「静かな情熱」
「あそこのでかいスタジアムがあるところだけど、昔はでけえ公園と一人の老人が住んでた家があったんだ。
当時は何もないただの原っぱだったんだんだけど、俺たちがサッカーとか野球とか遊んでたら裏の家のじいさんが、窓開けて「ガキども!うるせえぞ!」って言ってお菓子をばら撒くんだよ。これで静かにしてくれって。俺たちはそのお菓子を目当てにわざと騒がしくしたりしてた。
なんだかんだ面倒見が良くて、じいさんの機嫌がいいときは窓のそばで花見とかしてた。あの地域の子供ならあのじいさんのことを知らない奴はいないほどだった。
ただ不思議なことにだれもじいさんが誰で何をしてる人なのか知ってる奴はいなかった。大人たちはあのじいさんに近づこうとはせず、親もできるだけあのじいさんとは関わるなって嫌な顔をした。
だけど子供ってのは誰であろうと自分に構ってくれる大人が好きなもんだ。結局毎日じいさんの窓のそばでみんなお喋りしてたんだ。
それから何年かしてからあのスタジアムが建設されるっていう話になって工事が始まった。俺たちはじいさんがどこに行ってしまったのか、大人たちに聞いたけど誰も分からずじまいだった。
後から聞いた話だけどスタジアム建設の話はずっと昔からあったんだが、あのじいさんがなぜかずっと立ち退きを拒否していたらしい。
それでスタジアム建設に賛成しまくってた大人たちは頑固なじいさんのことを孤立化させようとしてたらしい。
結局じいさんは負けちまってどっかに逃げちまったみたいだけど。
今でも元気にしてるといいけどな」
そう言って従姉妹の兄ちゃんはいくらの寿司を頬張った。
正月の親戚の集まりは、大人たちの酒臭いどんちゃん騒ぎの横で子供だけの集会が行われる。子供だけと言っても兄ちゃんはすでに二十歳を超えてるけど。
兄ちゃんの昔話とか恋愛の話はやたらと面白くて聞き入ってしまう。
「そのお爺さんの名前も知らないの?」
僕は唐揚げを食べながら聞いた。名前を検索したら出てくる可能性があるんじゃないかと思ったからだ。
「知らねえなー。てか今はもう死んでるかも…」
兄ちゃんの目がまんまるく開いた。
そして次の瞬間、「あーーーー!!!」と大声を出してテレビを指さした。
「日本の魅力発掘の旅!」「世界的人気陶芸家」というテロップでにこやかに笑う老人が映し出されていた。
「こちらは先生のアトリエですか?」
レポーターらしき女性が感嘆した様子で辺りを見回す。日本らしい色彩の器や湯呑み。日本らしさを感じるものだけでなく、バラやチューリップなどを生けている洋風の花瓶なども一緒に並べられている。
「はい。本当はもっと大きなアトリエを持っていたのですが、立ち退きを余儀なくされてしまって。その時はよく近くの公園から子供たちの声が聞こえてきてそれをインスピレーションに作品を作っていました。たまにうるさいときもありましたがね」
ハハっ笑う老人。渋い男性の声でナレーションが入る。「子供たちの遊び場を守るために、アトリエを手放さなかったという。その優しさと静かな情熱が今の作品を形作っているのかもしれない。」
僕はチラリと兄ちゃんの顔を見やった。
兄ちゃんは静かに泣いていた。
4/18/2025, 9:24:45 AM