『降り止まない雨』
終わったら二人で遠くに旅に行かないか。
そう言った彼は、ケリをつけてくると一言SNSに残すと元カノのところへ出かけていった。
雨音のひどい梅雨の始まりのことだった。
「上乃木柚音さんのお宅ですか?」
三日後警察がアパートにきた。
同行した署で見たのは、憔悴しきった彼の両親と冷たくなった彼だった。籍は入れてないけども、長く同棲している子がいると彼の父親が伝えてくれたらしい。
間違いないと告げると安置室から出された。
「ごめんなさい、ごめんなさいねえ」
「裕灯と二人で重なって見つかったらしい。あの子が先に刺されて、その後を追うように相手の娘さんが自死したと」
彼女がストーカーみたいになってきたと相談は受けていた。
むしろその日々がなければ、同じバイト先という以外接点はなかっただろう。
亡くなった彼は穏やかな顔をしていた。
彼が出ていった日から耳の奥で雨音が聞こえるようになった。梅雨入りの時期の静かな夜にだけ。
耳鼻科に行っても悪いところはなく、精神的な要因の可能性もあると診断された。
あの日から降り始めた雨はまだ止みそうにない。
『あの頃の私へ』
異世界へくるまではひどい生活をしていた。顔は中の中、背が高いわけでもなく細身なわけでもない。
同じ区内にあったお嬢様学校の方がよほど男子の注目を浴びていた。
だからだろうか。
校内で行われるいびりは当て付けるようなものが多かった。
ごみ当番を代わる、朝来たら机に物がないか余計な物が増えている。転ばせるための長い長い足を行き先に置かれて戸惑うこともあった。
男子や、ピラミッドの上の方にいる女子を思い出す。
皆ひどい顔をしていた。
ふと視線を上げれば映るはお偉い方々。
糾弾を続けたいのに申し訳ないけど、私はこういうときの最善は嫌というほど知っている。
にこりと笑うのだ。口許だけで。
「発言を、お許しいただけるかしら?」
カツリとヒールを鳴らしながら前に出る。
短く、ゆっくりと、その場を制すように許されるがまま言葉を並べる。
(あの者たちに制裁を)
隠れてしまった本来の体の持ち主を守るために。
ひどく怯え始めたご令嬢方とは楽しく過ごしましょう?
ご令息方にはあの子へした事と同じくらいの辱しめを。
あの頃の私へ。覚悟はいい?
『逃れられない』
牢屋から逃げだすときにスプーンで壁を掘って進む場面を見たことがある。
今いる牢屋に鍵はなく、戸もなく、もちろんスプーンはないがそれを使う必要もない。
出入り自由だ。だが食べ物を探しに行ったり脱出したりすることはできない。しばらく歩いていくと、気づけば見慣れた道に戻り元の牢屋にたどり着いてしまうのだ。
他の囚人も同じことを言っていた。
恐ろしいのは行く先で会う囚人が定期的に変わることだろうか。かつてのこの国の姿を思い浮かべるにはそれだけで十分だった。
今や牢屋だらけとなったこの場所。
かつては迷路の国と呼ばれていた。
旅人泣かせ、行きはよいよい帰りは怖い、出国に手間取った国No.1など通り名は数多い。
そこが罪を犯した者の収監所にされたのは十数年前。
最後の王が崩御された翌年のことだった。
私はこの国ついて調査しにきた学者だ。
入国して早数日。出られる見込みはまだない。
『また明日』
いつもの帰り道で別れたばかりだった。
「また明日ねえ」
「うん、また明日」
それが最後の彼女との会話だった。
今その彼女は在るべき場所に在るのだという。
勘違いだとしか思えないが、とある国の、この鎧を着た騎士がいる先にある国の王女と瓜二つで逃げ出した王女を追った先に彼女がいた。
そして私と別れたところをさらった。
「彼女を返して」
「断る。そもそも貴女にはそのようなことを言う権限はない」
「誘拐した人たちに言われてもね」
とりあえずと思って竹刀を持ってきてはいた。
数年ぶりに持った手が震える。騎士が持っているのは切れ味のよさそうな剣だ。勝ち目は無いに等しい。
彼女がいなくなった場所で、たまたまこっちに戻る人影を見かけてこっそり後をつけたらこの様だ。
それでも構える。
彼女と約束した明日を迎えるために。
『透明』
隣の席に座る子がぽつりとぼやいた。
「透明人間になりたいなあ」
日の光に当てられ、次第に薄れていく体。
困惑する声は聞こえるけれどどこにいるかわからない。
服や靴ごと消えてしまった。
それが、透明化現象の最初の症例だった。
原因はまだわかっていない。
強いストレスが原因で起こりやすいとされている。
「おはよう」
何もない空間から声がかかる。
緊張しやすいから居心地がいいと言う隣の子がうらやましいと言ったら、どんな顔をするだろうか。