香草

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11/30/2024, 11:40:17 AM

妹の顔が歪む。口を大きく開けてツンザクような泣き声をあげる。
「いいじゃん!ちょっとくらい!なんでお姉ちゃんばっかり…」
丸い頬に涙が伝う。制服の袖で拭う。
なんでお前が泣くんだよ。
「どうしたの!」
すぐに母親が部屋に入ってくる。
妹によく似たくるくるの髪を振り乱しながら。
私をちらりと見てからすぐに妹に駆け寄る。
「中学生にもなって泣かないの。何があったの?」
小さい子をあやすように背中をさすりながら優しく声をかける。妹は勢いを増してしゃくりあげながら泣き出す。
「お姉ちゃんのワンピースを借りようと思っただけなの。明日の修学旅行の出し物で衣装として使いたくて。でも全然貸してくれないの。洋服いっぱい持ってるくせに。」
母親は少し気まずそうにこちらを見る。
「ねえ、少しくらい貸してあげることはできないかな?この子もちゃんとも物を大切にするタイプだから。気持ちは分かるけど、やっぱり家族仲良くするためにはそういうことも必要だと思うの…」
何を言ってんだこいつらは。
そもそも私のワンピースじゃない。
「私のママのワンピースだから。」
10年前亡くなったママが私に遺した唯一のもの。
衣装?ふざけんな。家族仲良く?私の家族はママだけだ。
妹の顔が凍りつく。母親は何も聞こえなかったかのように目を逸らし、小さく「行くわよ。」と呟いて妹を連れて部屋を出て行った。
ドアが閉まった瞬間、目の前がぼやける。

11/30/2024, 3:58:59 AM

空が白んで風が冷たい。
体温が奪われていくような感覚でとうとう本格的な冬が来たのだと知る。
顎が震えてガチガチと小さく音が出る。
「大丈夫か?」
わざとらしく君が顔を覗き込む。
「大丈夫」
ぶっきらぼうに答えた。目は合わせない。
「食堂行くか?マジで急に寒くなったよな。」
大学の食堂もどこも人でいっぱいだろう。できるだけ人がいないとこに行きたかった。
「大丈夫」
ビル風が私たちの間を通り抜けていく。
木に絡まったイルミネーションが目の端で煌めく。
「…なあ、どうしたんだ?急に話がしたいって言ってきたのはそっちだろ。」
沈黙に耐え切れず彼が痺れを切らした。
頭に血が上る。風が頑張って冷まそうとしてくる。
「この前の週末何してたの?」
「何って、地元の友達が来るから家で飲んでたよ。だから会えないって言ったよな。」
スマホの写真を見せる。
画面の中でサークルの後輩と彼が顔を寄せ合っている。
後輩がわざわざ誤送信してきた写真だ。
「なんで、」
言い訳の言葉が出ない彼に血が引いていく。顔に当たる風の冷たさを感じなくなった。
「別れよう。」
それだけ言うと私はマフラーに顔を埋めた。

11/28/2024, 4:06:13 PM

拍手が鳴り止み静寂が訪れる。
指の重さをできる限り0にして鍵盤に触れる。
重い空気が腕にまとわりついて筋肉が震えそうだ。
深呼吸をして身体中の神経を指に集中させる。その瞬間、思い切り力を込めた。
ピアノが悲鳴を上げる。
動き出した指はもう止まらない。
この数分のために何ヶ月も練習してきた。
毎日毎日何時間も同じ曲を弾いて自分のミスに向き合ってきた。間違えた、もっと優しく、もっと力をこめて、もっと流れるように、もっとアクセントを…
楽譜を破り捨てようかと本気で思ったこともあった。
ピアノをぶっ壊してやろうとハンマーを手に取ったこともあった。そんな心の底に隠れていた自分の加害性にショックを受けて自己嫌悪に陥り一晩中泣いた。
でも一粒の理性と彼女への憧れを捨て切れなかった。
指は躾けられたサーカスの動物のように鍵盤の上を踊る。最後の20小節にさしかかる。
このコンクールが終わったら俺には何が残るんだろう。ふと、頭に浮かんだ。
次の目標?またあの辛い日々を過ごすのか。自分のドス黒い感情を見つめてわざわざ絶望に浸らないといけないのか。
いっそ辞めてしまおうか?第二の人生を歩むのも悪くはない。でも俺には何もない。ピアノ以外に何もできない。結局俺は彼女に生かされているのだ。
彼女は美しい歌を歌う。全ての演奏者を自分に集中させて何も考えないようにさせる。それでいて一筋縄でいかず、いつも不満気に俺を責める。
なあ、まだ終わらないでくれ。何ヶ月もお前を満足させるために頑張ってきたんだ。
最後の音を鳴らす。彼女はニヤリと笑って俺の指と別れを告げた。

11/27/2024, 11:34:24 AM

初めてのクリスマスプレゼントでもらった着せ替え人形。大きな目、外国のお姫様みたいな髪の毛。私の母性が芽生えた瞬間だった。
毎日ご飯を作って、服を着替えさせて、寝かしつけた。私の子供は天才で可愛くて、なんでも素直に言うことを聞く良い子だった。
「この家にはまるでママが2人いるみたいだなあ」
「ママがもう一人いて助かるわあ」
両親はそんな私を見て微笑む。私も本物に認められるほどの一人前のママなのだと誇らしくなった。

それから20年後、私は本物のママになった。待ちに待った赤ちゃん。
人形とは似ても似つかない皺だらけの生物。だけど可愛かった。クリクリした目もブロンドヘアーも持ってないけど。
本物の赤ちゃん大切に育てていこう。

机から水がしたたる。その様子が初めて水泳教室に行った娘の涙を思い起こさせた。
割れたガラス。小学生の娘が買って来てくれた修学旅行のガラス細工のお土産を思い出させる。どこにおいたっけ。
隣の家の電気がつく。深夜の塾の前で佇む娘も光に照らされていた。表情はいつも見えなかった。
ピコン、とスマホにニュースの通知。勉強に集中させたくて取り上げた時に見てしまった「母親クソだね 毒親じゃん」の文字。
ずっと娘のことを考えて生きてきた。私に似て取り柄もなくて不器用な娘に、私みたいな人生を歩ませないように大切に育ててきたつもりだった。
「私はママの人形じゃないの!」
耳の奥でこだまする。たくさんの愛情を注いでいたつもりだったのに。
そんなこと言うなんて私の子供じゃない。

11/26/2024, 12:04:45 PM

暖房のせいなのか、ふわふわする。頭がぼうっとして身体中の液体がふつふつし始める。
部長がシャツの袖を捲る。やっぱり暑いよね?
しかし驚くことに暖房は入っていない。
会議室の空調は建物全体で管理されていて、温度はいじれない。会議の時は暑がりの部長のために暖房は入れない暗黙のルールなのだ。
いつもは震えながら会議に参加して部長を呪っているのだが、今日はやたらと体温が高い。
理由はなんとなく分かっている。目の前の男だ。
爽やかな笑顔で話す営業部のエース、の隣に座っている冴えない眼鏡の男。去年一緒に入社した同期だ。
目が合った。何もなかったかのように手元の資料に目を落とす。
『新規ターゲット獲得のための商品開発・・・』
『若い顧客層を見据えた・・・和菓子のイメージを一新する・・・甘さにこだわった・・・』
甘い。甘い。甘い。のどが渇くほど甘かった。夜空がぐるぐる回って星が降ってくるんじゃないかと思ったあの夜。

「普段お酒飲まないならそう言ってくれればよかったのに。」
自販機にお金を入れながら言った。研修終わりの飲み会で彼はハイボールを7杯飲んだ。
「いやみんな飲むの早すぎ…」
キャップを開けて水を差し出す。なんで私があんたの面倒見ないといけないの、と思いながらこのまま見捨てるのも嫌なので隣に座った。
あーあ、本当なら家に帰って推しのライブを見てたのにな。
そんなことを思いながらスマホを取り出す。21:17。終電まであと3時間もある。あーあ本当ならあの気になってたバーに寄って帰ったのになあ。
「ねえ、」焦点の定まらない目でこちらを見た。
「饅頭食べない?」
「は?」
酔っ払いすぎだろ。何言ってるの。こんな時間にやってる和菓子屋なんてないでしょ。
早く帰らせよう。
立ちあがろうとした私の腕を掴む。
「行こう!」
足早にかけ出す。こっちヒールなんですけど。

彼が連れて来たのは和菓子バー。メニュー表には饅頭や練り切りなど、お酒とは不釣り合いな名前が載っている。
「ねえ、大丈夫なの?日本酒だよ?やめといた方がいいんじゃないの」
店内は日本歌謡が流れていてなんだか居心地が悪い。酔っ払いを連れていたら尚更だ。
「覚めた覚めた。大丈夫。」そう言うと慣れたように日本酒の名前を注文する。
まあいっか、潰れたら今度こそ置いて帰ろう。ちょうど飲みたかったし。
日本酒と食べる和菓子は意外な相性で美味しかった。餡子のむせかえるような甘味と冷たい日本酒の切れ味で舌が風邪を引きそうだ。下戸だと思っていた彼は、浴びるように注文している。それに負けじと和菓子を頬張る。甘い甘い。指が絡む。回る回る。薄暗闇で彼の顔が浮かんで消える。

「おい、大丈夫か?」
部長が顔を覗き込む。
「顔が赤いぞ。熱があるんじゃないのか。医務室に行って来なさい。」
部長命令なら仕方ない。すみません、と呟いて逃げるように会議室から出た。
甘いのは餡子だったのか、彼だったのか。

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