『後悔』
バイバイと言って別れたあの日。
どうして私は大事なあの子が悩んでたことに気づかなかったんだろう。
あの子が住んでいた、燃え尽きたアパートの一室を見上げて膝から崩れ落ちる。
まだ五歳だった。
「悪いけどうちのと遊んでくれない?」
そう告げてあの子を私に預けるようになった女を思い出す。夜と性と煙の臭いがした。あの子を生んだ女。
火の始末をきちんとしていなかった。
あの日、あの子はお水の入ったバケツの隣で倒れていたという。
「あの子の気持ちがあなたにわかる?」
「なに、何なのよ! あの子って誰のこと」
煙臭い女はいまガソリンの臭いを身にまとっていた。
私がかけた。
待っててね。今、まだかなって待ってたお母さんを連れていくからね。
そう心の中で呟いてライターをつけたとき、あの子が嗤う声が聞こえた。
『風に身をまかせ』
明日旅行にいこう。
そんな風に決めてふらふら一人旅をしてみたい。
一人だと危ないよ、どこまで行くの?
後ろから聞こえる声に少しだけ耳を傾けながら。
気まかせ風まかせ。
『失われた時間』
失われた時間は戻らない。
記憶を持ったまま転生や生まれ変わりをしたとしても。
大嫌いな弟に殺された。
その瞬間、世界に巻き戻しされる。もう三度めだ。
最初の転生で自称神の使いだという綺麗な女性に言われた。
「貴女がいなければこの世界は滅亡してしまいます。他でもない、貴女の弟君の手によって」
「もう死んだ私には関係ないでしょう」
死の先は天の国。そう教わってきたからこそ、この何もない空間にいるのは居心地が悪い。
疑いの目を隠すことなくそう言うと神の使いは笑顔を作って私の胸元に手を置いた。
「確かに貴女がこれまで生きてきた時間は戻りません。ただ貴女に、弟君よりも長く生きてもらわねば困るのです。必要ならば手を貸しましょう」
いってらっしゃいという言葉とともに胸元に力をかけられた。後ろに落ちていく感覚の気持ち悪さに目をつむる。
その先は。
「お嬢様! 弟君がお生まれになられましたよ」
憎き弟の誕生した瞬間だった。
失われた過去の私、過去に生きた時間。
そして三度めの今、自由気ままな平穏に生きる未来さえ失われたのだと知った。
『子供のままで』
よく分かんない。それが彼の口癖だ。
「これってどういう意味?」
授業でわかんないとこあったから教えてとでもいうノリで、奴はラブレターを見せてきた。SNSで繋がっている同じ学年の女子らしい。
昼休みの部室で良かった。
二人しかいないし、お茶をこぼしたとしても拭けばいいだけだから。
拭き終わるとろくに見ないまま奴のスマホを隅に置く。
「多分告白じゃない?」
「告白かあ。果たし状だったらどうしよう」
「んなわけあるか! 私は勉強しにきたの。部活はまた放課後やるからさ」
「だってよく分かんないからさあ」
そこ間違ってると言って部室を出ようとする彼に、歯をむき出して手でしっしっと追いやる。
頬を膨らませた彼は戻ってくると机を叩いた。
「僕は、真宏ちゃんといる方が楽しいよ!」
それだけ言うとドアを閉めて出ていった。
「なにあいつ……」
本当に子供のままなんだから。
頭では冷静に考えていても、感情に従順な頬はみるみる火照ってくる。顔が赤くなって口元がにやけてきているのを感じ取ると、開いていたノートを閉じた。
「何なのよ、あいつはぁ」
どうせまた帰ってくるだろう。
そう思いながら少しだけ腕枕でふて寝することにした。
『愛を叫ぶ。』
友達と初めて寄ったレストラン。夜景が見える席で、今女性が男性にプロポーズされたらしい。
「やば、ドラマみたい」
プロポーズが成功した男性とその場で受けた女性に拍手が送られる。
ひそひそと噂する人、酔いの勢いで二人に話しかける人、それに便乗する人たち。ドラマや漫画のその後のレストランってこんな感じなんだと、淡々と目の前で続けられる一連を見ていた。
その帰り道。
「ああいうのってどんな感じなのかね」
「さっきの?」
「そう。好きだー!って愛を叫ぶの。ドラマとか映画とかでよくあるじゃん? うらやま半分どんな感じなのかなって」
「別れたばっかだしねえ、私ら」
「それな!」
わははと酔っ払い特有の大声で友達が笑う。
そう。今日は二人して最近彼氏と別れた慰め合いの会をしていたのだ。夜景が綺麗なフレンチレストランで。
奮発してみたらこれだ。
「叫ばれたいかは別としてさ。ああいう恋愛したいな。人生で一回くらいは」
「そうね。叫ぶ!じゃなくて叫ぶ。くらいで」
「なんだそれは~」
「適度がいいって話。愛もお酒も!」
駅を目指して友達と歩く。
隣を歩くこの強気な美人さんが、今日の彼女みたいに素敵な恋愛ができますように。
しばらくすると駅から洩れる明かりが私たちを出迎えてくれた。
これからを照らしてくれる一筋の光のように見えた。