「最近は雨ばかりで嫌になるねえ、梅雨が明けたと天気予報では言っていたけど、まだなんじゃないかと思うよ」
「そうね、雨だと外での活動もしづらいし」
「しかし、雨の日はハシリヤンが出ない傾向にある。
雨の日こそ室内活動に精を出すべきだ」
私が屋外の監視カメラの映像を見ながらため息をつけば、お嬢がそれに賛同し、シャーシロがそんな私たちに喝を飛ばす。
「お嬢は特に雨の日は辛そうにしているね。気圧に弱いのかい?」
「……いいえ、嫌な思い出があるだけよ」
私が質問した途端お嬢の微笑みが消えたかと思えば、お嬢はいてもたってもいられずという様子で机に作業中のタブレットをそっと置いて席を立ってしまった。
「玄蕃、ユリアちゃんのこと怒らせちゃったんじゃないのー?」
「地雷を踏んだようだねぇ……」
「こういう時は、すぐ謝った方がいいですよ!」
「そうするよ、大也、あとは任せてもいいかい?」
「ああ、大丈夫だ」
未来と錠に促されるまま、自分の作業を大也に預けてひとまずお嬢を追いかける。
お嬢はラボの更に下の階にある狭い物置の奥でうずくまっていた。
「お嬢、さっきは……」
「こないで」
「おおっと」
お嬢は俯いたまま、強い言葉で私を静止する。
ただ事では無いと思い、静止を無視してそろりそろりと近付き、お嬢の前にしゃがみこむ。
「来ないでっていったじゃない」
「相棒がこんなに悲しい顔をしているのに近くにいてやらないなんて、相棒失格じゃないかい?」
「……すきにして」
お嬢の頭をぽんぽんと撫で、隣に座り直す。
少しの間沈黙が流れたが、お嬢は途端に小さく声を上げて泣き始めた。
泣き止んでほしくて背中をさすれば、お嬢はまたいっそう声を上げる。
「何があったかは聞かないけれど、あまり大きなものをひとりで抱えるのはよくないよお嬢」
「相棒ヅラしないでよ……」
「だって相棒だからねえ」
「ごめんなさい」
「えらく情緒不安定だね、最近の空模様みたいだ」
私がそう言えば、お嬢は少しクスリと笑ってくれた。
「明日もし晴れていたら、調達のついでにすこし公園でも行こうか」
「公園で何するの?」
「一緒にアイスを食べるでも、かくれんぼするでも、日向ぼっこでも。お嬢のやりたいことならなんでも付き合うよ」
「……ちょっと、たのしそうかも」
「だろう?だから今日はめいいっぱい落ち込んだっていい。いつまでも付き合うよ」
「ありがとう」
お嬢はそう言うと私の肩に頭を預ける。
まだまだお嬢は子供なんだなと思いつつ、寄せられた頭をぽんぽんとまた撫でた。
私はこの家が嫌いだ。
じいやも、兄さんたちも、姉さんも、みんな「家の掟だから」だなんだと言って古い考えで動く。
全員、私が小さい時はそんなじゃなかった。
兄さんたちは姉さんがボロボロになってから、私への当たりが強くなった。
私は何も変わっていないのに。
家の者たちは私に変わらず優しくしてくれるし、私もそのお返しに兄さんたちが仕事やなんやで家を空けている時はこっそりみんなを手伝う。
まあ、そもそも兄さんたちがおかしくなってしまった気持ちも分かる。
私だって上の兄さんたちがみんな死んでしまったのは悲しかった。でもそれでいつまでも立ち直れないのは違うのではと思う。
もちろん背負うものの違いはある。
私は本来我が家の女の娘が持って生まれてくるべきものを持ってこずに生まれてきた。
我が家の呪いの全ては姉さんが背負っているし、そんな姉さんを守らなければいけないという焦燥感に兄さんたちが苛まれている気持ちも分かる。
でも今この世において姉さんを殺せる人間はそう多くない。
だって姉さんは強いから。
私は何においても姉さんに手合わせで勝てない。
直接戦うでもない弓道の全国大会の成績やテストの点数すら姉さんに敵わなかった。
私はいつでも二番目で、姉さんが嫌いだった。
でも、姉さんは私のことが大好きだ。
姉さんは高校生の頃、姉さんに張り合おうとムキになっていた私に対してしきりに「麻里亜はこの家の事を何も背負わなくていい。あなたが欲しい幸せを、全力で追いかけて欲しい」と言っていた。
けれど別に私は好きな人もいないし、友達もいないし、後輩からは慕われていたけれど、別にこちらからどうこうしようとも思わない。
つまり姉さん以外に執着できるほどの人間がいなかった。
だから私は姉さんを超えるために必死に色んなことに取り組んだ。
でも高校三年生まで姉さんを超えることは出来なかった。
高校の卒業式の帰り道、姉さんは私に「麻里亜につまらない高校生活を送らせてしまったかもしれないことだけが心残りだ」と言った。
私は耳を疑った。
調整者の仕事で忙しく、学校を休むことも多かったため行事に参加できず、友達も作れず、恐らく味気のない学生生活を送ったであろう姉さんが、「それだけ」が心残りだと言ったのだ。
自ら行事に参加せず、友達も作ろうとしなかっただけの私を、ずっと思ってくれていたのだ。
意味がわからなかった。
生まれた時間が数刻違うだけの、同じ歳の、双子の姉が、ずっと私を…………
「私は!姉さんと三年間ずっと勝負ができたことが楽しかった、それだけでいいんだよ。
姉さんは高校生活、楽しかったの?」
私が思わず大きな声でそう言うと、姉さんはキョトンとした顔をしてから、満面の笑みを浮かべた。
「私も、麻里亜とずっと一緒に過ごせて楽しかった。でも、この三年間だけじゃなくて、今までずっと。麻里亜がいてくれてよかった、幸せだって思ってるわ」
姉さんの花が咲いたような美しい笑顔に、胸が大きく高鳴った。この時に、私は姉さんのことが大好きだってことに気付いた。
だからこそ、姉さんに苦しい顔をさせているこの家が、掟が、よりいっそう嫌いになった。
「タイムマシン?」
「ああ、そうさ。
もしこの飴を舐めたら一度だけ、未来でも過去でも、好きな時に飛べるとしたらどこに行きたい?」
平和な昼下がり、涼しい大也のラボでお嬢とアイスを食べながらそんね他愛もない会話をする。
お嬢はアイスを咥えながらうーんと考える。
「そうね、先週お気に入りのマグカップを割ってしまった瞬間に戻りたいわ」
「なんだか意外だねえ、もっとこう……何年前のこの時に戻って誰かを助けたい、と言うかと思ったけれど」
「過去に戻って救いたい人なんて大勢いるわ。
その中から誰か一人なんて選べない。
それに今は幸せだから、このままでいいの」
私はまだお嬢の過去に何があったか詳しくは知らないが、お嬢の表情を見るに思い浮かべた「救いたい人」はどうやら二人や三人で済まないほどいるらしい。
「お嬢にそんなに想って貰える彼らはとても幸せ者だね。彼らもきっと今のお嬢を見れば安心するよ」
「……本当にそうならいいのだけれど。
ところで玄蕃はいつに戻りたいの?」
「うーん、この間お嬢を殴ってしまった時、かな」
「いつまでアレを引き摺ってるのよ……戦いに事故はつきものなんだから私はもう気にしてないわ」
お嬢はふふ、と笑いながら垂れそうなアイスを手を添えながらまたひと口かじる。
「あ」
「どうかしたのかい?」
「アイス、当たりだわ」
「おや、後で店に交換しに行こうか」
お嬢は袖を捲りながら嬉しそうに当たり、の文字をこちらに見せる。
確かに、今は彼女にタイムマシンは必要なさそうだ。
大二は私とデートに出かけている間、幾度となく周りをキョロキョロと見回す。
二人で歩いている時も、お店で買い物をしている時も、ご飯を食べている時も。
なぜそんなに周りを見ているのかはわからないが、私のことを見ている時間よりも周囲を見ている時間の方がよっぽど長くて、すこしヤキモチを妬いてしまいそうになる。
今も大二がどこかを向こうとしたので、ふとイタズラしたくなって頬を両手で挟んでこちらしか見えないようにした。
大二は驚いた顔をして、「ユリアさん?」と頭にクエスチョンマークを沢山浮かべている。
「どうしていつも周りを見ているの?
かわいい女の子でも見つけた?」
意地悪にそう聞くと、大二はまたキョトンとして、少し考えて、
「俺、そんなにキョロキョロしてた?」
と言った。
どうやら無自覚だったらしい。
「私と出かけたらいつも周りを見ているわ。
他の人がいる時はそんなことないのに……」
大二は私の手を頬からそっと離すと、また考える素振りをして、あっ、と小さく声を上げた。
「多分、怪しいヤツが周りにいないか、警戒しすぎてるんだと思う。
ほら、まだユリアさんのことを狙うやつは大勢いるから、心配で。ユリアさんには少しでも楽しくお出かけして欲しいからさ。
でもそれでユリアさんを不安にさせてたら意味無いね、気をつけるよ」
「……ふ、ふふ」
大二が私以外を見ているように見えて、存外私のことしか考えていなかったため、あんまりに可愛らしくて笑いが込み上げる。
「な、なんで笑ってるの?」
「大二のことが本当に好きだなって思ったの」
私がそう誤魔化せば、大二は「なんだそれ」と笑う。
私は自分で思うよりもっと幸せ者なのかもしれない。
ユリアさんは暑くて寝苦しい夜には必ず魘されている。
寝言でお義兄さんの名前や、聞いた事のない人の名前を呼んで、苦しそうにもがいている。
あんまりに苦しそうで見ていられずに起こせば、途端に泣き出してしまう。
俺が心配そうにしていると、一度だけ夢の内容を話してくれたことがある。
幼い頃に家が燃やされた時死んだ父や兄たちが、助けを求め、なぜお前は生き残ったのかと強い口調責めてくるのだと。
しかも時折、今生きているはずの兄たちや自分自身すら、苦しそうな顔でユリアさんに迫るのだそう。
しかも夢の中のユリアさんは幼い時のすがたのままで何も出来ず、ただ目の前で燃え盛る柱に相手が巻き込まれていくのを見ているしかなく、自分の無力さに苛まれる。
しかし、自分に向けられる罵声が聞こえなくなることにいつも安堵してしまい、そんな自分がただただ恨めしい、と。
俺は一度だけユリアさんが幼い頃に実家が「焼き討ち」されお義父さんが亡くなったことは知っていたが、他に亡くなったお義兄さんがいたことも、今もユリアさんがその出来事に苦しめられていたことも、知らなかった。
俺の中でそれはユリアさんの過去で、そうして話をしてくれるということはユリアさんはそれを乗り越えたとばかり思い込んでいたのだ。
「ユリアさん、今度お義兄さんのお墓参りに行こう。ユリアさんは何も悪くない、お義父さんも、お義兄さんたちも、誰もユリアさんを責めたりしないよ。
今どれだけ幸せか、笑って報告しようよ」
ユリアさんを抱きしめながらそう言うと、ユリアさんは泣きながらも力強く頷いた。