ミキミヤ

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11/9/2024, 8:39:32 AM

7月の天気雨の日、傘を持っていたにも関わらず、ささずに雨に濡れて帰った。
家に帰って、鞄も髪も制服も全部濡らした私を見て、母は目を見開いた。

「あんた、折りたたみ傘持ってなかったの?」

梅雨も終わりが近づいたとは言え、まだ急に雨が降ることもあるからと、私が折りたたみ傘を携帯するようにしているのを、母は知っている。当然の疑問だった。

「持ってたよ。でも、天気雨、綺麗だったから。濡れて帰りたくなって」
「あんたねえ、そんな意味のないことして。風邪引いたらどうするの」

私のセリフに、母は呆れ顔だ。

「とりあえず体拭いて、玄関上がって、さっさとお風呂入っちゃいなさい」

母は、タオルを差し出しながら、私を風呂場へ追い立てようとしてくる。


確かに傘もささずに雨の中駆け出したのは、傍から見たら意味がないことだったかもしれない。
でも、キラキラの天気雨の中を走るのは、最高に気持ち良かったのだ。結果的に、私にとっては意味があることになったのだと思う。
客観的に見たら意味がなくても、主観的に見たら意味がある。
もしかして、世の中に真に意味がないことなんて存在しないんじゃなかろうか。

そんなふうに哲学っぽく考えながら、私は、母からタオルを受け取って、身体に付いた雫を拭い、風呂場へと向かった。

11/8/2024, 9:03:37 AM

あなたとわたしが初めて会ったとき、あなたは10歳、わたしは生後数ヶ月だった。好奇心たっぷりにソワソワと、小さなわたしから目が離せない様子で、あなたはわたしを見ていた。
あなたがわたしを『ムギ』と呼んだ。それがわたしの名前になった。


あなたと毎日行く散歩が、わたしはとにかく楽しみだった。同じ道だけど毎日少しずつ変わっていく景色の中を、あなたと並んで歩くのが大好きだった。1秒でも長く一緒に散歩していたくて、わたしはよくあなたを困らせた。

あなたとわたしは、おうちで一緒にうたた寝したこともあった。わたしのフワフワの毛が、あなたにはすごく心地良いみたいで、すりすりと頬ずりしてくるのが、擽ったくて心地良かった。

あなたとわたしは、公園で一緒に駆け回ったこともあった。あなたが投げたボールを、わたしが取って帰ると、あなたはたくさん撫でて褒めてくれたね。わたしを撫でるあなたの笑顔がキラキラしてて、わたしはそれがとっても嬉しかった。

15歳の頃、あなたは悩んで、よく泣いていたね。わたしはただ寄り添うことしかできなかったけど、それはあなたの力になったかな。なっていたらいいな。


あなたとわたしが出会ってもう13年が経った。あなたは大人になって、わたしはおばあちゃんになった。もうあの頃のように長く散歩したり駆け回ったりすることはできないけれど、あなたは変わらず愛情を注いでくれる。大好きなあなた。あとどれくらい一緒にいられるだろう。
わたしがいなくなっても、あなたの人生はきっと長く続いていく。泣いちゃう日もあるかもしれないけど、どうか笑顔の日がたくさんありますように。



「ムギ、ただいま」

わたしのいる部屋の扉を開けて、あなたが声をかけてくれる。わたしは顔を上げて、声の方を見た。あなたは、優しい笑顔でわたしを見ていた。

11/7/2024, 8:25:13 AM

梅雨明け間近の7月半ば。昇降口から一歩出ようとした私は、日差しがあるのに肌に雫を感じて、驚き立ち止まった。天気雨――所謂“狐の嫁入り”だ。
サァサァと降る雨が、太陽の光に照らされてキラキラと宙を踊って落ちていく。
私はしばらく呆然として、その様を見ていた。
世界にたくさんのきらめきが溢れているようで、幻想的だと思った。

すぐ近くでバッと傘を開く音がして、私はやっと我に返った。
雨の降る様ではなくて周囲の人の様子へ視界を広げれば、普通に傘を差して歩く人、鞄を傘代わりに駆け抜ける人、昇降口を出ずに雨宿りをしている人など、いろいろだった。
私は、折り畳み傘を鞄から出そうとして、やめた。そして、傘をささずに昇降口から雨の中へ駆け出した。
急ぐわけでもなければ、もちろん傘がないわけでもない。こうする意味は特にない。それでも無性に、こうしたくなった。

鞄を傘代わりにして、最寄りのバス停まで駆ける。
宙をきらめく雨が、柔らかく私の身体を叩く。
自分まできらめきの一部になった感じがして、なんだかとっても心が弾んだ。

11/6/2024, 9:35:51 AM

長い長い嵐だった。史上類を見ない大きさと強さで上陸した台風は、各地で土砂災害や河川の増水等の爪痕を刻みながら進み、今日やっと温帯低気圧に変わったという。
私の住む地方は直撃こそ免れたものの、連日激しい雨が降り続いていた。
私は自分の部屋のカーテンの隙間から窓の外の午前3時の空を見上げた。雨はまだパラパラと降っているようで、星なんて見えない。

私は引きこもりで、昼夜逆転した生活を送っている。いつものようにスマホを弄って夜を過ごし、朝になって朝食を食べたら床に就く。今日もそのはずだったのだが、何だか今夜は胸がざわついてしょうがなかった。星の見えない夜との付き合いだってこれまでもザラにあったのに。
自分はどうしてこんなことしてるんだろう。いつもは直視しないようにしている疑問が、頭に浮かんで離れない。特別大きな理由があったわけじゃない。言うなら、小さなストレスの積み重ね。それである日突然朝起きられなくなって、会社に行けなくなった。それから気づけば3ヶ月経っていた。
また現実逃避にスマホを覗き込む。小説サイトを巡って、ゲームをして、時間を潰す。そのルーティンが、一通のメッセージによって破られた。

『ハルちゃん、久しぶり!元気?』

最近は疎遠になっていた友人からだった。こんな時間にどうしたのだろう。いつもだったら未読スルーするそれに、今日は応えてみたくなった。

『身体はまだ元気だけど、心は調子悪いかも。仕事辞めちゃってさ』

この友人には、あまり弱音吐いたことがなかった。それなのに、自然と指が紡いでいた。
すぐに既読がつき、5分あまりの沈黙の後、通話がかかってきた。
私は突然のそれに驚き、通話をとるか否か数秒迷って、結局おそるおそる通話ボタンをタップした。

「ハルちゃん、久しぶり。急にごめんね。今大丈夫だった?」

彼女は思いの外柔らかい声でそう言った。私も「久しぶり。大丈夫」と応える。

「今夜、私、眠れなくてさ。何だか心がザワザワして寂しくて、スマホ見てたら、ハルちゃんの名前が目に入ったから。連絡したくなったの。
そしたら心の調子悪いって返信きて。声聞きたくなっちゃった。深いことは別に話さなくてもいいから、普通におしゃべりしようよ」

彼女はそう言って、本当に他愛もないことを話し始めた。私もそれに相槌を打ちながら、たまに自分から話した。思えば、他人と言葉を交わすのは、すごく久しぶりのことだった。
彼女との会話は楽しかった。ざわついていた心が落ち着いて、安らいだ。


通話は夜明けの時間にまで及んだ。

「ハルちゃん、眠い?ごめんね、長く付き合わせて」

彼女の心配そうな声で、自分がうとうとしていたことに気がついた。もう明け方とは言え、この時間に眠くなるのは久々だった。
彼女の声に大丈夫だと応えた。もうこんな時間なのかと時計を見ながら伸びをする。

「もうこんな時間なんだね。いつの間にか夜が明けて……あ!ハルちゃん、空見て!きれいだよ!」

彼女が言うので、カーテンの隙間から窓の外を見てみる。そして、息をのんだ。
朝焼けだ。雨が上がって、分厚い雲の間から、一筋、強い光が差していた。確かに綺麗だった。心が震えた。自分の中に鬱々と降り積もっていたものが、全て吹き飛ばされるような感覚があった。

「今日は通話してくれてありがとう。楽しかった。この空も、見られてよかった」

自然と彼女に感謝の言葉を伝えていた。彼女は笑って、「こちらこそだよ。ありがとう」と言ってくれた。

通話を終えて、私はずっと閉じていたカーテンを全開にして、窓も開け放った。雨上がりの湿った空気が部屋に入り込んでくる。それは、お世辞にも爽やかとは言い難いものだったけれど、それでも何だか気持ちよくて、私は身体を大きく広げて深呼吸した。
新しい朝のにおいがした。

11/5/2024, 8:59:57 AM

教室の窓からは、一本の木が見える。何と言う種類の木なのかは知らないが、紅葉して、葉を綺麗に赤色に染めていた。


よく晴れた秋の昼。私は窓際の席で頬杖をつき、その葉が落ちていく様を眺めていた。

ひらり。ひらり。

舞い落ちる姿は美しくて、見ていて飽きなかった。
落ちた葉は、地面に赤い絨毯のように広がっていた。


次の日は、嵐だった。ぐわんぐわんと風が吹き、雨が窓にバタバタと打ち付けた。
あの木も風にあおられて、ボロボロと葉を散らしていた。


さらに次の日。前日の嵐が嘘のような秋晴れだった。
あの木は嵐でだいぶ葉を散らしてしまって、残った葉はもう数えるほどしかなかった。
赤い絨毯のようだった落ち葉も、嵐で吹き溜まり、ぐちゃぐちゃになっていて、もう見る影もなかった。

私は窓際の席で頬杖をつき、木をボーっと眺めていた。
一昨日と比べて、すっかり様変わりしてしまったその姿に、近づいてくる冬の気配を感じた。
哀愁を誘われて、私は小さくため息をついた。

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