香草

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4/23/2025, 7:35:15 AM

「ささやき」

3年生になったら宿題が増え、授業中居眠りするのも許されなくなった。
昼休みの恋愛話も受験の話に変わった。この前まで、もうすぐ卒業してしまう先輩に告白するか悩んでた子も真面目に大学の偏差値がどうとかなんの問題集がいいとか話している。
受験生か。頑張らないとなあ。
私は勉強机の前に座りながらうつらうつらと天井を見ていた。
深夜1時。家族全員が寝静まった家は無音で居心地が悪い。もともと勉強は得意な方だ。学校のテストでも上位に入るし、模試の成績も悪くない。でもこうやって1人で集中するのは苦手だ。普段は話し声や人の気配がするカフェや図書館で勉強するのだが、深夜に開いているところはない。

そしていつもはもう寝ている時間だ。無音が眠気を連れてくる。しかし明日の朝までに終わらせないといけない課題がある。まだあと1問残っている。
天井を見上げていると頭が後ろに落っこちそうな感覚になる。
いかんいかん、と私は姿勢を正して問題に向き直った。
えーとxの2乗の…
突然お腹がグーとカエルのような音を出した。そしてキュルキュルとソプラノ音が続く。音がやたら大きく家族が起きるんじゃないかと一瞬心配したほどだ。
そういえば、母親が寝る前に「お腹空いたら冷蔵庫におにぎり入れてあるから食べなさいね」と声をかけてくれた。
しかしこのお腹の鳴りようはおにぎりだけじゃ収まらないだろう。
弟がいつも部活から帰ってきた時に食べているカップラーメンが頭をよぎる。野球部の弟はキッチンのカウンターの下にカップラーメンを常備している。

いやいや、流石にカップラーメンはまずいでしょ。
見た目を気にする華の17歳。カップラーメンを深夜に食べたらどんな弊害があるかなんて乙女の常識。
むくみとニキビを一緒に学校に連れて行こうものなら、気になっているクラスの男の子に顔を見せられない。
なんならおにぎりだって母親に「太るから食べない」と宣言したはずだ。
私はお腹の虫を無視してもう一度問題に向き直った。
yが3乗で…
さっきよりも大きな音でお腹が鳴った。
お腹と密着している机にも振動が伝わる。段々口も乾いてきて、唾液がやたらと出る。
「今日くらいはいいんじゃない?」はっきりと悪魔の囁きが聞こえた。

「いやいや流石にまずい」
「何がまずいの?集中できなくて課題終わらない方がまずくない?」
「いや集中できるし」
「できてないじゃん。少しくらい食べても太らないって」
「いやこの体型維持するために普段からランニングしたり頑張ってんだから!」
「じゃあ明日走る距離増やしたらチャラじゃんね?」
「そういうことじゃなくて…」
「いいじゃん。食べちゃえよ」
脳内で必死の攻防が繰り広げられる。
脳内の悪魔と共鳴するかのようにお腹の音がどんどん大きくなる。
数式の文字列が麺に見えてくる。
気付けば私はカップラーメンの汁を飲み干していた。
だから1人で勉強するのは嫌なのだ。

4/21/2025, 7:10:26 PM

「星明かり」

冬の夜の田舎道は真っ暗だ。
街頭すらなく、まさに一寸先は闇。いや闇じゃないか。
ポチの首輪が虹色に光っているから足元だけカーニバルだ。
チマチマふんふんと騒がしい首輪と同じくらい忙しなく散歩を楽しむポチは俺のことなど全く気にしないでズンズンと進んでいく。
俺はこのポチとの散歩時間が割と好きだ。本当は家族で一番懐いている母親と行きたいんだろうけど、なぜかポチは深夜に散歩に行きたがるので、完全夜型人間である俺の仕事になっている。
俺は俺で星空を堪能できるからポチとはwin-winの関係だ。

星空を見ると必ず星座を探してしまう。
小さい頃星座図鑑を読んでいたからある程度の星座なら判別できる。
特に好きなのはこいぬ座だ。こいつは一般人にはまったく見つけられないし、見つけられたとしてもただの2つの星なので不人気だ。しかしそのマイナーさが俺の優越感に繋がる。
冬の星座だとオリオン座がかなり有名だ。
これはギリシャ神話の英雄の名の通りバカみたいにでかくて、誰でも見つけやすいから面白くない。
ぼんやりと夜空を見ながら歩いているとポチがリードを強く引っ張った。
ポチは俺のことを家族間のカーストで一番下だと思っている節がある。
まあ当たらずとも遠からずなんだけど、犬に舐められるのは流石に俺も黙っていない。

「お前な、そんなんだとこいぬ座になれねえぞ?」
こいぬ座の元となったのは忠犬マイラという犬だ。
その昔、アテネ王に可愛がられていた犬、マイラは王が病で亡くなった後もその遺体のそばを離れなかったためそれを可哀想に思った神が星座にした。
まさに海外版忠犬ハチ公。ハチ公もその忠犬っぷりに銅像を建てられているのだから、人間には逆らわない方がいいんだぞ。
「なあ聞いてんのか?」
ポチを抱っこしようと手を伸ばした。
ポチはめんどくさそうにこちらを見てヴゥと唸った。
お前を星にしてやろうか、という声が聞こえた気がして俺はすんません、と手を引っ込めた。

4/20/2025, 8:51:31 AM

「影絵」

俺は一世一代のミッションに直面している。
目の前には今にも泣き出しそうな3歳のガキんちょ。そして周囲にはへべれけになって全く当てにならない大人たち。テレビを占領している中坊たち。
「教育学部なんでしょ?相手してやってよ。私料理作んないといけないんだから」とクソ姉貴が押し付けてきた甥っ子のご機嫌を取らなければならない。
正月はのんびりと好きなゲームに没頭する予定だったのに、親族が集まるとすぐにこれだ。教育学部に通っているからといっていつも小さな子供の相手をさせられる。
おれは高校の先生を目指してるのであって保育士になりたいわけじゃねえよ!と言ってみるが似たようなもんでしょと大人たちに流される。似てねえよ。
大体自分の感情をコントロールできない小さな子供は苦手だ。何が気に食わなくて大泣きするか分からないからだ。

「えー、何したいですか…」
とりあえずお伺いを立ててみる。ガキんちょは眉間にしわを寄せてふにゃふにゃ言っている。
やばい…泣きそうだ。俺も。
とりあえず泣かせるとクソ姉貴から雷が落ちるので自分の部屋に移動させる。
大人たちのどんちゃん騒ぎから離れて静かになった。
が、これはこれで緊張する。
まるで好きな女の子と初めてデートした時みたいな…
ガキんちょは居心地悪そうに周囲を見回している。
あいにく3歳児が興味を持ちそうなものは何もない。
「すみません。殺風景な部屋で…面白くないですよね」
ガキんちょのそばで正座する。3歳児の遊びってなんぞ?
俺がこの歳の時は忙しい両親に代わって祖母がよく影絵で遊んでくれていた気がする。
「影絵って知ってます?」
俺は部屋の電気を消してベッドサイドのランプの灯りをつけた。
おしゃれのために買った間接照明を影絵に使う羽目になるとは。ガキんちょは暗くなったことに少し不安になったのか俺の膝の上にちょこんと座った。
カイロ並みの温かさとふわふわとした肉感にそぐわない軽さに衝撃を受ける。

「これが狐です」
まずは定番のものを。おれはランプのそばで狐の形を作った。
「きちゅね!しゅごいねえ〜!!」
ガキんちょは影を指さしながら、興奮したように叫んだ。
え、こんな簡単なので喜んでくれるの。ちょろくね?
俺は調子に乗って、次にイヌを作った。
わんわんだあ、と小さな手でぺちぺちと拍手する。
まあ、悪い気はしない。
「ネコさんは?」
俺はリクエストに答えてネコを作る。
ガキんちょもすっかり喜んで色々とリクエストしてくる。少し動物っぽく動かすとキャイキャイと膝の上で飛び跳ねる。
なんか…可愛いなこいつ。膝痛えけど。
「ペンギン!ペンギンやって!」
「ふくろう!」
「うしゃぎしゃん!」
「ゾウしゃん!」
矢継ぎ早にリクエストが来て俺の手も絡まりそうだ。
てかリクエストされる動物の難易度がだんだん上がっている気がする。
「てぃらのさうるす!どらごん!」
「いや流石に無理」

4/19/2025, 8:50:51 AM

「物語の始まり」

俺は台所で牛乳を飲んだところだった。
寝起きでカーテンも開けずにキッチンへ向かい、牛乳を飲んだ。しかし次に何をすればいいのか分からない。
なぜなら俺を作った小説家がその先を書いてくれないからだ。あ、ほら頭を抱えてる。おそらくこのキッチンから何か事件に繋げたいんだろうが、どうやって繋げたらいいのか分からないのだろう。
俺としては寝起きから牛乳を飲まされたもんだから、腹がぎゅるぎゅる鳴っている。事件より何よりも早くトイレに行くシーンを書いて欲しい。

どうやら俺は34歳の男で普段は広告代理店の営業マンらしい。ただし、それは表向きの顔で本当は裏社会の殺し屋として生きているらしい。これから俺は広告を巡って腹黒い陰謀に巻き込まれるようだが、なんせこの首謀者が頭を抱えてしまってるもんだから、もしかしたらこのまま牛乳を飲んで俺の人生は終わるのかもしれない。
こいつは小説をまともに完結させられたことがない。
いつも書き出し5行くらいで俺たちの人生を終わらせる。これまでもたくさんの犠牲者を出してきた。
車から降りただけのやつ。顔も知らないやつに話しかけられただけのやつ。電車の吊り革に捕まったまま恋に落ちただけのやつ。自分の生まれを説明されただけで何も身動きを取れないやつもいた。記憶も意識もはっきりしてるのに何もできないのはまさに生き地獄だろう。
俺より一つ前に生まれた兄弟なんて死体のまま生まれて、それっきりだ。
本当はそいつは生きていて物語の最後にひょっこり正体を現すという設定だったらしいが、結局生き返ることはなかった。
俺が本当に殺し屋なら真っ先にこいつを殺してる。


こいつの書斎は本棚に囲まれてカーテンも窓も開けていないので埃っぽい。日光に当たっていないのだろう。無精髭に囲まれた青白い顔が天井を向いている。俺が生まれてから2時間はこの様子だ。
時々、「うーん」とか「あー」とか呻いてるが面白い独り言ひとつも呟かない。
俺の腹だけが活発に動いているが、こいつはそれにも気付かない。
あ、ガムを噛み始めた。一応ガムを噛んで脳を活性化させようとしているようだ。クッチャクッチャと静かな書斎に水っぽい音が響いている。
俺が思うに殺し屋のイメージがないから筆が進まないんだろう。殺し屋が起きてから何をしてどうやって日常生活を送っているのか分からないのだ。
まあ確かに殺し屋がYouTubeでモーニングルーティンを公開してない限りは、知る由もないだろう。
でも少なくとも寝起きで牛乳は飲まないはずだぞ。そこは普通の人と同じだと思うぞ。

「あ!」
急に小説家が叫ぶと、窓ガラスが割れて目の前のコップが割れた。
誰かが俺を殺そうと銃弾を送り込んできたのだ。俺は思わずため息をつきそうになった。
まずカーテン開けてねえよ。心の中で小説家に突っ込む。閉まった窓からどうやって狙えるんだよ。赤◯秀一でも無理だぞ。
そしてまた俺は身動きが取れなくなった。
また頭を抱えてしまったのだ。
頼む。いい加減トイレに行かせてくれ。





4/18/2025, 9:24:45 AM

「静かな情熱」

「あそこのでかいスタジアムがあるところだけど、昔はでけえ公園と一人の老人が住んでた家があったんだ。
当時は何もないただの原っぱだったんだんだけど、俺たちがサッカーとか野球とか遊んでたら裏の家のじいさんが、窓開けて「ガキども!うるせえぞ!」って言ってお菓子をばら撒くんだよ。これで静かにしてくれって。俺たちはそのお菓子を目当てにわざと騒がしくしたりしてた。
なんだかんだ面倒見が良くて、じいさんの機嫌がいいときは窓のそばで花見とかしてた。あの地域の子供ならあのじいさんのことを知らない奴はいないほどだった。
ただ不思議なことにだれもじいさんが誰で何をしてる人なのか知ってる奴はいなかった。大人たちはあのじいさんに近づこうとはせず、親もできるだけあのじいさんとは関わるなって嫌な顔をした。
だけど子供ってのは誰であろうと自分に構ってくれる大人が好きなもんだ。結局毎日じいさんの窓のそばでみんなお喋りしてたんだ。

それから何年かしてからあのスタジアムが建設されるっていう話になって工事が始まった。俺たちはじいさんがどこに行ってしまったのか、大人たちに聞いたけど誰も分からずじまいだった。
後から聞いた話だけどスタジアム建設の話はずっと昔からあったんだが、あのじいさんがなぜかずっと立ち退きを拒否していたらしい。
それでスタジアム建設に賛成しまくってた大人たちは頑固なじいさんのことを孤立化させようとしてたらしい。
結局じいさんは負けちまってどっかに逃げちまったみたいだけど。
今でも元気にしてるといいけどな」

そう言って従姉妹の兄ちゃんはいくらの寿司を頬張った。
正月の親戚の集まりは、大人たちの酒臭いどんちゃん騒ぎの横で子供だけの集会が行われる。子供だけと言っても兄ちゃんはすでに二十歳を超えてるけど。
兄ちゃんの昔話とか恋愛の話はやたらと面白くて聞き入ってしまう。
「そのお爺さんの名前も知らないの?」
僕は唐揚げを食べながら聞いた。名前を検索したら出てくる可能性があるんじゃないかと思ったからだ。
「知らねえなー。てか今はもう死んでるかも…」
兄ちゃんの目がまんまるく開いた。
そして次の瞬間、「あーーーー!!!」と大声を出してテレビを指さした。

「日本の魅力発掘の旅!」「世界的人気陶芸家」というテロップでにこやかに笑う老人が映し出されていた。
「こちらは先生のアトリエですか?」
レポーターらしき女性が感嘆した様子で辺りを見回す。日本らしい色彩の器や湯呑み。日本らしさを感じるものだけでなく、バラやチューリップなどを生けている洋風の花瓶なども一緒に並べられている。
「はい。本当はもっと大きなアトリエを持っていたのですが、立ち退きを余儀なくされてしまって。その時はよく近くの公園から子供たちの声が聞こえてきてそれをインスピレーションに作品を作っていました。たまにうるさいときもありましたがね」
ハハっ笑う老人。渋い男性の声でナレーションが入る。「子供たちの遊び場を守るために、アトリエを手放さなかったという。その優しさと静かな情熱が今の作品を形作っているのかもしれない。」
僕はチラリと兄ちゃんの顔を見やった。
兄ちゃんは静かに泣いていた。

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