香草

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暖房のせいなのか、ふわふわする。頭がぼうっとして身体中の液体がふつふつし始める。
部長がシャツの袖を捲る。やっぱり暑いよね?
しかし驚くことに暖房は入っていない。
会議室の空調は建物全体で管理されていて、温度はいじれない。会議の時は暑がりの部長のために暖房は入れない暗黙のルールなのだ。
いつもは震えながら会議に参加して部長を呪っているのだが、今日はやたらと体温が高い。
理由はなんとなく分かっている。目の前の男だ。
爽やかな笑顔で話す営業部のエース、の隣に座っている冴えない眼鏡の男。去年一緒に入社した同期だ。
目が合った。何もなかったかのように手元の資料に目を落とす。
『新規ターゲット獲得のための商品開発・・・』
『若い顧客層を見据えた・・・和菓子のイメージを一新する・・・甘さにこだわった・・・』
甘い。甘い。甘い。のどが渇くほど甘かった。夜空がぐるぐる回って星が降ってくるんじゃないかと思ったあの夜。

「普段お酒飲まないならそう言ってくれればよかったのに。」
自販機にお金を入れながら言った。研修終わりの飲み会で彼はハイボールを7杯飲んだ。
「いやみんな飲むの早すぎ…」
キャップを開けて水を差し出す。なんで私があんたの面倒見ないといけないの、と思いながらこのまま見捨てるのも嫌なので隣に座った。
あーあ、本当なら家に帰って推しのライブを見てたのにな。
そんなことを思いながらスマホを取り出す。21:17。終電まであと3時間もある。あーあ本当ならあの気になってたバーに寄って帰ったのになあ。
「ねえ、」焦点の定まらない目でこちらを見た。
「饅頭食べない?」
「は?」
酔っ払いすぎだろ。何言ってるの。こんな時間にやってる和菓子屋なんてないでしょ。
早く帰らせよう。
立ちあがろうとした私の腕を掴む。
「行こう!」
足早にかけ出す。こっちヒールなんですけど。

彼が連れて来たのは和菓子バー。メニュー表には饅頭や練り切りなど、お酒とは不釣り合いな名前が載っている。
「ねえ、大丈夫なの?日本酒だよ?やめといた方がいいんじゃないの」
店内は日本歌謡が流れていてなんだか居心地が悪い。酔っ払いを連れていたら尚更だ。
「覚めた覚めた。大丈夫。」そう言うと慣れたように日本酒の名前を注文する。
まあいっか、潰れたら今度こそ置いて帰ろう。ちょうど飲みたかったし。
日本酒と食べる和菓子は意外な相性で美味しかった。餡子のむせかえるような甘味と冷たい日本酒の切れ味で舌が風邪を引きそうだ。下戸だと思っていた彼は、浴びるように注文している。それに負けじと和菓子を頬張る。甘い甘い。指が絡む。回る回る。薄暗闇で彼の顔が浮かんで消える。

「おい、大丈夫か?」
部長が顔を覗き込む。
「顔が赤いぞ。熱があるんじゃないのか。医務室に行って来なさい。」
部長命令なら仕方ない。すみません、と呟いて逃げるように会議室から出た。
甘いのは餡子だったのか、彼だったのか。

11/26/2024, 12:04:45 PM