薄墨

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5/18/2025, 10:56:44 PM

こういうときに「まって」と思ってしまうのは、僕たち子供の本能なのだと思う。
今日の作戦の終了間際にも、リーダーにすがりつく、遺された子供が何人もいる。

僕たちが村の“奪還”を命令されるのは、これが最初じゃない。
重たすぎる装備を担いで、略奪と虐殺を繰り返すこの奪還作戦は、非力で経験不足の僕ら少年兵部隊の仕事だった。

村に残っている大人たちを、銃やらなんやらを使って、追い立てて、食糧やら物品やらを押収して、最後に証拠を隠滅する。
それが僕たちの仕事だ。

そして僕たちも、そういう、少年兵が“奪還”した村の子供だった。
親や信頼できる大人やちょっといけすかない、でも確かに僕たちの仲間だった大人を殺した少年兵部隊たちに、僕たちは加わった。

そんな敵に与するようなこと、なんでするんだ、と大人たちは思うかもしれない。
でも仕方ないのだ。
子供の本能でどうしようもないのだ。

僕は、僕の村が“奪還”された夜、僕がこの集団に加わることになったあの夜のことを、まだはっきり覚えてる。

あの日、火と血にまみれた村の中で、頼れる大人たちはみんな、何も言わずに横たわっていた。
僕の村の大人たちを殺したであろう、兵たちは、物品を見繕って、淡々と荷物をまとめ、立ち去ろうとしていた。

その時、真っ先に僕の頭に浮かんで、それから脳の中を埋め尽くした感情は、怒りではなくて、焦りだった。

このままじゃ、置いて行かれてしまう。大人も、頼れるものも何もいない、何者にもなれないこの静かなだけの村に。
置いて行かれてしまう。

それが本当に怖かった。
怖かった。

僕の口からこぼれ落ちたのは、力無い「まって」だった。
これが映画や漫画の世界なら、きっと、「待て」とか「なんで殺した?」とか「絶対仇をとってやる!」とか勇ましい、怒りのセリフであったはずだけど。

僕の口から出たのは、「まって」だった。
僕は子供らしく、子供の本能から、敵なのに、ひどいのに、それでも強そうな、ちょっと歳上なだけの、目の暗い少年兵たちにすがりついたんだ。

それから、今までいろんな村を“奪還”しに行ったけど、どの村の子供も、少年兵に「まって」と縋りつく。
ほとんどの子供が。

そして、そういう子供たちで、僕たちは数を増やしてきたのだった。

リーダーが、村に遺されて縋りついてきた子供たちに、対応している。
「ついてこい」そういう身振りで、新たな少年兵たちを増やしていく。
少年兵になった僕たちが、奪還した村の子供たちを救う方法は、これしかないから。
自分の仲間にしてしまう他に、僕たちが、大人に、世界に対して出来ることなんて、ないから。

僕たちは荷物をまとめ、「まって」と口に出した子供らしい仲間たちの数を数えて、点呼を取る。
そろそろ撤退の時間だ。

東の空が白み始めている。
僕たちは行軍を始める。
戦利品と新たな仲間を連れた、虚しい行軍を。

5/18/2025, 4:30:42 AM

「裸足でアザミを踏んづける!」
そんな言い回しを教科書で習ったのは、いつだったろう。

そんな言い回しが当てはまるような状況に、この歳でぶつかるとは思っていなかった。

新しい星が見つかった。
新種の生き物がたくさん息づいていた。
私の入った会社が部署が発見したその星には、我々がまだ知らない世界が広がっていた。

そんな所への探索なんて、いったい誰がしたいというのだろう。
否、いるのだ。
例えば、権力と資産を欲しいままにし、残りの寿命を持て余したボンボンとか。
例えば、死よりも好奇心と冒険心に靡いてしまうどうしようもないバカなのに、人員を動かせる力を持ったやつとか。
例えば、うちの上司とか。

上司の立候補で、うちの部署がその、まだ誰も知らない世界へ踏み込むことになってしまったのだ。

なんたることだ。
「裸足でアザミを踏んづける」なんて、痛い失敗に決まっている。
綺麗な花に反して鋭い棘が、足を貫いて、大惨事になるのは自明の理ではないか。

それでも、うちのバカで、愛らしくて、どうしようもない上司とそれらを尊敬するバカどもは、新星に、誰もまだ知らない世界にどうしようもない憧れと、無謀な希望を抱いて、アザミを踏んづけようとするのだ。

まだ知らない世界へ…。

だから、私も行くことを決めた。
救いようのないバカどもだけでは、すぐに全滅がオチだからだ。

私は明日から、新星へいく。
まだ知らない世界へ行く。
バカたちと一緒に。
バカなことと分かっていながら、アザミを踏んづけに行く。

私も大概バカなのかもね。
一人ごちた言葉を、風が何処かへ攫っていった。

5/17/2025, 5:08:05 AM

その尻尾は、最高傑作だった。

食事にこだわったおかげで、とても鮮やかになった。
健康に気をつけたおかげで、とてもしなやかに伸びた。
丁寧に洗ったおかげで、いつでもつやつや心地よかった。

自分の身長くらいもある、美しくて、鮮やかで、いきのいい自慢の尻尾。

そんな自慢を自説する勇気。
牙を剥く、猫や犬や蛇などの捕食者の前に置いていく勇気。

プライドを、自慢を、宝物を、
手放す勇気。

その勇気で、我々は生き延びて来たのだ。
今までも。
これからも。

5/15/2025, 10:54:01 PM

バタークリームたっぷりの、バラの砂糖菓子が乗った、外国の作り話の絵本の中でしか見たことない、かわいい、かわいいケーキ。
あまくてやわらかそうなあのケーキ。

子どもの頃に憧れていたのは、そんなのだった。
ふっくらあまい、カロリーのバカ高い手作りケーキ。
お姫様のドレスみたいな、ウェディングドレスみたいな、ビジュアル満点のケーキ。

そんなケーキに憧れていた。
小さい頃の私は。

電気をつける気力もなく、家に踏み込む。
真っ暗で、誰もいないリビングに、買物袋を投げつけるように放り出して、座り込む。

暗闇だ。
暗闇だった。

病気が見つかって、私はもう甘いものは食べられない身体のようだった。
甘いものは制限。
砂糖は1日何グラム。

もう週一回のご褒美アイスもケーキも食べられない。
カフェに行って、甘々のラテを飲むことも叶わない。
ミスをして落ち込んだ日に、キンキンに冷えたコーラに直に口をつけて一気に飲むことも、もう出来ないのだ。

暗闇だった。
私の帰りを待つ者はもうだいぶ前からいない。
親は他界したし、もう一人の親とは仲が悪い。
恋人なんていないし、友人はみんな地元。
去年まで、うちで私を迎えてくれていた雑種のあの子も、もういなくなってしまった。

子どもの頃、私はバタークリームたっぷりのケーキに憧れた。
かわいい、ドレスみたいにかわいい、やわらかいケーキを囲んで、いっぱいの友達や家族に囲まれて、賑やかにお祝いをするそんな誕生日を。

もう叶わない夢だった。
ようやく仕事を見つけて、この街になれて、必死になって働いているうちに。

ぼんやり暗闇を見つめる。
こんな暗闇にも慣れてくる目がうざい。
悲しみなのか、怒りなのか分からない、熱い何かが、身体の中を巡って、込み上がってくる。
それの発散の仕方もわからず、くたびれたまま、私はぼんやりと暗闇の中の、私の部屋を見つめる。

ふと、スマホが震えた。

やけになって引っ張り出した。
電源をつけた。

それは、職場の後輩からの連絡だった。
いつぞやの昼休み、独りぼっちでコンビニのおにぎりをボソボソと食べていたから、あの日、私がお昼に誘ったあの後輩からだった。

「お誕生日おめでとうございます!」
後輩のメッセージのその下に、
バタークリームのかわいらしいケーキのスタンプが、「おめでとう」と笑っていた。

今日はずっと暗闇だった。
誕生日だというのに、やっと手に入れた自由な大人の誕生日だったのに、光なんて、見えなかった。なのに。

暗闇の中、スマホの画面はやけに眩しかった。
光輝いていた、暗闇の中で。

5/14/2025, 10:41:48 PM

「老化はね、身体の酸化なんだ」
きっとね、彼は言った。

錆びた金属を、手の中で弄びながら。

「遥か昔、酸素は生物にとって猛毒だったんだ」
私は生物の教科書に書いてあったはずのミトコンドリア、の文字を思い浮かべる。
目の前の彼はいつだって、生物学的に考えて話をする。

彼のデスクに置かれた観葉植物は、こう話している今も酸素を吐き出している。

酸化鉄の塊を弄ぶ、白くいかにも寝不足で不健康そうな細い指が、それぞれ動くのを、私はじっと見つめていた。

「酸素は、毒とまでは言わなくても劇薬なんだ。鉄も酸化すれば錆びる。酸素は爆発や引火の手引きだってする」

彼はぽつりと言った。

「生きてるだけで重労働で、劣化していくんだよ、僕たちは。劇物の酸素を取り込んで生きているのだからね。そういう生き方にして、きっと生物は死ねるようになったんだ」
「死ぬことは生き物が生きるために欠かせないことだからね、種の繁栄とか、環境への適応とか、進化とか、そういう意味で。」

「だからさ、生物というものは、潜在的に、本能の奥の奥できっと死にたがっているんだ。最期には死にたがっているから、僕たちが生きるのには酸素が必要なんだ」
彼はそう言い募って、少し黙った。

彼は手の内に弄んでいた錆びついたネジをデスクに置いて、私の方を見た。
しっかりと。

「だから、君も、そんなに自分のしたことを気に病む必要はない。僕たちはみんな、無限に出てくる修正案の一つで、その修正は永遠に続くんだから」

彼は、私の首にチラリと目をやって、頷くようにボソリと呟いた。

「それと。首吊りの場合、死因は縊死だ。気道を塞がれて呼吸ができずに酸素不足になるよりも、体と頭の重さで首が折れる方がずっと早い。首吊りでは酸素から逃れられないよ。」

そうして彼は、あまり上手くない気配の笑顔で笑ったようだった。
私は自分の頬が、少し緩むのを感じた。

今なら、酸素を吸うために、彼の顔を見るために顔を上げられそうだと思った。

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