小学校3年生くらいまで、私は昼休みには外に出て遊ぶタイプだった。
マイブームみたいなものがあって、ずーっと同じ遊びをしていたわけではなかった。
みんなとサッカーをしてボールを追いかけたり、竹馬でどこまで高いのに乗れるか挑戦したり、友達の1人と雲梯で遊んで手に豆を作ったり、鉄棒にぶら下がってひとりでボーっとしたり。どれも楽しかった。
いつからだろう。昼休みに外に出ずに、部屋の中で本を読むようになったのは。
元々、雨の日はよく本を読んでいた。それが晴れの日も読むようになって、どんどん読書の頻度が増えた。6年生になった今は、ほぼ毎日読書している。最初は昼休みだけだったのが、今は本を借りて家でも読むようになっていた。
太陽の下、身体を動かすのは気持ちいい。その楽しさも忘れたわけじゃない。ただ、本の中の世界に入り込んで、違う太陽の下冒険するのも、私にとって同じくらい楽しかった。
本の中では、空の色が違ったり、太陽が2つあったり、いろんな空と出会えた。
放課後、本の重みを鞄に感じながら、帰路を歩く。
この本の世界は、どんな世界だろう。
赤い太陽の下で、私は期待に胸を弾ませた。
その朝は寒かった。いつもより遅い時間に目覚めた私は、布団の中と外の温度差にうんざりしながら身体を起こした。
今日は休日。これから映画を観に行く予定だ。
枕元に置いた着替えを引き寄せる。
下半身を布団に突っ込んだまま、もそもそとパジャマのズボンを脱ぎ、防寒のためのタイツと、靴下を履き、黒のスキニーパンツを身につける。
上半身は、両腕でパジャマの裾を掴み、上に持ち上げてガバリと脱いだ。途端に肌に冷たい空気が接触して、ぶるりと震える。慌てて下着とシャツを身に着けて、更にその上に青いセーターを着た。セーターはふわふわとして暖かい。ホッと息を吐いた。
大きく伸びをして、朝食を食べるために立ち上がる。布団は適当に畳んで、部屋の隅に寄せた。脱ぎ散らかしたパジャマは、洗濯物のかごの中へ入れる。
トーストとインスタントのコーンスープを食卓に並べた。
「いただきます」
と手を合わせて、食べ始める。
テレビを点ければ、今日は今年一番の寒さだとか、感染症に注意!だとか、そんなニュースがやっていた。
10分くらいで朝食を食べ終えたら、歯磨きをして、ドレッサーの前に座り、メイクをした。
今日のセーターの青と似た系統の色を意識して選んで、目元を彩る。
メイクを終えたら髪を整えて、最後に改めて鏡の中の自分と向き合う。
「よし、今日もいい感じ!」
鏡に向かってニッと笑って、立ち上がった。
コートとマフラーを身に着けて、鞄を持って、お気に入りの靴を履いた。
玄関前の姿見で最終確認して、玄関を出る。
鍵を閉めて振り返ると、気持ちのいい青空が視界に入ってきた。カラッとした冬晴れだ。それが、今日着たセーターと同じ色で、ちょっとうきうきした。
今日も良い日になりそうだ。
山の中のキャンプ場。周囲に大きな灯りのないここでは、星がよく見える。
今日は新月で、月明かりもなく、特によく見えた。
満天の星空だ。
無数に散りばめられ闇を彩る星々たちは、美しすぎて、畏怖すら感じさせる。
両腕を広げて、その光を一身に受けた。
星空に吸い込まれる。光の粒のすき間の闇へと、落ちていく。見上げているのに、そう錯覚した。
落ちていく、落ちていく、落ちていく――。
自分が宇宙の一部であることを強く感じ、心が高揚した。
休日の昼、リビングでのんびりテレビを見ていたら、自分の部屋に籠もっていた夫がリビングに入ってきた。
「なあなあ、これ見てくれよ」
私に見せるように、何かを差し出している。それは、本のようなものだった。表紙をよく見ると、『アルバム』の文字。端の傷み具合などから察するに、結構古いものに見える。
「アルバム?いつの?」
「そう、アルバム。それもまだ結婚して2、3年くらいのやつ!」
「10年以上前のってこと?」
「そうそう!部屋の整理してたら見つけてさー、めちゃくちゃ懐かしい写真だらけだよ!」
夫は興奮した様子で、アルバムを開いて見せた。
夫が開いたページには、巨大なダムを背景に私たち2人が一緒に写った写真があった。
「これ、黒部ダム行ったときのじゃない。懐かしい!」
「だろだろ。このとき、めっちゃ暑かったよなあ」
「そうだったねえ。でも、そのおかげでダムの放水がすごい気持ちよかったんだよね」
「うんうん」
ページを捲る。
「あ、これ、秘境の温泉行ったときのじゃん」
「あー、これな。マジで秘境だったよな」
「山の中だったもんねえ。ここ、露天風呂が離れてて、夜に森の中歩かなきゃいけなくてちょっと怖かった」
「露天風呂までの道、マジで怖かったよなあ。その道で本当に合ってるのか不安になったもん、俺」
「あれは不安になるよね。露天風呂自体は最高だったんだけど」
「確かにあれは最高だった」
ページを捲っては、写真から溢れてくる思い出に、ふたりして浸って、たくさん語り合った。
アルバムを全部見終わる頃には、青かった空は橙色に染まっていた。
夫とともに、2人で過ごした思い出を振り返る時間は、とても穏やかで楽しかった。
「最近旅行行けてないな」
「そうだね。また行きたいな」
「近い内に行こうよ。行きたい場所考えといて」
夫がそう言って微笑んだ。私もそれに頷いて、微笑み返す。
この人と、たくさんの思い出を共有してきた。この人とは、楽しかったこともつらかったことも、笑って振り返ることができる。
これからもこの人とふたりで、思い出を積み重ねていきたいと、強く思った。
放課後、私は、教室で文理選択調査票とにらめっこしていた。うちの高校は、2年生から文系クラスと理系クラスに分かれることになっていて、1年生の3学期の今、いよいよそれを決めなければならないのだ。
「うーーーん……困ったなあ……」
私は特別、将来の夢と言うものがない。高校を卒業したら何となく大学にいって、無難に就職できればそれでいい。
そんなふうなのに、テキトーに決めることも何故かできず、モヤモヤとひとりで悩んでいるのが現状だった。
「あれ、まだ悩んでるん?」
そんなとき、隣の席の三島さんが話しかけてくれた。彼女は、こうして悩んでいる私とは対照的に、文理選択調査票を真っ先に書いて提出していた。普段から看護師になることが夢だと言っているから、すぐに選べたんだろう。
「悩んでるよぉ。私、三島さんと違って将来の夢とかないもん」
「んじゃ、好きな科目とか得意な科目で決めたらどう?」
「それもさあ、どっちも音楽だから、文理関係ないの。他はどれも同じくらい苦手」
「大学で学びたい学問とかは?」
「今んとこないなあ……」
「えー、そっかぁ……。困ったねえ」
三島さんは困り顔になってしまった。
「はあ……どうすればいいの……」
私は困り果てて言った。
三島さんが顎に手を当てて思案する。しばらくして、何か思いついたのか、パッと表情が晴れた。
「うちの部活の先輩たち、文系理系どっちもいるから、それぞれの経験談きいてきてあげようか?」
「え、いいの?」
最初に先生達から文理それぞれの説明は受けたが、実際の経験談はきけていない。
帰宅部で委員会にも所属しておらず、縦の繋がりを持たない私にとって、願ってもない提案だった。
「いいよー。私自身は経験者に訊いてみようとは考えもしなかったけど、よく考えたらそういうの面白そうじゃん」
「ありがとう……!よろしくお願いします……!」
「いいってことよ!」
三島さんはそう言って、親指をグッと立てニカッと笑った。
「じゃ、私、部活行くから!」
三島さんが元気に教室を出ていくのを見送って、私は、手元の文理選択調査票に目を落とした。
相変わらず書くことはできない。しかし、先程まで心を支配していたモヤモヤは、かなり薄れていた。
さっき、三島さんと話せてよかった。あのままひとりで悩んでいたら、ずっとモヤモヤしたままだっただろう。
文理選択調査票をひとまず鞄に仕舞う。
ほうっ、とひとつ息を吐いた。