光り輝け、暗闇で
――光の届かない場所。
ここは深海である。暗い。全き闇に支配されたこの場所は、深海の中でも最も深い。深すぎて地球の裏側の海へと、実は通じているのだが、それを知るものはここにはいない。
暗いので目を使う必要がなく、目を退化させ、無くしてしまった魚がいたり、暗すぎて生きていることを実感できず、全く微動だにしないため、石のごとくになった貝もいた。
目が見えていても暗いので、ミメアは泳ぐたび、よくぶつかった。ぶつかっては、今のは何だったかなと思うが、考えたところでわからない。わからないことはすぐに忘れた。いいも悪いもない。その“何か”が食べられそうなものなら食べた。噛みついてみて、肉が旨ければ囓りとった。
その逆もあった。主に上半身をやられた。だが、少しくらい肉を食いちぎられても回復できた。柔らかい上半身に比べ、下半身は硬かった。ダイヤモンド並みの強度を誇る鱗に相手の歯の方が折れることもよくあった。
たまに、光るものが通ることがある。それは、チョウチンアンコウが頭にさげている電球だったり、クラゲがためこんでいる電気だったりした。それ以外ではスマホだ。
ただ一度だけ、スマートフォンが深海に落ちてきたことがあった。防水性能の高さのなせる技なのか、水圧の影響を受けていないのか、ひしゃげもせず、ミメアの手のひらに収まった。
明るい光を放っていた。暗闇に向かって照らすと深海の様子がよく見えた。
ここが街なのだということを、ミメアは初めて理解した。石造りの建造物があちこちにあった。誰かが住んでいたと思われる跡だ。
「こんなところだったのか、ここは。照らしてみないとわからないもんだな」と、ミメアは感心し、発見する喜びを知った。
スマホは数日でバッテリーが切れた。ずっと使えるものだと思っていたので、ミメアはがっかりした。
光がないと詳しく調べられないじゃないか、そう思った。
だが収穫もあった。まわりの生き物たちの姿形がわかったのである。
目の無い魚は気味が悪かった。目のあるべき場所がつるりとしていて、何もなかったのだ。それとは逆に、巨大な目が体の半分を占める魚もいた。なんだか怖いと思いつつも、ミメアは目が離せない。
石のように見えるものは、石ではなくて貝だった。集団になってびっしりと固まっていて、まるで石畳の道を作っているようだった。
ふにゃふにゃと漂うクラゲは、何かのはらわたのようにしか見えなかったが、やはりよく見るとクラゲなのだった。
いつも気に入って腰掛けていた岩が、実はとてつもなく大きなイカの胴体だったのに気づいたとき、ミメアは飛び上がって驚いた。横たわった巨大なイカとはつゆ知らず、蹴ったり寝そべったりしていたからである。
ミメアは光を欲しがった。
「待ってたってスマホが落ちてくるわけじゃないしな。アンコウを捕まえて従わせる?あの光じゃ弱いか。クラゲ、……アンコウより儚い光だ」
真っ暗闇はつまらない。
ミメアは発光体を探して泳いだ。スマホのように中に光りを蓄えてるものが欲しい。といっても暗闇なのだから探しようもない。
海底が振動している。
それは突然の出来事だった。
深い深い海の底にあるマンホールが開いたのである。これは地球の裏側の海へと通じている通路のフタだった。
数日前から泡をはき出し、カタカタと音を立てていた。深海のものたちは、ミメアを含め、誰も気がついていなかった。ただひそやかに、マンホールは向かってくるエネルギーを抑え込んでいた。それがついに、押し出す側の強い力が勝って、外れたのである。
そこから光があふれた。
まばゆい光であった。
目の無い魚は、無い目で光を感じとった。体の半分が目で占められている魚は、まぶしすぎて目が潰れた。石のような貝は、照らされて、閉ざしていた殻を全開にした。長い長いイカは横から縦に体勢を変え、屹立した。はらわたのようなクラゲは、マンホールから吹き出す急流に抗えず、遠く広がる闇へと押し流された。
ミメアは、この真っ暗な深海の全貌が照らされるのを目の当たりにし、何か計りしれないことが起きているのを察知した。それは世界の反転だ。暗闇が消えて、光が満ちる――。
ミメアの瞳孔が開き、冴えたブルーの瞳が輝いた。沸き立つ興奮で、下半身を覆う鱗が虹色に変化していた。
酸素
スーパーでの買い物帰りの駐車場で、ツバメを見た。ツバメの形はわかっている。だから、あれは間違いなくツバメである。
ツバメのシルエット柄のカーテンを長いこと使っている。毎日開け閉めするたび目に入るのである。実物の形がカーテンの柄にそっくりなことに、深くうなづく。違うところも見つけた。実物のほうがカーテンの柄よりも小ぶりである。
で、それが数羽、青い空を背景に飛びかっている。
駐車場は広く障害物もないので、ぶつかる心配がないのか、思ったよりも低いところを滑空している。
手を伸ばしたら手にぶつかって、落ちるのではないかと思えた。そんなことはしないけれど。それに実際そこまで低く飛んではいない。
しばらく見ていたら、ツバメは高いところから、すいっと急降下する動きを見せた。地面すれすれまで迫っていく。すれすれを飛んでいる。
おおお?
墜落すると見せかけて墜落しないのだ。ちょっと面白い。
だけど、もっと面白いのは――。
失敗して本当に墜落することだ。
ああそうだ。部屋のカーテンを変えようと突如思いつく。あれは色あせている。くたびれていて見飽きてる。そうしよう、それがいい。
私は車に乗るとエンジンをかけ――、
……え?酸素?そうだった。酸素系漂白剤を買いにきたのを忘れていた。私はスーパーに隣接するドラッグストアへと歩いていった。
記憶の海
記憶は海を漂っている。
だいたいは海中を浮遊してるんだけど、長いこと海底に沈んだままになってるのもあるし、沈んでたのが何かの拍子に泡のように浮かび上がってくることもある。
記憶はドロップに似ている。色や形や味にいろんなバリエーションがある。
私は記憶の海へ出かけていっては、これはと思うドロップを拾って食べている。といっても主食じゃなくて嗜好品。退屈しのぎなんだ。
今日も記憶の海は浮遊するドロップでキラキラしていた。苺のようなキュートな赤いのや、雫形したアクアマリンぽいの、ゴールドのラメ入りの透明なのとかには、自然に目が吸いよせられる。
それに混じり、これはちょっとなと、敬遠するタイプの記憶もちらほらと漂っている。どす黒くてグミみたいなのとか、形は宝石なんだけど濁って何色だかわからないやつ。前にうっかり口にして、苦みやえぐみで吐き出しかけたのもあった。腐ってるんだかなんだか、口の中で崩れてキモってなったのもあったっけ。この系統、絶対避けたほうがいいな。
さんざん迷って選んだのは、キラキラとして透き通ったレモン色の宝石みたいな一粒だった。口に放ると甘酸っぱさが広がり、記憶の再生が始まった。
青い空と入道雲。夏休み。プールの帰り道。男の子と女の子。ふたりは手をつないで歩いてる……。
――私は力を抜いて、しばし海に身をまかせる。
なめ終えるとともに記憶の再生も終了した。
「ふうん」
なんかいいところで終わっちゃったなー。
物足りなくて、私は海底街のコーヒーショップに向かった。カフェモカを片手に席を探していたら、知ってる顔が手を振っていた。
「よぉ。記憶食べてきたのか?」
記憶の海に来てるんだから当たり前でしょ。私はイオリにレモンドロップが持ってた記憶を話してあげた。
「そこで終わりかよ?なってないなー。そんなつまみ食いみたいな食べ方じゃな」と笑われた。
私は面白くなくて頬を膨らませた。
「じゃあ、あんたはどんなふうに食べるのよ?」
するとイオリはしたり顔で、わざとらしく間をとって言った。
「同じ人間の記憶を集めるんだよ。記憶にはバーコードが付いてるだろ?」
それで個体が識別できることは知っていたけど、全く気にしてなかった。
「集めた記憶を古いものから順に食べるのさ。するとどうなる?」イオリはニヤリと笑った。
「あ。記憶がつながるね」
「そのとおり。ニナが見たやつだって続きがどこかにあるはずだ。それ以前の記憶だってたぶんある。探すのは大変かもしれないけどな。どうせ退屈してるんだし、食べるなら旨くして食べたほうがいいだろ?」
私は「なるほど……」とつぶやいてから「でも」と首をかしげた。
「じゃあさ、真っ赤な血みたいのとか、毒々しい紫のやつとか入ってたらどうするの?」
「いいんだよ。それはスパイスってやつさ」
スパイスかあ。あのいらないと思ってた記憶、こいつはちゃんと食べてたんだな。
「んー、検討しとく」
私はイオリの手前クールを装った。でも内心ではこの話に強く興味をひかれていた。早く新しい食べ方を試してみたくてうずうずしていた。
未来への船
未来へ行く船が出航する。
船には皆が乗っていた。賑やかで、これから向かう先に人々は希望を持っているようだった。
私は岸にいる。岸には人影がまばらにあった。岸は暗くて、人は闇に沈んでいる。私はひとりぽつんと船の出航を見送っている。
そんな夢を見た。
未来へ行く船は、現実に出航する。
私はチケットを持っている。なぜかチケットが届いたのだ。
『未来へ連れて行ってもらえるんだから、お乗りなさい。チケットがもらえない人だっているんですよ』
周りの意見はおおむねこんな感じだ。船のチケットは、オークションで高値がついているし、奪い合いも起きていて、事件にもなっていた。世間に疎い私でも、すごく価値のあるものだということはわかっている。
けれど。
私はこのままでいい。このままでいたいのだ。そう思う。
それに準備だってまだできていない。船に身ひとつで乗り込む勇気はない。
家族は着々と支度を始めて、出航のひと月前にはもう、船の方に住み始めた。
妻(と二人の子供)は、私に愛想を尽かしていた。いつまでも私がぐずぐずしているからだ。妻が頼りにしている相手は他にいる。それを私は知っていた。いつからか私は、妻(と二人の子供)にとって用のない人間になっていた。
部屋が騒がしい。
部屋のモノたちが動き始めている。
テレビ。PC。机。椅子。それらに手足が生えていた。手にはチケットを握りしめている。部屋のドアを開けて、ぞろぞろと行進していく。大きなモノの後には小さなモノが続いた。本。マグカップ。スリッパ。顔のあるモノは私のところへやってくると、ひとことふたこと何か言ってから、列に並んだ。招き猫がにゃあと鳴いてお辞儀をし、ダルマがさらばだと言ってぴょこぴょこ跳ねていった。
大半のモノが消えていた。ゴミ箱が去って行ったため、そこらじゅうにゴミが散乱していた。
家が揺れていた。ものすごい揺れだ。家具などはなくなってしまったから、潰されずに済んでよかったと思った。私は床に這いつくばって、掴まるものもないので、端から端へと揺れるたびに滑っていった。
家は歩いていた。船に乗るつもりなのだ。このままいけば、私は家ごと船に乗せられてしまうだろう。
そうならそうで、そういう運命なのだろうと思う。こうなってしまったからには、それはそれでしかたのないことなのだと思う。
船はさまざまなものを乗せて、今晩、未来へと出航する。
静かなる森へ
静かなる森へ踏みこむ立ちあがる
ハイファンタジー新たな世界
一万で終われないとかその後は
連ねたことにまずねぎらいを