「花、花、咲いて。花咲いて。
はやくに咲いたら帰りましょう」
越してきて数ヶ月。ようやっと慣れ始めた帰路の途中で、彼女はそんな歌を聞いた。
つなたい言葉遣いで紡がれる、少し調子外れの歌。
聞いたことの無いそれは、音の出所たる少女の自作なのだろう。
この時間にしては珍しく人気の無い公園で、ベンチに腰掛けて体を揺らす少女の。
はて、どこの子だったか?
野暮ったい服を纏ったその子に見覚えはなく、いつも帰宅時間にここを占拠している近所のやんちゃグループではなさそうだ。
どちらかと言えば大人しそうな少女である。
夏休みの課題なのか植木鉢を大切そうに抱え、縁でとんとんとリズムを取りながら歌う姿は子守唄を聞かせているようだった。
「花、花、咲いて。花咲いて。
花が咲かなきゃ帰れない」
「花、花、咲いて。花咲いて。
おむかえ待ちましょ花つぼみ」
「花、花、咲いて…あれ?おねーちゃん、だあれ?」
なんとなく足を止めて聞き入っていた彼女は、少女に声をかけられてビクリと肩を揺らす。
澄んだビー玉のような瞳に見つめられ、盗み聞きした後ろめたさに背が丸まった。
「ごめんね。歌が聞こえたから、つい…あなたが作ったの?」
「うん!そうだよ!」
にぱっと笑った少女は、抱えていた植木鉢を見て見て!と掲げる。
「あのね、お母さんがね、このお花が咲いたらむかえにくるから待っててねって!だから、はやく咲かないかなぁってうたってるの!」
純粋無垢な笑顔が草臥れた社会人たる彼女には眩しく感じられて、思わずそっと視線を下げた。
そして僅かに目を見張る。
「…そっか」
しかしすぐ何事もなかったかのように顔を上げ、笑顔で植木鉢と少女を見比べた。
「早く咲くと良いね」
「うん!きっとすぐだよ!あーあ、どんな花が咲くのかなぁ!」
落ちつつある夕日が影を伸ばし、カラスが一足お先にと鳴いて去っていく。
ぎゅっと植木鉢を抱え直した少女はまろい頬を期待に溶かしてくふくふと笑った。
彼女はずり落ちた鞄を肩にかけ直し、そんな少女にゆっくりと手を振って別れを告げる。
「じゃあ、私は行くね。一人で大丈夫?」
「ん!だいじょーぶ!ずぅっと一人だけど、だいじょーぶだったから!」
「分かった。じゃあ…ばいばい」
「ばいばい、おねーちゃん!」
一人分だけ伸びた影を踏んづけて、彼女は帰路を急いだ。
「花、花、咲いて。花咲いて。
はやくに咲いたら帰りましょう」
花が咲いたら、なんて…何ともロマンチックな待ち合わせだ。言葉だけなら。
「花、花、咲いて。花咲いて。
花が咲かなきゃ帰れない」
彼女はスマホを取り出して検索をかける。
「花、花、咲いて。花咲いて。
おむかえ待ちましょ花つぼみ」
あぁ、やっぱりだ。
「花、花、咲いて。花咲いて。
待てど膨れぬつぼみはいずこ。
花、花、咲いて。花咲いて…」
あの植木鉢の植物は…花を咲かせない。
「開かぬままに、花が散る」
7/24/2023, 3:54:31 AM