『何もいらない』
先王の崩御から三年。謎の流行り病だった。少なくとも民にはそう公表されると、目の前を歩む小さな背中は死んだような目で告げた。
世継ぎができたと喜んでいた妃の顔は今でも覚えている。
なぜかその後先王のお渡りが極端に減り、妃は子を瞳に映さなくなり、子は自然と私になついた。
熱にうなされたとき、私の指を離さず乳母やメイドを困らせたものだった。
「カイル。私が道を違えたときは遠慮なく私を打て。聞かぬなら斬り伏せろ」
「そのようなことは」
「下劣な血が半分でも流れた体だ。もう半分も似た者に成り果てつつある」
先王の病は、一言でいえば女狂いからきた自業自得な毒からくるものだった。盛ったのは王の愛人。協力した従者は妃の愛人だった。妃は今も愛人を増やしつつある。かくいう私も誘いは受けた。
貴女の娘以外、私はもう何もいらないというのに。
性別を隠して次の王との繋ぎをすると告げられた日、お付きの者で支えると皆で心に決めた。
その日ほのかな私の初恋は終わりを告げた。
『もしも未来を見れるなら』
空飛ぶ車、猫型ロボット、未来と聞いて思い浮かべるのは小さい頃に描いた夢物語のような世界。
持ち歩ける端末が普及したことで、夢物語がだんだんと現実に近づきつつある。
もしも、未来を見れるなら。
「年老いてもこうやって君とのんびりお茶していたいなあ」
すっかり白髪もシワも増えて、ふくよかな体型になったこの人は出会った頃と変わらないままだ。
そんなの、私だって。
「私だってあなたといる未来しか見えないわ」
「ふふ。厄介な男に捕まりましたな」
「それはお互い様よ」
互いが好きな銘柄のお茶を入れ、二人が好きなお菓子を真ん中に置いて食べる。
そうね。未来って必ずしも遠い話ばかりではないんだわ。
だったら私だって、あなたといつまでも一緒にいる未来を見てみたい。
来世だって、どんな未来だってきっと見つけてみせるわ。
『無色の世界』
死んだら三途の川の岸に立つのだと思っていた。
思い出すのは最期の瞬間、信号待ちをしてた私たちを、わき見運転をしていた車が襲った。
隣にいた子どもを庇おうと腕を広げて。
気づけば、何もない無色の世界にきていた。
歩いても歩いてもどこにもたどり着かない。来た道を戻っても無色のままだ。疲れてその場に座り込んでしまった。
「あなた」
ふと、彼女の声がした。高くて可愛らしくて、それでいて力強い声。子どもと一緒に三人で手を繋いで待っていた。
あの時彼女がどうしていたか思い出せない。
突然頭上から差し込んできた光の眩しさに、上を見上げると、光の向こうからまた私を呼ぶ声がした。
「あなた」「パパ!」
光へ向かって両手を伸ばす。
だんだんと薄れていく意識に目をつむった。
『桜散る』
白魚のような腕が桜の木から覗いていた。
その日は気温差のせいか体がだるくて学校を早退した。入学したばかりなのに、と足元に広がる桜のじゅうたんをぼうっと見ながら家に向かった。
「こんな時間に人が通るなんて珍しい」
凛とした声に目線を上げると腕が見えた。
もう熱が出始めたのかと思って目をこする。
「私が見えるなんてもっと珍しい。ねえ、貴方名前は? 暇で退屈なの。お喋りしましょ」
顔色の悪さを指摘され、少し眉をひそめると腕はころころと笑って言った。
「見える子なんて久しぶり。心配するなんてもっと久しぶり。ねえ人の子、目を閉じて。貴方にまとう悪い気はすべて私が連れていってあげる」
腕の近く、桜の根もとまで行っても腕の先は見えなかった。木に寄りかかって座ると大人しく目をつむる。
一際強い風が吹いた。
それから少しの間眠っていたらしい。
目を覚ますと腕は消え、熱っぽさも明日の学校への不安もなくなっていた。
その代わり体じゅうに上から散ってきた桜の花びらがついていた。
あの腕は一体なんだったんだろうか。
『夢見る心』
「ねえ~!おばあちゃん聞いてよお」
千夏は言い終わるやいなや、玄関先に鞄を放って縁側に向かった。学校帰りはいつもここに寄る。大嫌いな家じゃなくて、穏やかに迎えてくれるおばあちゃんの家に。
おじいちゃんは三年前に亡くなった。この家におばあちゃんは一人で暮らしている。
「どうしたの、ちいちゃん。そんな座り方しちゃあスカートがくちゃくちゃになるよお」
膝に崩れるように倒れてきた千夏の頭を、優しい手がなでてくれた。それだけでもう泣きそう。
「おかーさんが、絵画教室行くの反対だって今さら言い出したの!夏休みの間だけなのに。こないだは良いって言ったのにー!」
「絵画ねえ」
「今のままじゃダメだし、食べていけるなんて思ってないし。でも挑戦はしてみたいの」
おばあちゃんは分野は違うけど絵描き仲間でもある。
千夏は油絵、おばあちゃんは絵葉書職人だ。
ずず、とお茶をすするとおばあちゃんはふてくされる千夏の背をさすった。
「誰にも人が夢見る心を操ろうなんてこたね、できないものさ。どうして行きたいのか、もうすこぅし先のちいちゃんの話をお母さんとしてごらん」
それでもダメならここで描けばいいさ、なんてからからと笑うおばあちゃん。
悔しさとじんときた温かさで目頭が熱くなってくる。
そんな千夏の手に冷たい麦茶が渡された。
一口飲むと不思議と気持ちが落ち着いてきたような心地になる。
遠くで聞こえるセミの声と、風鈴と、麦茶。
もうすぐ高校二年目の夏がやってくる。