表裏

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10/11/2023, 10:28:08 AM

黄昏の教室。
とん、と書き終わったノートで机を叩く。

開いた窓の向こうからは運動部達の賑やかな声が聞こえてくる。
まるで帰宅部のクセに帰らず、わざわざ教室に残って宿題を済ませる私をからかっているみたいだ。

だってしょうがないじゃないか。
なんて、誰に言うでもない文句を心で唱えて口を尖らせる。いや、言いたい相手はいるけれど。

そう、しょうがない。
しょうがないのだ。

そんな私を風までが笑う。
ふぅと強く吹いたそれにカーテンが広がった。

手招くようなそれ。
邪魔だからという理由を引っ提げて、椅子から腰を上げる。
そしてまとめてしまおうと思って手を伸ばした私を…それはばさりと食べてしまった。

あぁ、ほら、またここにいた。待ち伏せていた。

視界を占める蕩けるような眼差しの中に満更でもなさそうな自分を見つけて嫌になる。
このひとときの為に、だなんて。

本当にひととき。
正気に戻った頃には、私はごそごそしたカーテンを握りしめてポツンと立っているだけ。

黄昏の教室。
とん、と上履きを鳴らして背を向けた。

熱いのか冷たいのか、本当に触れたのかも分からない唇を撫で、上を向いている口端に呆れ返る。

適当な廊下で背中を壁に押し付け、ずるずると座り込む。
あぁ、まったく。私ときたら。
なんて厄介な者に『 』してしまったのだろうか。

視界の端で、やっぱりからかうようにカーテンが揺らいだ。

9/29/2023, 12:12:05 PM

ぐしゃぐしゃのプリント。
書きなぐられたノート。
ボロボロの枕に、割れた写真立て。

パソコンのキーボードには乾いた涙の痕。
いつだかお気に入りだと言っていたカーペットに落ちた黒は、元々何色だったのだろう。

静寂につつまれた部屋。

大人は、その時まで何も、知らなかった。


ー反転ー


ぐしゃぐしゃの脅迫文。
書きなぐられた懺悔。
ボロボロの手に、割れた爪。

皺の刻まれた頬にはまだ乾かない涙の痕。
色違いで揃えたカーペットを濡らす水分は透明なのに、赤く見えるのは夕日のせいか。

静寂につつまれた部屋。

子供は、その後の事など、知りもしなかった。

8/5/2023, 1:09:44 PM

カラーン、カラーン、カラーン…

鐘の街『ホロウベル』に鐘の音が響いた。
黄昏時にだけ鳴るそれを合図に、人々は店を閉め、明日の約束をし、そうして帰路に着いていく。
この街で夜も灯りが灯るのは酒場と宿屋くらいなのだ。それも他の街に比べたら早くに消えてしまうけれど。

街の近くで魔物を狩っていた男もまた、遠くに響く鐘の音に解体の手を止める。

「ああ、早く帰らねば。夜が来てしまう」

ホロウベルの夜は人の時間にあらず。
人で在りたくば夜道を厭い、日が沈む前に帰りなさい。
それは街に住む者なら赤子の時分から聞く戒めだ。

男もまた幼い頃から両親祖父母から口酸っぱく言われ、律儀に夜を嫌う街の模範である。

…否、そうなったのは最近の話。
少し前まではそんな迷信クソくらえと反抗していた。

きっかけは二月ほど前。彼の幼馴染みにして親友が若くして病死した日に遡る。
ショックで憔悴していた男は、周りの注意をはね除けて夜まで狩りに勤しんでいた。体を動かしていないと窶れた親友の顔が浮かび、耐えきれなかったのだ。

そうしてカラーンと一つだけ鳴った鐘の音を無視して魔物を倒し続けた末に、男は明かりの消えた街を疲労で重い体を引きずって歩いていた。
その時。

「…ぁ…あ……ぁ」
「ん?何だ?」

風に紛れて聞こえた声に、男は注意深く辺りを見渡す。
人の事はいえないが、この街で夜出歩くなどまともな人間ではない。

他所の流れ者か気狂いか。
腰の剣に手を添えた男はしかし、予想とは違う答えを知ることとなる。

「あぁあぁぁぁぁぁ」
「な!?お前…!?」
「あぁぁあぁは、はははは!あぃぼウ!ァいぼぅ!!!」

目の前に飛び出してきた声の主は、死んだ親友だった。端から崩れていくような掠れた声に、透けた体。生気のない顔に今まで浮かべたことのない醜悪な笑みを張り付けて、"ソレ"は腕を広げる。

「む、むむかぇえぇ!!いぃぃぃいし、ししょニににひひひははははは!!」
「や、やめろ!来るな!来るな!!!」

それは本能的な恐怖。
捕まったら"同じ"にされるという危機感。
男は分かってしまった。親友が…魔物になってしまったのだと。

「あぁあぁぁぁぁぁははははハははは!」
「クソ!嫌だ!!嫌だ嫌だ嫌だ!!」
「いっししシしょに!またあぁそブぶぶぶ!ずずずっト!!!」
「助けて!誰か!誰か助け…っ!!」

あぁ、もうダメだ。男がそう目を閉じた瞬間。

「ぃぎゃあぁぁぁぁぁ!!!」

悲鳴が耳を貫き、目蓋を光が焼いた。
何が?と恐る恐る目を開けた男が見たのは…

「朝、日…」



カラーン、カラーン…

鐘の街『ホロウベル』では鐘が鳴る。
黄昏時に鳴るそれは、その日に死んだ者の数を…増えた仲間の数を歓迎する為の、霊魔(レイス)が鳴らす鐘の音だ。

人で在りたくば夜道を厭い、日が沈む前に帰りなさい。

その地下にいつのものか分からぬ巨大な地下墓地(カタコンベ)を有する呪われた街は、今日もその戒めを子供達に説くのである。

7/24/2023, 3:54:31 AM

「花、花、咲いて。花咲いて。
はやくに咲いたら帰りましょう」

越してきて数ヶ月。ようやっと慣れ始めた帰路の途中で、彼女はそんな歌を聞いた。

つなたい言葉遣いで紡がれる、少し調子外れの歌。
聞いたことの無いそれは、音の出所たる少女の自作なのだろう。
この時間にしては珍しく人気の無い公園で、ベンチに腰掛けて体を揺らす少女の。

はて、どこの子だったか?

野暮ったい服を纏ったその子に見覚えはなく、いつも帰宅時間にここを占拠している近所のやんちゃグループではなさそうだ。
どちらかと言えば大人しそうな少女である。

夏休みの課題なのか植木鉢を大切そうに抱え、縁でとんとんとリズムを取りながら歌う姿は子守唄を聞かせているようだった。

「花、花、咲いて。花咲いて。
花が咲かなきゃ帰れない」

「花、花、咲いて。花咲いて。
おむかえ待ちましょ花つぼみ」

「花、花、咲いて…あれ?おねーちゃん、だあれ?」

なんとなく足を止めて聞き入っていた彼女は、少女に声をかけられてビクリと肩を揺らす。
澄んだビー玉のような瞳に見つめられ、盗み聞きした後ろめたさに背が丸まった。

「ごめんね。歌が聞こえたから、つい…あなたが作ったの?」
「うん!そうだよ!」

にぱっと笑った少女は、抱えていた植木鉢を見て見て!と掲げる。

「あのね、お母さんがね、このお花が咲いたらむかえにくるから待っててねって!だから、はやく咲かないかなぁってうたってるの!」

純粋無垢な笑顔が草臥れた社会人たる彼女には眩しく感じられて、思わずそっと視線を下げた。
そして僅かに目を見張る。

「…そっか」

しかしすぐ何事もなかったかのように顔を上げ、笑顔で植木鉢と少女を見比べた。

「早く咲くと良いね」
「うん!きっとすぐだよ!あーあ、どんな花が咲くのかなぁ!」

落ちつつある夕日が影を伸ばし、カラスが一足お先にと鳴いて去っていく。
ぎゅっと植木鉢を抱え直した少女はまろい頬を期待に溶かしてくふくふと笑った。

彼女はずり落ちた鞄を肩にかけ直し、そんな少女にゆっくりと手を振って別れを告げる。

「じゃあ、私は行くね。一人で大丈夫?」
「ん!だいじょーぶ!ずぅっと一人だけど、だいじょーぶだったから!」
「分かった。じゃあ…ばいばい」
「ばいばい、おねーちゃん!」

一人分だけ伸びた影を踏んづけて、彼女は帰路を急いだ。

「花、花、咲いて。花咲いて。
はやくに咲いたら帰りましょう」

花が咲いたら、なんて…何ともロマンチックな待ち合わせだ。言葉だけなら。

「花、花、咲いて。花咲いて。
花が咲かなきゃ帰れない」

彼女はスマホを取り出して検索をかける。

「花、花、咲いて。花咲いて。
おむかえ待ちましょ花つぼみ」

あぁ、やっぱりだ。

「花、花、咲いて。花咲いて。
待てど膨れぬつぼみはいずこ。
花、花、咲いて。花咲いて…」

あの植木鉢の植物は…花を咲かせない。

「開かぬままに、花が散る」



7/19/2023, 1:11:05 AM

あぁ、もう、どうして私だけ、私ばかり。

カタカタカタとリズミカルに叩かれるキーボードの合間に、女性は理不尽を嘆く。

終わらない仕事。積み重なるストレス。
職場の同僚はせかせか動き回る彼女など見て見ぬふりで、"自分に厄が回ってこなくて良かった"と無理しないでねと励ました顔の裏側で笑っているのだ。

こんなに頑張っても給料は上がらないし、残業手当てだって雀の涙。
こちらの休みは満足に取れないくせして、上司やそれに気に入られてる連中は平気で休みを取っていく。

あぁ、どうして、自分ばかりが損をする。
私だけ、私ばかり。

けど、嫌だ嫌だと駄々をこねたところで世界は変わらない。
そんなのは理解していて、だからこそやるせないのだ。

誰かが変えてくれやしないだろうか。
例えばあの仕事が出来る彼とか、要領のいい彼女とか。
私なんかより出来る人間が頑張ってくれればいいのに。

あぁ、そんな事を言ったって仕事は終わらないけれど。

「はぁ、どうして私ばかりがこんな目に」

長い長いため息でキーボードの埃を散らしていた彼女は知らない。

彼女のいう仕事の出来るエリートの彼が、要領のいい彼女が…同じ言葉を吐いていたことを。

あぁ、どうして私が、私ばかり。

会社の外でも同じこと。
周囲に馴染めぬ子供が、育児に翻弄される母親が、家庭内で村八分にされてる父親が、フラれた女が、ギャンブルに失敗した男が、病に伏した誰かが、予期せぬ事故にあった誰かが…同じ思いを口にする。

あぁ、どうして私が、私ばかり。

結局のところこの世界は、そんな思いの集合体なのだ。

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