その日は、朝早くから夜遅くまで食事もままならない程仕事が立て込んでて、帰る頃にはヘトヘトだった。
極度の疲労と空腹で頭が可笑しくなっていた。
普段なら素通りするような、私には縁遠いそのショーウインドーの中身、神々しく光り輝くソレにときめいてしまったのだ。
すっかり忘れた頃に郵送されてきた黒地のクラシカルな箱の山。
見たことのないロゴマーク、スマホで検索すれば老舗ドレスメーカーがヒットした。
サイズ直し品の為、返品不可という但し書きがついた伝票が指からすり抜けてピラリと床に落ちる。
なんてこった、と趣味じゃないキラッキラッふわっふわっの純白ドレスを入っていた箱に雑に仕舞った。
テーマ「繊細な花」
ママにはナイショだぞ。
そう言って、パパはよく僕にお菓子やおもちゃをくれた。
でも、パパのやることは全部、ママにはお見通しで。
僕が自分の部屋に寝に行った後、パパはママによく怒られていた。
階下からパパが謝る声がして、僕はベッドの中でクスクス笑いながら眠りにつく。
パパはママに怒られても、僕に何かしらの物をくれた。
ママにはナイショだぞ、と言って。
今日は、不思議な味のするお菓子をくれた。
遠い遠い海の向こうのお菓子らしい。
食べたことない、よくわからない味。
変な顔になっていたのか、僕の表情を見たパパはカラカラと笑う。
ムッとして、頬を膨らまして僕はパパを見上げた。
パパは悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、僕の頭を大きな掌でワシャワシャっと撫でた。
テーマ「子供の頃は」
「あ、お小皿とって」 「はーい」
とてとて、とスリッパを軽く鳴らして食器棚から小皿を取り出してくる君。
「どーぞ」 「ありがとう」
グツグツと煮えたぎる鮮やかな赤色を鍋から一掬い。
味見。 うん、上出来。
うんうん、頷きつつ鍋の中を木ベラでかき混ぜていると、横からとてつもなく熱い視線を感じた、が、気づかないフリ。
「もうすぐ出来るからパン、切ってくれる?」
「わかったー」
鍋を火から下ろして、冷蔵庫の“こやし”になりかけていた頂き物のハムとチーズを丁寧に盛りつけた白い平皿をテーブルに運ぼうとした。
「あ……、あじみ、だよ?」
キッチンカウンターに置かれた鍋から、君が豪快に中身のラタトゥイユを木ベラで掬って、厚切りのバタールにてんこ盛りにしていた。
テーマ「日常」
「何処でも良かったんです、一人で生きられるのなら」
さして大きくもないその声は、静かな室内に響いた。
出されたコーヒーに手を付けることなく、湯気の立ち上る様を静かに眺めていた声の主が此方を見やる。
冬の海のような暗青色の瞳。
彼の国では稀有な色のその目には、無機質的な鋭い光が湛えられていた。
危うい色だ、と目の前の青年からさり気なく視線を反らして、自身のカップへと手を伸ばす。
テーマ「好きな色」
「ふしぎ、……なんでだろう」
病院のベッドの上、ぼんやりと天井を眺めていた君が口を開く。
「いつ死んでもいいって、ずっと、思ってた」
点滴の落ちていく音が聞こえる程、静かな病室で私は君が再び何か言うのを静かに待った。
「でもさっき、あの時ね、「死にたくないな」って」
包帯をグルグル巻きにされた君の右手が、暫しシーツの上を彷徨ってから、緩慢と持ち上げられていき、煌々とした天井の照明を翳す。
「「生きたい」って思ったんだ」
力尽きて落ちきる前に、君の手を掴みとって、両の掌で優しく握りしめた。
まるで縋るように。
「死なれては困りますよ、……今夜のディナーのキャンセル料、そっち持ちですからね」
置いてかないで、独りにしないで。
そんな思いをひた隠すように微笑んで、君の包帯塗れの右手に額を寄せた。
テーマ「あなたがいたから」