会話下手な自分を変えるため、ネガティブ思考を縛り付けた。口にすることは全てポジティブで、友達や他人に対して無駄な自責なんてしないようにした。
できるだけ立ち回りを優位なものにできるよう努めた。一返されたら一返して、どこまでも喋り続けて、人を笑わせることに費やした。その場その場での切り替えは得意だったので、それを利用して騒ぐところでは騒いで、黙るところで黙る話し方にした。
見た目も行動もガラッと変えた。
長い間暗い性格だったので、自分が綺麗であればどんなにこの世は生きやすかろうと思っていたため、スキンケアに精をだした。ヘアオイル、美白美容液、ビタミン配合のよくわからない液体、葉酸サプリ、ダイエット、食事制限、ウォーキング、背筋、言葉遣い、その他諸々。
そのうち、友人と話すことが苦ではなくなった。常に疑う必要がなくなったからだ。その連鎖に連なって人と笑顔で話すようになったし、教室内での身の振り方もわかって、順風満帆な気がしていた。
自分を変えてから何ヶ月か経った頃、学校から帰って、夕飯を作ることができない、更には宿題、スマホをみることさえ億劫というような心持ちになってしまって、ひたすらに眠り続けた日があった。
ある日はとにかく甘いものが食べたくて仕方なく、ある日はとにかく遠くへ生きたくて、ひたすらに道を歩き続けた。なにもかも上手くいっているはずなのに、いつも死にたかった。
学校が緊張する場所になった。選択肢を間違えたらゲームオーバーで、笑顔で話している間、あんなに気を遣っているはずの顔面がどんな歪み方をしているのだろうとずっと不安で仕方がなく、休み時間ふと一人になると涙が出そうになるような生活。ポジティブになって人と関わるが増えて得た喜びに心は悲鳴をあげていた。
どうすればよかったんだろうか。笑顔で居続けても周りに人は居なくて、当てつけで悪口を叩かれ、得と損の比率が7:3の今。一生懸命悩みを聞いても無碍にされて、結局わたしはどうなりたかったのかさえ、もうそれすら分からずに、朝布団から出ることがいまから産声をあげる赤子のようにおそろしく不安な気持ちなのに。夜な夜な今日の終わりを振り返って、その時のクラスメイトとの関係の良さで明日の運命が定まるような暮らしで、ひたすらに息が詰まっていて。
いくら幸せになろうとしようとて、私という存在が生き永らえていること自体、意味がないことだったのかも、しれない。
教室に入るあの瞬間、身体が崩れ落ちてしまうような大きい恐怖心。給食で手が震え、年中長袖で体のラインを隠さないと生きられない。距離が遠くても登校時間は早くあらねばならないこと。誰かを叱る教師の怒号に跳ねる心臓と冷えていく足先、蘇りだす過去のあれこれ。やはり泣き出してしまいそうないつもの始まり。
こんな地獄でさえ身につくのなら、生きてこそとでも言うのだろうか。
意味がないこと
強気な子供が怯えて布団にくるまるような時間帯に、公園の敷地を跨いだ。目的は某キラキラフェイスブックモドキアプリで流行っているらしい新作のアイスを、とことん寒いところで食べたいなと、なんとなく思ったから。左手によっかけたコンビニの袋から感じる、ひんやりとした冷気。
「へへ」
唇の端から垂れ落ちそうになる唾液をぐい、と押し込んだ。給食前のわんぱくボーイか、俺は。いい年した成人男性が何をしているんだと正気に戻りかけたそのとき、すっかり通り過ぎた入り口の方から足音が聞こえてきた。こんな時間にランニングとはご苦労なことで、と徐々に増え始めた体重を知らんふりしている己の体に乾いた笑いをこぼして、すぐ。トタタタッ、と近づいてきたその音は、共犯か否か。
「ひっ、……〜〜〜〜〜〜ぅ"ぇ〜〜〜〜〜」
かわいらしいふんわりと下半身を覆う花柄のスカート、きらめく目元のアイシャドウ。上半身に纏っている、秋らしい半袖とカーディガンという組み合わせ。まず間違いなく、共犯ではない。そして恐らく、学生時代を三人の友人とだけで過ごした俺とは、確実に別の人種だろうと。てか泣きながら深夜の公園駆け込み寺ってなんだ、ジブリかよ。ただのアイス好きな小心者の俺がそんなことを言えるわけもなく、かといって今、コンビニの袋をわさわさとかき回すような真似すらできず。
「っく、ぅ、ひっ、っう、ぅ"〜〜〜〜〜」
ひっくひっくと子どものように泣く女性。ここまできれいにおめかししてそんな泣くことある?マジでどうしたんだと本気で心配になってきた俺が、行き場のない手のひらをくるくるとかき回していれば、まるでそこが予約席でしたよ、と言わんばかりの貫禄で、彼女はブランコの座席に腰掛ける。怪我が治って自分の足で歩けそうな風景だな、と金曜ロードショーに感化された脳でそう述べていれば、彼女はナイアガラのように流れ行く涙を留めることもなく、いきなり鉄臭い持ち手を掴み、小さな白色のパンプスをぐり、と地面に擦り付けながら、思い切りブランコを漕ぎ始めた。編み込みのやわい栗色の髪の毛が宙を舞う。
自分の腕の関節に飾られたままの袋が擦れる音は、しっとりとした水音を含んでいる。もうきっと溶け出したこれは、食べ頃なのだろう。スプーンは、入れていたっけか。そもそもこのアイス、何味なんだっけ?
随分と長引いた夏の陽気に叱られたかわいらしい秋が流した風が、包み込むような風が、真紅な頬を撫ぜる。秋だというのに。熱を持った身体とやけに耳を打つ鼓動の音に、どう言い訳をしたら良いんだろう。
たぶん、諦める他にないのだけれど。
彼女のスカートの透けた向こうで笑いを携えているお月さまに笑顔を返して、一生分の勇気と少しばかりの期待を持ちながら、左手の行く先を探しに、季節外れないちご味のアイスをかかえながら、僕は空から降ってきたような彼女の元へ駆けていった。さて、まずはどう声をかけようか。
踊りませんか?
さて君、これは経験論だけれども、自分に対する好感度というのはヘンテコな嘛術を使わずとも図れるものであると私は思うのだよ。
それは如何様にすればいいのかといえば、とりあえず予定をこぎつけてやること。それぞれ一通りの動作を終えた後、誰もが別れるだろう。その別れ際の動作、発言、行動によって、好感度がわかるのだ。嘘だと思うなら思い返してみてほしい、嫌いな相手にわざわざ、「またね」と言ったことはあるか?来週の予定を聞いたことは?夜道は危ないなんて、街灯のきらめく大通りを二人で並んで歩いたことは?大抵無かろう、私だってどうでもいい他人なんぞに好んでこんなことはしない。
済まない、どうでもいい前置きが長くなってしまった。風の噂で聞いたけれども、御父さんが床に附せているそうだね。私にできることがあればなんでもしよう、手を借りたい時は言ってくれ。遠慮なんてする仲ではないだろう。また何かあったら何で言ってくれ給え。
追記、ところで、この間贈った花束はお気に召しただろうか?先の手紙をみる限りただの花束だと思っているようだれけども、君、鈍感なのも大概にしたまえよ、餌を前にしてしびれを切らした狼が何をしでかそうとするかくらい、君でもわかるだろう。
別れ際に
最近、付き合い始めた子がいる。きっかけは大学の講習科目が同じで、バスの乗り継ぎでよく目を合わせていて、更には友人の紹介で引き出されたひとが、喫茶店の甘い香りを纏ったその人本人であったという、そんなとてもありきたりな出会い方だった。
成績が良いだけの所謂陰気な僕のどこを彼女が気に入ったのかはわからないけれども、二つ返事で成り立った恋路に、僕自身それなりの満足感と幸福感を抱いていた。もちろん、人生初ともいえる彼女がひたすらにタイプでかわいかったからである。
付き合いだしてわかったことは、想像より彼女がずっとオシャレ好き、かつ自分のかわいらしさというものを追い求めているということだった。
水族館のショーを見たあと、化粧直し。ご飯を食べたあと、化粧直し。僕の家で流れたドラマに瞳をうるわせて、慌てたように鏡を覗き込む。そんなに気にしなくてもかわいいと言うのだけれども、「くせなんだよね」「ごめんね」と眉を下げるばかりで、変に気を使わせてしまったと僕が自省するばかりであった。そうして共にふたつきを過ごして、冷めやらぬ熱が青い空に根付いていたのもすっかり面影ばかりになった頃。
窓を開ければつきつきと刺すような冷たさが身体をなぞるような窓辺で、寒がりだというのにわざわざ毛布を抱きしめながら洗濯物を干す僕の足元でスマホをいじっていた彼女。またショッピングページでもみてるんだろうな、と僕が横目で見ていれば、彼女こぼれてしまった、というふうに「かわいい」と呟く。かと思えばすぐにページを閉じた。
「どうしたの」
「今見てたアイシャドウさ〜パケがかわいかったんだけど、色味ブルベ冬っぽくて。わたしイエベ春だから合わないと思うんだよね」
なんだそのイタリアン料理店のお通しでギリでてこなさそうな名前。右も左もわからない僕がイエベって何?と聞けば、イエローベースの肌の色のことだ、と唸り声を挟みながら彼女は答えた。アジア系の人間の肌なんてみんな黄色がかってるものじゃないのか、と言おうとして、やめた。主語のない発言と同じくらい、層を限定した言葉はどこの方面に何を言われるかわからない。
そうして僕が洗濯物を干し終えた頃には、寒さがピークに達したらしい彼女はもう足元にはいなくて、テレビが悠々とみられる暖炉脇のソファでぼおっとしているようだった。洗濯かごをかかえながら、その顔を見つめてみる。コンプレックスらしい控えめな鼻、常にキラキラとしている瞳。薄く開いたくちびる、あどけない顔立ち。頬に差し込む夕焼けのようなあたたかみ。
「なに?」
ぱちりとまたたいた彼女の目が僕を捉える。思い出すのはさっきのイエベなんちゃらと、栗モンブランと、今朝の紅葉のニュース。たった今、どうしようもなく募りだすこの感情を、どうしたらいいのだろう。こんなの必修科目じゃなかっただろ。
きっと僕が文豪ならば、この気持ちひとつ表すためだけに原稿用紙を使い果たしてしまえるだろうに。君への恋慕できっと死ぬことだってできる。
「か、わいいなと思って」
詩人にしてはひどく簡潔で率直な僕のひっくり返った言葉に、彼女の頬の色がぶわりと広がる。秋だね、と僕が言えば、外見てから言ったら、と彼女が目を逸らした。十分見てるよ、僕が一番好きな、愛しい秋の美しさ。
秋恋
たぱり。頬を濡らしたそれを拭う暇もなく、傘も持っていないのにあたりは一面土砂降りになってしまった。さいあくだね、と呟けば、そうだね、と笑う友達の顔に影が差す。家族と喧嘩をして家に帰り辛いという話をしていたのに、到底徒歩では帰れないような環境になってしまったためだった。
「ほんと、散々だね、私たち」
スマホを握りしめ、俯いたまんまの彼女は言う。雨に包まれるように溢れた言葉に混ざり込む、生まれたての子猫みたくか弱い嗚咽に知らんぷりをして、わたしはひたすらこの雨が止むのを待っていた。彼女は弱さを見せることを嫌うから。ただちょっとだけ、共鳴するようにざあざあと音を立てる水の粒を羨ましく思いながら。
ふたりとも家に帰って、学校に行って、そのうち青空が痛いほどになって、青い風がスカートを揺らして。ついに社会に解き放たれてまた何度目かの秋を迎えた、何でもない日。久しぶりに覗いた郵便受けの中には、同級生の葬式参列の有無について記された紙が置かれていた。流れるように口に出せば、思い出がまざまざと蘇る。間違いなく、あの友人の葬式だった。
急いで電話番号に連絡を入れ、数日後大慌てに慌ててたどり着いたそこで、彼女は幾分かちいさな箱のなかで眠り込んでいて、あたりに飾られた名前も知らぬ花々が顔色を良くしようとがんばっているよう、に見えた。あの時喧嘩していたお父さんにどうしてと聞けば、悪腫瘍が移転したことによってできた病気で、と瞳をゆるりと潤ませながら教えてくれた。入院中の話をついでに語られながら、学生時代とは全く違ったその様子に、彼女が幸せだっただろうかと、素直に思った。わたしは幸せのキーにはなれなかったのだな、とも。
燃えたあとの遺骨をどうこう、というものはなく、私を含めた同級生その他親戚友人一同は、彼女に手を合わせた時点でお開きとなった。随分あっけない終わりだと、かの日を重ねて思う。
ふと、時計を見やると、時刻を見る前にぽたり、と視界がぼやけた。ぽた、ぽたと持続して降るものに手を伸ばし、黒い服の袖で拭う。涙ではない。天気が悪いから降る、あの雨だった。さっきまで葬式にもかかわらず、見事な晴天だったのに。
_もしかして。もしかしたら、人前でとてもとても意地っ張りなだけで、実は泣き虫な彼女が、私のために泣いてくれているのだろうか。どうして泣かないのと、怒ってもいるのだろうか。
ありがとう、と呟き、鞄の中の傘を差した。雨粒の姿をした彼女が、寂しがりな彼女が入ってこられるように、少しだけ自分の肩を濡らしながら。
空が泣く