マグカップ。 250円
魔法の込められたカップ、Magカップだ!
縁が欠けている。ここから魔力は全部流れてしまったらしい。
飲み物を飲むのにはまだまだ使えそうだ。
ペンにキャップをつける。
ちょっとゲームのテキストっぽく、書いてみた。
明日、フリーマーケットの商品にしようと思っている、ちょっと縁のかけた、でもまだまだ新しいマグカップの商品紹介だ。
引っ越しが決まってから、自分の物の多さに、ほとほと呆れていた。
縁がちょっとだけ欠けているマグカップ。
使っていない黒いハンガー。
私が被るにはちょっと大きすぎる帽子。
通販でつい衝動買いしてしまった予備のシャワーヘッド。
もう長らく使っていない、まだ使えるものは山ほど出てきた。
近所の公園のフリーマーケットを見つけたのは、そんな、使いそびれた新品の物たちの処分に困っていたところだった。
フリーマーケットなんて今まで参加しようと思ったことすらなかったけど、今のタイミングだけは、参加しようと思えた。
私は、新品のまま埃を被っていたこの物たちに、新たな主人を見つけてやることにしたのだった。
でも、普通に売っていれば買い手はなかなかつかないだろう。
だって、商品はみんなよくありふれた、_中身は新品同様だとしても_まあまあな保存状態のせいか、見てくれは普通の古道具なのだから。
しかし、フリーマーケットの次の日には、私は引っ越さねばならなかった。
だから、なんとしてでも、この物たちに買い手をつけてやらねばならぬのだった。
考えた。
考えに考えた末、私は、ゲームのアイテムっぽく、売り出そう、と思いついたのだった。
そうすれば、少なくとも目には止まりやすいだろう、興味は持ってもらえるだろう、そう思った。
そういうわけで今、私はゲーム制作者よろしく、テキストを考えながら、真っ白なカードと睨み合っている。
説明のおかげで、元魔法のマグカップになった私のマグカップは、誇らしそうに胸を張って、欠けた白い断面を見せびらかしていた。
恐竜の背骨のように、観客席の屋根が連なっている。
この町で一番大きい競技場だ。
町の真ん中でなだらかなやんわりとしたカーブを描く競技場の屋根は、巨大な恐竜が背中を丸めて、町中に立ち尽くしているようだ。
もしもあれが本当に動いていたとしたら、この町は大半が踏み鳴らされていたただの地面だっただろう。
あれは死んでいるから、いつまでもいつまでも私たちの町のシンボルなのだ。
いつも、あの競技場が目に入るたび、私はそんな意味のない考えに浸る。
もしも君が生きていたら、私たちはその空想だけで、1日中、楽しく遊べていただろう。
ぎゃあぎゃあ、電柱でカラスが騒いでいる。
うるさい。
君を手に入れたのは、お日さまが燃えるように真っ赤で、コンパスで描いたみたいに綺麗なまん丸のまま傾いていく、夕方のことだった。
その日も、赤く赤く沈んでいくお日さまと私の間に、あの巨大な恐竜みたいな競技場が、立ち尽くしていた。
そしてその時、君を拾ったのだった。
ゴミ捨て場に力なく落ちた、カラスそっくりのプラスチックの君を。
それはカラス避けの模型だった。
カラスの死体そっくりに作られていて、それを吊り下げておくことで、カラスたちに「この場所は危ない」と思い込ませて、ゴミを漁ったり、そのほか色んな悪行(あくまで人間目線で言えば、の話だ)をしたりするのを防ぐカラスの模型だった。
今よりちょっと幼かった私は、そんなカラス避けで吊り下げられていた枕木から、千切れて落ちた、一羽のカラスの模型を、拾ったのだった。
君は二重で死んでいた。
プラスチックで作られていて、動くどころか、暖かくも柔らかくもない君は、実際に死んでいたし、死んだカラスを模倣されていた君は、設定としても死んでいた。
死んでいることに意味があって、二重に死なされていた。
大抵のものは、生きていないのに生きていて、自分が捨てられることを嫌がったり、大切にして欲しがったりしている、と絵本や創作物や大人などから教わっていた私にとって、こんな存在は初めてだった。
だから私は君を拾い上げて、友達にした。
私は、生き生きと生きている友達のほかに、死んでいる友達も欲しかったのだ。
あの競技場の巨大な恐竜の背骨みたいに、死んでいる無機質な友達が欲しかったのだ。
そういう友達なら、私のくだらない空想も誰も相手にしてくれない無意味な考えもなんでも受け止めてくれるような、そんな気がしたのだ。
君は今も、私の一番の親友だ。
もしも君が生きていたら、もしも君が私の考えや空想になんらかの反応を返してくれるようだったなら、私と君はずっと空想や考えや夢に、ずっと浸っていれるだろう。
しかし、そんなことはない。
君は二重に死んでいて、私は二重に生きている。
君は思考や感情を持つことはなく、私は思考と感情に頼りきりの浸りきりで生きている。
死んだ恐竜が巨大な背骨を丸めて、町の真ん中に立ち尽くしている。
私の手の中で、君はぎゅっと足と羽を縮めて、死んでいる。
ひよこを撹拌して、撹拌する前と重さを比べたら、死んでしまった撹拌されたひよこの方が、少し軽いらしい。
死んだらみんな軽くなる。
生きた物と死んだ物の間には、物質では説明できないなにかがある。
なにかがあるのだ。
だから、自らの手で生き物を生み出し、生き返らせようとするなら、その“なにか”が必要になる。
ただ、臓器や骨やパーツを組み立てて、それだけでは、生き物は生き返らない。
心か魂のようなものが、生き返らせるためにはいる。
そういうわけで、魂にあたるものが必要なのだ。
厳正な調査と思考の結果、魂の代用には、音楽を使うことにした。
音楽が、人や生き物の気持ちや調子に作用するというのは、実証もされている。
これほど、科学的に魂に相応しいものはないだろう。
私はメロディを集めた。
組み立てた、ありとあらゆるものにそぐう音楽を。
その一心で、作曲を勉強し、音楽を勉強し、あまたのメロディを作成してみた。
そして、今聴いてもらったこれが、君のメロディなのだ。
君の、君だけのメロディ。
君がこうして音楽を聴いている今、私の考えは実証されたことになる。
すなわち、これが私からのプレゼントだ。
君の魂を担っている、君だけのメロディ。
「I love」と、言えば私が「愛している」のは、いったい誰で、誰が好きか、後からそっと付け加えられる。
ずるくて、都合が良くて、安心で、優しい言葉。
傘をさすのが下手だ。
小さい頃からずっと。
傘をさして歩いていると、その日がどんなに小雨でも、履いているズボンの太ももがびしょ濡れになる。
はみ出るはずがないのに、いつの間にか傘からはみ出ていた、傘を持っていない方の肩から腕に、雨粒の水玉模様ができる。
今も、傘をさすのが下手だ。
ボタン、ボタタン…底の浅いタライに、雨粒が衝突する音が聞こえる。
トトン、トトトン…缶詰の空き缶に、雨粒が落ちる音。
ポチョチョン、チョン…もうすでに雨水が溜まり始めた小さな容器は、水っぽい音を立てている。
子は親に似る、ペットは飼い主に似るというが、家というものも、持ち主に似るらしい。
この家は私に似て、傘をさすのが上手くなかった。
雨を塞ぐのは苦手なのか、雨の日はいつも雨漏りする。
だから、梅雨の時期には、缶詰が欠かせなくなった。
中身は、濡れてしまった私の体を温めるためにスープになり、外の缶は雨漏りを受ける受け皿になる。
ざああ…
ポトトン、トトン、ボタタン、ピチャン…
雨音に包まれて、今日も私は鍋をかき混ぜる。
幼い頃、雨のたびにびしょ濡れな私に、母はため息をつきながらも、温かいスープや鍋で作るココアを作ってくれた。
ざああ…
ボタタン、ポトン、ピチチャ、トトトン…
雨音に包まれて、今日も私は鍋をかき混ぜる。