「老化はね、身体の酸化なんだ」
きっとね、彼は言った。
錆びた金属を、手の中で弄びながら。
「遥か昔、酸素は生物にとって猛毒だったんだ」
私は生物の教科書に書いてあったはずのミトコンドリア、の文字を思い浮かべる。
目の前の彼はいつだって、生物学的に考えて話をする。
彼のデスクに置かれた観葉植物は、こう話している今も酸素を吐き出している。
酸化鉄の塊を弄ぶ、白くいかにも寝不足で不健康そうな細い指が、それぞれ動くのを、私はじっと見つめていた。
「酸素は、毒とまでは言わなくても劇薬なんだ。鉄も酸化すれば錆びる。酸素は爆発や引火の手引きだってする」
彼はぽつりと言った。
「生きてるだけで重労働で、劣化していくんだよ、僕たちは。劇物の酸素を取り込んで生きているのだからね。そういう生き方にして、きっと生物は死ねるようになったんだ」
「死ぬことは生き物が生きるために欠かせないことだからね、種の繁栄とか、環境への適応とか、進化とか、そういう意味で。」
「だからさ、生物というものは、潜在的に、本能の奥の奥できっと死にたがっているんだ。最期には死にたがっているから、僕たちが生きるのには酸素が必要なんだ」
彼はそう言い募って、少し黙った。
彼は手の内に弄んでいた錆びついたネジをデスクに置いて、私の方を見た。
しっかりと。
「だから、君も、そんなに自分のしたことを気に病む必要はない。僕たちはみんな、無限に出てくる修正案の一つで、その修正は永遠に続くんだから」
彼は、私の首にチラリと目をやって、頷くようにボソリと呟いた。
「それと。首吊りの場合、死因は縊死だ。気道を塞がれて呼吸ができずに酸素不足になるよりも、体と頭の重さで首が折れる方がずっと早い。首吊りでは酸素から逃れられないよ。」
そうして彼は、あまり上手くない気配の笑顔で笑ったようだった。
私は自分の頬が、少し緩むのを感じた。
今なら、酸素を吸うために、彼の顔を見るために顔を上げられそうだと思った。
5/14/2025, 10:41:48 PM