しのぶれど 色にでにけり 我が恋は
あなたと初めて話したのは、忘れもしません、あなたのもとに参内したあの日。
几帳越しにちらりと移る、すらりと淡い、氷魚のような美しい指に、すっかり見惚れてしまいました。
それから、私はあなたの声を、お姿を直接拝見できる、女官という自分の身分に初めて感謝したのでした。
優しく、誰にでも平等で、箱入り娘らしく世間知らずで無邪気なあなた。
世間知らずだけども、貴族の社会には非常に詳しく、油断ならない様子で、時に冷酷に懸命に世を渡ろうとしていたあなた。
家の行末を思い、お館様と奥様を心底尊敬なさっていたあなた。
あなたは琴と嘘を見抜くのが、素晴らしくお上手でした。
私はあなたをお慕いしておりました。
初めて打ち明けます、ひそかな想いにございます。
しかし、私の惚れたという主観を除きましても、あなたはまさしく、この華やかで儚い、都の理想の姫様でした。
皆、あなたが素晴らしい女性だということを、よく知っておりました。
だから、あなたが都から落ち延びねばならないと言われた時、私は迷わず、あなたのフリをして殺される役目に差し出がましくも、志願致しました。
誰よりも素晴らしいあなたをお救いするためなら、命も惜しくはない
そう思いましたので。
初めて袖を通す、あなたの衣服のその重たさに、ぼんやりと感嘆を覚えながら、私はあなたの身代わりとなりました。
あなたが男服に身を包んで、馬に乗って館を出立なさったすぐ後。
御簾を切り裂いて現れたのは、お館様があなたのお輿入れを相談なさっていた、あの分家に仕える者でした。
きっと今をときめく、あの家に唆されたのでしょう。
当時は、帝に入れ込んだあの家が、白といえば黒いものも白になるご時世でありましたから。
その家に圧力をかけられての裏切りであるということは、私にもわかりました。
あなた様の教育のおかげにございますね。
私は、問答も最期の挨拶も聞かぬ、無礼なその追手にかかり、胴と首とを切り離されながら、その追手のお顔をしかと見ました。
あなたの仇を、せめて最期まで憶えていようと、そういう、心持ちにございました。
しかし、何という不運か。
鬼のように斬りかかりながら、しかし、その若者の端正な顔立ちは、なんとも美しく、艶やかでありました。
心を奪われました。
その鬼のような冷酷さと、子供のように無邪気ですっきりとした表情に
…恐れながら、私は、あなたを見たのでございます。
私が絶命して、ばったりと倒れますと、その美しいお人は仰いました。
「この者を、その桜の木の下に埋めてしまえ。誰のお目にもかけるな」
私は、あなたの庭の桜の下に埋められました。
そして、その身は余す所なく桜に吸い上げられ、やがて木の体内を巡りながら花を咲かせ、恐れながらも宮中を見下ろせるようになりました。
私は、私を殺したあの追手が、あなたの縁者であることを知りました。
あなたがここに上がるため、あなたの家が参内するために貶めた、あなたの親族の長子であったということを、知りました。
私は、口のきけなくなった今では、ひそかな想いだけを頼りに、桜の中で生きております。
あなたに、あなたを殺した追手に憶えた、あの烈しく、温かなあの想いを、私は百年の間、ずっとそれだけを抱えて、生きていたのです。
だから。
だから、あなた様がここをお通りした時、
あなた様が…あなた様の魂が再びこの世で、あの追手であったあの人の魂を持ったあの子の手を引いてここに現れた時、
そして、お二人揃って、私の枝振りをお褒めになられた時、
私は動揺のあまり、ひそかに抱いていた想いを隠せませんでした。
そういうわけで、今宵の桜は、急に色付いたのでございます。
しのぶれど 色にでにけり 我が恋は
やはり、あなたに隠し事などできませんね。
じっ、と目の中を見つめながら、聞く。
「あなたは誰」
こちらをじっ、と見つめていた目の前の顔の口が動く。
「あなたは誰」
見慣れたはずの、でも記憶を掠めることのない顔が、今も目の前でまばたきをする。
洗面台で毎朝、顔を合わせる上半身だけの顔に、そう問いかけ始めてもう一年が経つ。
気狂いになりたかったわけじゃない。
ただ、本当に、鏡に映るこの顔が、誰のものなのかを知りたいだけ。
正当防衛で、人を殺したあの日からは、もう二年だ。
血と汗に塗れて呆然と座り込んだ私の目前で、私が必死で殴りつけ、ただの物体と化した男を、警察が運び出していった。
しどろもどろに煩雑と話す私の代わりに、状況証拠と第三者の証言が、正当防衛を証明した。
事前の計画通りだった。
騒ぎたいだけか、それとも何かに気付いたのか、事件から一拍置いて、たくさんの報道が出た。
世間の俎上に載せられた実名写真付きの報道は、自分のものとはとても思えなかった。
弁護士、警察と検察、裁判所さえ、宥めるように、勇気づけるように私に「あなたの件は正当防衛です」と言い、やたらと世話を焼いた。
私が壊れてしまうことを、公的機関は必要以上に恐れた。
友達や家族や私の縁者は、報道に憤り、何かと私を心配した。
事情を知る者たちは、みんな私の正当防衛を信じて疑わず、乱暴な報道や世論で私が傷つくのを、怖くなるくらいに恐れた。
私を心配した。
しかし、私はそんな世間の動きには、清々しいほど何も感じなかった。
ただ、ぼんやりと連日積み重なる、私についてのニュースを眺めた。
そのうちに心の裡で、ある疑問がふっと湧いた。
私の名で、こうして新聞やニュースに出ている、この顔はいったい誰なのだろう。
テレビに、私の名義で映し出された顔写真を見て、そう思った。
今まで気づいていなかったのだが。
その翌日に、顔を洗いに洗面台へ行って、私は発見した。
私が鏡の前に立つと、鏡にテレビに出ていた誰のものか分からない顔が写し出されるということに。
なるほど、そうだったのか。
なんてことはない。メディアがこぞってこの顔と私の名前を結びつけたのは、私にこの顔が付き纏っているからだったのだ。
私がいればこの顔が写し出されるからだったのだ。
私は納得して、そして聞いた。
顔写真と名前の謎は解けたが、私にずっと付き纏っているはずのその顔の素性には、私は覚えがなかったから。
真っ直ぐに顔を見据えて、私は聞いた。
「あなたは誰」と。
しかし、その顔は私を真っ直ぐに見つめ返して、ただ口を動かした。
「あなたは誰」
それから私は毎日、その顔に素性を問うている。
しかし、顔は毎日、口の動きだけで、私と同じように私の素性を問うだけ。
「あなたは誰」
ひょっとするとあの顔は、気が狂っているのかもしれない。
ちょっと不安になる。
けれどもいつも、あの顔を前にすると、そんな不安より好奇心が勝つ。
だから、私は今日も聞く。
あの顔を真っ直ぐに見据えて。
「あなたは誰」
親展 親愛なるあなたへ
手紙の行方
南から強い風が吹いた
春一番だ
誰かが言った
風からの便りだ
誰かが言った
浜辺に打ち上がったプラスチック
人類への警鐘だ
誰かが言った
海からの便りだ
誰かが言った
ぼくはあの子へ手紙を書いた
ラブレターだ
誰かが言った
恋人からの手紙だ
誰かが言った
でも
南風は本当に春を知らせたかったのだろうか
海を漂うプラスチックは本当に人間宛なのだろうか
きっと
手紙の意図は誰も分からない
書いた当事者にも
読んだ当事者にも
手紙の行方は誰も知らない
届けた当事者も
送り出した当事者も
受け取った当事者も
ぼくはあなたへ手紙を書いた
でも本当は誰への手紙か
この手紙はどこへ行くのか
それは誰にも分からない
Dear you
Lost letter
Very south wind
Said someone
"Came spring!"
Said someone
"It's letter from wind!"
Plastic washed up on the beach
Said someone
"A warning to human!"
Said someone
"It's letter from sea!"
I wrote letter to her
Said someone
"It's love letter!"
Said someone
"It's letter from lover!'
But
I wonder if it's ture?
That south wind announce spring
That plastic to was sent to human
No one known
That true purpose of the letter
Too witer
Too reader
No one known
That true destination
Too deliveryman
Too sender
Too receiver
I wrote letter for you
But,I don't know
who is my letter to
where will my letter end up
眩しい。
眩しい眩しい眩しい眩しい!
あなたが私に手を差し伸べている。
今朝の夢だ。夢。分かっている。
でも、現実でも何度もあったことだ。
そうだった。
いつも…あなたが現実にいた過去も、夢の中の今でさえも、私はあなたのその姿に、感謝もせず、ひたすらその輝きの眩しさに発作を起こして、ただただそんなことを心の中で呟いていた。
目を眇めて見つめるしかなかった。
強い、強い、輝き。
忌まわしい、輝き。
憧れ。
それだけ…記憶の中で、目の前で、いつも格好良くて、頼もしくて、だから、まともに直視できずに、斜に構えて眺めるしかなかった。
屈託のない笑顔で、当然のように人に手を伸ばし、誰よりも人気者で優しいくせに、ひたすらに不甲斐ない、誰からも相手にされないような私のピンチにも、必ず駆けつける。
見返りを求めないみたいな顔で、いつも優しく、私に声をかける。
差を見せつけられたみたいで、必死に突っぱねる弱者にも何食わぬ顔で、スラリと形の良い手を差し伸ばす。
だからといって、私の僻みと苛立ちを分かったかのように、威張ってみせ、まるで恨まれることも織り込み済みのように、同じ土俵に降りてくる。
私の心の中を見通したように。
本当は助けられたがっていることを、分かってるかのように。
助けられた方は、それに気づいて、尚も手を伸ばせるあなたの余裕と大人な様子が、憎くて、憎くて、でも、有り難くて、だから、眩しさに目を細めるしかない。
それがどんなに屈辱的で、見たくなくても、私たちも光がなくては生きていけないから。
同期の中で、私を疎まずに話しかけてくれる、唯一の人だった。
努力も人への気配りも意欲さえない私に、最期まで期待してくれた人だった。
私のどうしようもない失敗も、根本的な問題も、一緒に向き合い、解決しようとする人だった。
弱みや欠点なんて一つも見つからない、隙のない人だった。
だから、誰にも気づかれなかった。
どこかで聞いたことがあった。
「光が強いほど、影も濃い」
「本当に助けが必要な人は、助けたいと思う姿をしていない」
ネットで見たその言葉を、私は自分の都合の良いように自分に言い聞かせるためにしか使って来なかった。
でも、その意味をようやく理解したのだ。
あなたが、頽れるようにして、私の前から去ってから。
この会社に出すための辞表を抱えたまま、電車に飛び込んでから。
私はあなたの何も知らなかった。
あなたの自宅も、出身も。
その生い立ちも、抱えたものも、苦しさも。
あなたにあんなに甘えて、あんなに突っかかって、あんなに論ったのに。
本当に助けが必要なのは、誰だったのだろう。
今日も、忙しい業務の中で、私は思う。
そして、輝きを直視できなかった、自分の目を恨み、強すぎる輝きだったあなたを、お門違いに恨むのだ。
あなたの穴を埋めようとして、かえって広げながら、私は今日もあの輝きを思う。
燃え尽きた輝きは、もう戻っては来ないのに。
重たそうなトラックのエンジン音が、微かに聞こえる。
「来ましたよ!」
見張り番の声がする。
兵舎から、仲間たちは次々に飛び出して、トラックへ向かう。
泥に塗れた相棒の一眼レフを手に取って、私も外へ向かう。
兵舎から飛び出ていくみんなの後ろから外へ出る。
止まったトラックから運転手が降りてくる。
トラックの荷台や、後続の歩兵機動車から、補給部隊がぱらぱらと降りてきて、荷物を運び出す。
トレンチコート、ベルト、シャツ、ズボン。
包帯、薬、三角巾、シーツ、タバコ、嗜好品。
新しい砲弾と、大小様々な銃、銃弾、ガソリン。
石鹸、洗剤、芋と缶詰、小麦。
兵員輸送車からは、若いたくさんの新兵が、ピカピカの服を纏って降りてくる。
運び出される真新しい物資たちに、喜びと歓迎の声が上がる。
師団長が、運転手に歩み寄り、ガッチリと握手を交わす。
負傷者を支え、運び出しながら、救護兵もやってくる。
もうここに駐屯している全員が、トラックの前に集まっていて、今月の補給の品目が並ぶ。
くすんだ中で、真っ新にかがやく物資たちに、どこからともなく柔らかな笑みと、穏やかな喜びが、群衆の中に広がる。
最後に、箱を大切そうに抱えて出てきた男が言う。
「今月は、勲章を預かっております」
どよめきのような歓声が上がる。
箱がそれぞれの上官たちに渡されて、物資もすっかり運び出され、数えられて、配給の準備が整う。
「これより、今月の支給式、新兵の歓迎会、及び、功労者への勲章授与を行う!」
師団長の厳しい声の中にも、喜色が混じっている。
各部隊が、各場所に並んで、支給された物資を受け取る。
ぴっしりと糊付けされたシャツを掲げて、嬉しげに見つめる顔。
ぴかぴかのベルトの金具に、笑みを映してはしゃぐ顔。
真四角のタバコの箱を引き開けて、ふざけた笑みで、おどけてタバコを咥える顔。
一人一人に向かって、シャッターを切る。
心の中で、「時間よ止まれ」と呟きながら。
真っ白な三角巾を手に取ったお調子者が、「使わなかった古い三角巾で、テーブルクロスを作ろう!」と呼ばわり、上官から苦笑交じりの拳骨を落とされる。
洗濯兵や料理兵が、その様子を呆れたような笑顔で見やりながら、たらふく物資の入った麻袋を運び、満ち足りた溜息をつく。
負傷兵たちは、丁寧に仲間たちに支えられ、見送られ、泣き笑いでお礼を言われながら、別れを祝われながら、兵員輸送車に乗り込んでいく。
新たな薬や包帯、それから兵員輸送車に乗り込む負傷兵に向かって、安堵と不安の混じった、慈愛に満ちた笑顔を浮かべているのは救護兵たちだ。
私はシャッターを切る。
仲間の、幸せそうな、人らしい、一瞬一瞬が、カメラの中に残る。
朝露も落ちない程の早朝だ。
前線基地へやってくる、3ヶ月に一回の補給の日。
戦場の中で、もっとも華やかで、穏やかで、平和で、嬉しさに満ちた朝。
こういう時だ。シャッターを切るたびに心の中で、決まって「時間よ止まれ」と呟いてしまうのは。
普段は、痛みと悲しみを堪えたような固い表情で、絞り出すように言われる「写真を撮ってくれ」という私たちへの頼みも、今ばかりはとびきりの、嬉しさに満ちた笑顔で、被写体も今日ばかりは、本当にみんな揃って良い顔だ。
やがて、勲章授与の段になり、厳しい声が、授与者を呼ばわる。
その度に、歓声が上がり、呼ばれた一人一人は、前に出て、誇らしげに恭しく勲章を受け取る。
そして、周りの仲間たちにもみくちゃに祝われながら、照れ笑いを浮かべる。
「写真を撮ってくれ!」
上がる声に応えて、私はシャッターを切る。
この時間が、私はとても好きだ。
戦場の中でただ一時の、平和で明るく色づいた楽しい時間だ。
明日になれば。
日が登れば。
夜が明ければ、また戦争が始まるのに。
ここで笑っている幾人かとはもう会えなくなるだろうし、私だって、明日の夜まで生き残っている保証はない。
しかし、この時間だけは、そのことを忘れて、みんなで笑い合える。
この時間だけは、戦場で生き延びたからこその強い絆、関係性を、ただ、愛おしむことができる。
だから、私はこの時間がどうしようもなく好きで、幸せで、とても愛おしいのだ。
その幸せの前には、たくさんの不幸と苦しみと悲しみの影が落ちていて、この時間の先には、まだたくさんの不幸と苦しみと悲しみとが待っているとわかっていても。
分かっているからこそ、この時間が止まって欲しいと願ってしまう。
「おーい、記録兵!カメラ持ってるだろ?こっちも撮ってくれや!」
「その後はこっちで!あの人とお別れの写真を撮っておきたいの」
次々に上がる声に、私は応えて駆け回り、シャッターを切る。
時間よ止まれ、そう、心の中で願いながら。