勝ち負けなんて
か 「勝っても負けてもどっちだって
いいんだよ。結花はがんばった
じゃないか」
ち 父は泣いている私の頭をなで
ながら穏やかにそう言った。
ま 負けん気が強い子どもだった。
彩にかけっこで負けたとか、
劇の主役に選ばれなかったとか
でよく泣いた。
け けなしたりしない人なのである。
「参加することが大事なんだよ。
木の役、いいじゃないか。
結花は結花らしく、のびのび
成長してくれたらそれで
いいんだよ」
なん なんて父は優しくて、正しいこと
を言うんだろ。泣きやんで
から、思うことがあった。でも
それってさ、牙を抜かれた猛獣
みたい。噛みつきたい気持ちは
どうしたらいいのよ?
て 「てかさ、勝たなきゃ意味ねー
から」彩を従えて、私は雪菜の席
に向かう。限定品のコスメを
見せつけるために。数年が経ち、
私はいちいちマウントを
とらないといられない女子に
成長していた。
やさしい雨音
や 「やっぱりここにいたのね」
さ 「探しに来てくれたのか?」
し 「しばらく電話がなかったんだもの」
い 「いなくなったりしないさ」
あ 「愛してるわ」
ま 「またいきなりだな」
お 男は笑った。だが男の他に、そこ
には誰もいなかった。女性と思われ
た声は、どうやら男が発したもの
らしかった。
と 通り雨が上がり、空が明るく
なった。光を避けたかのように
男の姿はなくなっていた。
そっと包み込んで/歌
そ 「そんな弱音は吐けないよ。
つ 強くあるべきだ」
と と言う。そして、
つ 「疲れてるのね。
つ 辛いときは素直になったほうが
いいわ」と返す。
み 「見たくないんだよ。直視する
勇気がないんだ」
こん 「今度、カラオケにでも
行かない?歌うとスッキリ
するわ」
で 電話をしている。どこにも
繋がっていないが。
※※※
う 後ろに人が並んでいる。今どき
公衆電話でもないだろうに。
た タイムアップだ。使わなかった
10円硬貨を手のひらにそっと
包み込んで、俺は電話ボックスを
後にする。その足でカラオケ
ボックスへと向かう。
昨日と違う私
私は仮想現実世界に住んでいる。現実世界を知らない。
仮装と名前がついている以上、ここは現実の仮の世界なんだろう。ここではないどこかに、仮ではない本当の世界があるってことだ。
学校の教科に『現実』の授業はあるんだけど、本当かなそれって感じで、あまり現実味が持てていない。
私はここ(仮想世界)で生まれて、ここ(仮想世界)以外の世界を見たことがない。だから私にとってはここ(仮想世界)が現実なんだ。
※※※
朝。学校に行く途中で、空を泳ぐ鯉のぼりを見た。空を埋めつくすほどの大集団だ。
日向の道を歩いてるんだけど、鯉のぼりたちが頭上に来たときは影がさーっと私を通り過ぎていくから面白い。大きいのから小さいのまでが群れをなしている。どこに向かっているのだろう。
道の隅にはイカが転がっている。体長3メートルはある。白くて長くてブヨブヨしている。このイカはいつも隅に現れるから通行を妨げることがないのが良いところ。
学校の帰りにパン屋に寄った。パン屋の外壁に目が出現していた。目たちはあちらこちらを見ていて、いつもせわしない。
パンには耳がある。人間の耳がひとつくっついている。どのパンにもくっついているので食べるときは取る。古くなるほど耳は増えるから、あまりに耳だらけになったパンは、食べない方がいいとされる。
「ただいまー」
家に帰ってきたら、お母さんが、カナリアのしっぽに噛みついてるじゃがいもを取ってあげてるところだった。
カナリアはペットの猫で、黄色の毛並みをしている。毛色から、レモンやバナナや月光と、いろいろ連想したんだけれど、うちのピヨコ(カナリア)と同じ色だとしか思えなくなり、カナリアと名付けた。猫にカナリアと名付けたら、鳥のカナリアと混同するよ、と家族には不評のネーミングだったけど、特に混同はおきてない。
「うっかりしてたわ。カナちゃん、ちょっとじっとしててね」
お母さんがじゃがいもを勢いよく取った。そのとたん、カナリアはニャッと鳴いて、お母さんの腕をすり抜け逃げていってしまった。
じゃがいもが、しっぽを噛んだってことは、歯が生えたってことだ。じゃがいもはキッチンに転がしておくと目ができて、放っておくと目だらけになってしまう。ギョロキョロと絶えず目玉を動かしている。あんまり増えると食べない方が良いとされている。そのうち目だけじゃなくて歯も生えてくる。そうなると、そのへんにあるものに噛みつくようになる。
※※※
……などと書いてるのは、仮想世界でしか起きない現象を整理して、現実世界との比較をしようとしているからだ。学校の『現実』の時間に提出するレポートなんだ。
現実世界の法則については、勉強中。現実世界との行き来は、なかなか出来るものではないという。だから学んで何になる、という人もいるけど、知識は得たい。だって面白いと思うから。
※※※
現実世界には、もう一人の私がいるという。これはあくまでスピリチュアルな話なんだけど、私はそれを信じてるんだ。もう一人の自分は、自分とは正反対の性質を持っているとされている。現実世界の私がどんな人なのか、有名な易者に見てもらったことがある。
『トゲトゲしたソフトクリーム/
恥ずかしい伝説/
血走った酔っ払い』
というのが現実世界から受け取ったメッセージだそうだ。これを読み解くのが易者の手腕だ。
『冷たい態度をとったかと思えば、次の瞬間には甘えてくる性質を持つ。公開処刑のごとく生き恥をさらす人生。血気盛んで、酒に酔ったように何かに耽溺している人物。』
……ちょっと散々じゃない?あんまり会いたくないかも。
※※※
夜。私と現実世界の私が入れ替わったら面白いだろうなと空想することがある。ベッドの中でそんなことを考えてると、瞼が重くなってくる。明日の朝起きた時、もしそうなっていたなら、私は昨日と違う私になれる。
空に溶ける
そ 空に浮かぶ城は
気まぐれに地上へ
ら 螺旋階段を降ろしてくる。
に 人間が登ってくると
階段の前後を空に
と 溶かして消してしまう。
け 蹴り飛ばすまでもなく
人間は
る 瑠璃色の海へと落ちていく。