山の中のキャンプ場。周囲に大きな灯りのないここでは、星がよく見える。
今日は新月で、月明かりもなく、特によく見えた。
満天の星空だ。
無数に散りばめられ闇を彩る星々たちは、美しすぎて、畏怖すら感じさせる。
両腕を広げて、その光を一身に受けた。
星空に吸い込まれる。光の粒のすき間の闇へと、落ちていく。見上げているのに、そう錯覚した。
落ちていく、落ちていく、落ちていく――。
自分が宇宙の一部であることを強く感じ、心が高揚した。
休日の昼、リビングでのんびりテレビを見ていたら、自分の部屋に籠もっていた夫がリビングに入ってきた。
「なあなあ、これ見てくれよ」
私に見せるように、何かを差し出している。それは、本のようなものだった。表紙をよく見ると、『アルバム』の文字。端の傷み具合などから察するに、結構古いものに見える。
「アルバム?いつの?」
「そう、アルバム。それもまだ結婚して2、3年くらいのやつ!」
「10年以上前のってこと?」
「そうそう!部屋の整理してたら見つけてさー、めちゃくちゃ懐かしい写真だらけだよ!」
夫は興奮した様子で、アルバムを開いて見せた。
夫が開いたページには、巨大なダムを背景に私たち2人が一緒に写った写真があった。
「これ、黒部ダム行ったときのじゃない。懐かしい!」
「だろだろ。このとき、めっちゃ暑かったよなあ」
「そうだったねえ。でも、そのおかげでダムの放水がすごい気持ちよかったんだよね」
「うんうん」
ページを捲る。
「あ、これ、秘境の温泉行ったときのじゃん」
「あー、これな。マジで秘境だったよな」
「山の中だったもんねえ。ここ、露天風呂が離れてて、夜に森の中歩かなきゃいけなくてちょっと怖かった」
「露天風呂までの道、マジで怖かったよなあ。その道で本当に合ってるのか不安になったもん、俺」
「あれは不安になるよね。露天風呂自体は最高だったんだけど」
「確かにあれは最高だった」
ページを捲っては、写真から溢れてくる思い出に、ふたりして浸って、たくさん語り合った。
アルバムを全部見終わる頃には、青かった空は橙色に染まっていた。
夫とともに、2人で過ごした思い出を振り返る時間は、とても穏やかで楽しかった。
「最近旅行行けてないな」
「そうだね。また行きたいな」
「近い内に行こうよ。行きたい場所考えといて」
夫がそう言って微笑んだ。私もそれに頷いて、微笑み返す。
この人と、たくさんの思い出を共有してきた。この人とは、楽しかったこともつらかったことも、笑って振り返ることができる。
これからもこの人とふたりで、思い出を積み重ねていきたいと、強く思った。
放課後、私は、教室で文理選択調査票とにらめっこしていた。うちの高校は、2年生から文系クラスと理系クラスに分かれることになっていて、1年生の3学期の今、いよいよそれを決めなければならないのだ。
「うーーーん……困ったなあ……」
私は特別、将来の夢と言うものがない。高校を卒業したら何となく大学にいって、無難に就職できればそれでいい。
そんなふうなのに、テキトーに決めることも何故かできず、モヤモヤとひとりで悩んでいるのが現状だった。
「あれ、まだ悩んでるん?」
そんなとき、隣の席の三島さんが話しかけてくれた。彼女は、こうして悩んでいる私とは対照的に、文理選択調査票を真っ先に書いて提出していた。普段から看護師になることが夢だと言っているから、すぐに選べたんだろう。
「悩んでるよぉ。私、三島さんと違って将来の夢とかないもん」
「んじゃ、好きな科目とか得意な科目で決めたらどう?」
「それもさあ、どっちも音楽だから、文理関係ないの。他はどれも同じくらい苦手」
「大学で学びたい学問とかは?」
「今んとこないなあ……」
「えー、そっかぁ……。困ったねえ」
三島さんは困り顔になってしまった。
「はあ……どうすればいいの……」
私は困り果てて言った。
三島さんが顎に手を当てて思案する。しばらくして、何か思いついたのか、パッと表情が晴れた。
「うちの部活の先輩たち、文系理系どっちもいるから、それぞれの経験談きいてきてあげようか?」
「え、いいの?」
最初に先生達から文理それぞれの説明は受けたが、実際の経験談はきけていない。
帰宅部で委員会にも所属しておらず、縦の繋がりを持たない私にとって、願ってもない提案だった。
「いいよー。私自身は経験者に訊いてみようとは考えもしなかったけど、よく考えたらそういうの面白そうじゃん」
「ありがとう……!よろしくお願いします……!」
「いいってことよ!」
三島さんはそう言って、親指をグッと立てニカッと笑った。
「じゃ、私、部活行くから!」
三島さんが元気に教室を出ていくのを見送って、私は、手元の文理選択調査票に目を落とした。
相変わらず書くことはできない。しかし、先程まで心を支配していたモヤモヤは、かなり薄れていた。
さっき、三島さんと話せてよかった。あのままひとりで悩んでいたら、ずっとモヤモヤしたままだっただろう。
文理選択調査票をひとまず鞄に仕舞う。
ほうっ、とひとつ息を吐いた。
1月中旬。私、ユカリ、ダイスケの幼馴染3人は、母校である小学校のとある木の下に集まっていた。
この木の下に埋めたタイムカプセルを開けるためだ。
「この木で合ってるよね?」
「アイちゃん、だいじょぶだよ。あってるよ。ね、ダイちゃん?」
「ああ」
3人で確認して、先ほど先生から借りてきた小学生用の小さなシャベルで地面を掘り始めた。
掘ること数分。私のシャベルが、何かにぶつかって、カツンと音を立てた。
「アイちゃん、見つけたんじゃない!?」
「アイ、慎重に掘ってみてくれ」
2人の視線が私の手元に集中する。
私は丁寧に土をどけていって、土の中からジッパー袋に入った四角い缶を取り出した。
「うわ、懐かしいね」
「ああ」
猫の装飾がされたそれは、私たちが10歳の時、埋めたものだった。
授業で『二分の一成人式』なるものをやった私たちは、本当の成人式の時の自分に何か残せないかと考えて、このタイムカプセルを作るに至ったのである。
「ねえねえ、はやく開けてみようよ!」
ユカリは見た目の懐かしさに浸るよりも、早く中が見たいようだった。
私は土を払って、ジッパー袋から缶を取り出し、開ける。袋のおかげか、単なる幸運か、缶は意外と傷んでおらず、中身は無事のようだった。
中から最初に出てきたのは、当時の自分から20歳の自分へ向けた手紙だった。
それぞれの手紙を読んでみると、内容に個性があって面白かった。
私のものはかなり無難な内容だった。要約すると『10年後も元気でいたらいいな』という程度に収まってしまう。
ダイスケは、手紙でも普段の無口さとそう変わらないらしく、ただ一文『夢に向かって頑張っていてほしい』と書かれていた。
ユカリはそれとは対照的に、かなりの長文で、書いてあることも自分のことだけではなく、家族のことや私たち友人のことにまで及んでいた。
手紙の下からは、青い石、野球のバットとボールのキーホルダー、ビーズの腕輪が出てきた。
それぞれが当時大切にしていた、未来に残したいと思った宝物たちだ。
みんなそれぞれのものを手に取った。
私が青い石、ダイスケがキーホルダー、ユカリが腕輪だ。
この青い小さな石は、偶然道端で拾ったものだ。当時の私はとても気に入っていて、すごく大切にしていた。
石を手のひらの上で転がしながら眺めていると、思い出が蘇ってくる。
筆箱の中に入れて授業中に眺めてみたり、家でも学校でもポケットに入れて持ち歩いてみたり。お母さんに見つかって捨てられそうになったときは、大泣きしたっけ。
今こうして見ると、太陽光をキラキラと反射して青く輝く石は確かに綺麗だけども、宝物というほどの代物じゃない。
それでも、あの頃の私にとっては確かに宝物で、未来に残したいと思えるほどのものだったのだ。
そう思えば、この石のことが、愛しく思えるような気がした。
他の2人もそれぞれに思い出に浸っていて、静かな時間が流れた。
しばらくして、ユカリが、どこかカフェでも入って話そうと提案してきた。
私もダイスケもそれに同意した。土を元に戻し、シャベルを返却して、学校をあとにする。
3人で入ったカフェで、あの頃の思い出話に花を咲かせた。つい最近あった成人式のときも同じような話題で盛り上がったのに、話は尽きなかった。
あの頃から時が経ち、それぞれ、宝物と呼べるものは変わった。けれども、あの頃の思い出も絆も、変わりなく私たちの間には存在している。
今の私にとって、それこそが何にも代えがたい宝物なのだと気づいて、世界が前より輝いて見える気がした。
部屋を暗くして、ちゃぶ台の上のアロマキャンドルに火を灯す。
私はその脇にベッドを背もたれにして座った。
目を閉じる。アロマキャンドルから、ふわりとオレンジの香りが漂ってくる。私の好きな香りだ。
金曜日の夜、こうしてアロマキャンドルに癒されるのがここ最近の習慣になっていた。
目を開けば、小さな灯火が不規則に揺れ、部屋を控えめに照らしている。それを見ているのも飽きがこなくて心地良い。
火の下で、蝋が熱で溶けて液状になっていた。
しだいに、私の意識も、ゆらりふわりと曖昧になって、この1週間にあったいろんなことも、意識の深層に溶けて、沈んでいく。
気づかぬうちに強張っていた身体から、余分な力がスーッと抜けて、リラックスしていた。
ゆらりふわりと揺蕩う意識の中、ゆるゆると、明日何をしようかなと考える。
明日は晴れの予報だったから、出かけるのもありだな。駅前に新しくできたカフェに行ってみようか。それとも、部屋の中でまったりと読書でも楽しもうか。
オレンジの香りに包まれて、小さな灯火を眺めて、心も身体も休日モードに切り替わっていく。
ゆっくりとひとつ伸びをして、自分を労った。