本人は生きづらいだろうなあ。Z世代前半の俺ですら、ウザいと思うのだから、同年代のクラスメイトたちはこいつを受け入れきれないだろう。
「お前は体育よりももっと国語とか勉強して情緒を学んだ方がいいぞ」
「ん?情緒はあるぞ。こうやって晴れた空を見ると清々しい気分になってなんとも言えない。」
「じゃあ敬語を学び直せ」
俺は少しうんざりして授業の準備を始めた。

「先生はなんで体育教師になろうと思ったんだ?」
ふと脳筋野郎が真面目な質問をした。
「なんでって」
咄嗟に都合のいい理由が出てこない自分が情けないが、単純なことだ。単位と教員免許が欲しかったからだ。別に学生たちの体躯発達に貢献したいとか、身体能力向上に貢献したいとか、高尚な動機はさらさらない。
「先生はなんかのプロだったのか?」
脳筋野郎は痛い質問をしてきた。
「まあ…。プロになろうとしたんだよ。でも怪我をしたから諦めた」
「へえ!なんの競技だ?」
「器械体操だな」
「ほーん」
脳筋野郎は急に興味を失ったようだ。まあこいつのことだから、スポーツと言えば野球かサッカーしか分からないんだろう。

プロになる気満々で入学したのに俺は苦手な炎天下の下で学生に体育を指導している。人生というのはどうなるか分からないもんだ。
「なあ先生、俺も体育教師になりたいんだよ」
珍しく真面目なトーンだった。
「プロはどうせ無理だから運動を仕事にできるなら体育教師かなって」
脳筋の割にしっかりと将来のことを考えているようだ。しかし気に食わない。
「なんでプロは無理なんだ。知ってるぞ、お前野球がなかなかうまいこと。有名な高校からスカウトも来てたくらいなのに断ってここに入学したんだろ?」
教師の間では有名な話だった。なんならこいつが入学したことで予選止まりだったこの高校が甲子園に行けるかもしれないと噂されているのだ。
「やってみなくちゃ分からん。そうやって決めつけてたらできるものもできない」
珍しく熱い俺の言葉に脳筋は驚いているようだった。
「そうだな!先生!そうするよ!俺ガチで目指してみる!」
「今からでも遅くない。がんばれ!」
「おう!まずは次の体育から気合い入れて体作るぜ!」
「あ、そうだった…次体育…」
俺は教官室から見える水たまりをみてため息をついた。水たまりはスコンと明るい青空を映していた。

6/6/2025, 9:29:44 AM