薄墨

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12/15/2024, 2:36:51 PM

雪は汚いものを隠してくれる。
濁った水たまりも、腐った道草も、放り出された犬のフンも、捨て置かれたベタベタの空き缶も。

白くて冷たくて重い雪で、全てを覆い隠してくれる。
汚い地面を、ふわふわな純白で覆ってくれる。
見窄らしい木と枝と土だけが跋扈する冬を、幻想的な冬に変えるのはいつだって雪だ。

だから、私は雪を待っていた。
灰色の雲を睨みつけて。
重苦しい鈍い灰色の空から、真っ白いふわふわの雪が降るのを待っていた。

汚いものを隠してくれるから。
春がくるまで、冷たい雪の中に凍らせて、閉じ込めて、ずっと隠してくれるから。雪は。

山奥の、この道端で。
私は、私を覆い隠してくれる雪を待つ。

私は醜い。
ある日、醜くなってしまった。

顔は茶色く引き攣り、四肢は弛んで長細く伸び、指は鋭い爪に支配された。
ふかふかの綿のような内毛と、ゴワゴワと猛獣らしい茶色い外毛が絡み合って、埃と毛玉の塊のように思える。
足はゴツゴツと大きくて、水も氷も冷たくない。

血も、猛獣も怖くない。
お腹が減る。何か生き物を貪り食べる。
喉が渇く。何かの血を飲み下す。

私はバケモノになってしまった。
どくどくと脈打つ臓器と、生暖かくぬるりと流れる血液とで、生きていこうとするバケモノになってしまった。

腕や爪には、まだ赤いドロリとしたものが絡みついている。
口や頬には、屑が引っかかっている。

私は醜いバケモノだった。
食欲にうなされて、何かにかまわず、生き物を喰らおうとする醜いバケモノ。

私は、そんな私が嫌だった。
見たくない。
殺したくない。

だから、私はここへ来た。
飢えを必死に押さえつけて。
獰猛に牙を向く唇をかみしめて。

雪なら私を覆い隠してくれるだろう。
醜いあれやこれやを全て飲み込んでしまう雪なら。
雪で包まれれば、まだマシな美しい死体になれるだろう。
水で膨れることも、酸化して真っ黒になることもなく、雪と氷に閉じ込められるのだから。

だから私は雪を待つ。
誰もいない、金属血と呼ばれる、山の奥深くで。
雪を待つ。
全てを覆い隠してしまうような、白い白い雪を。

灰色くにごった厚い雲を見上げる。
冷たい風が、頬の茶色い毛を跳ね上げる。

空は沈黙していた。
私は、雪を待つ。

12/15/2024, 9:45:14 AM

星月夜は秋の季語らしい。
月の出ていない満点の星空が、乾き始めた夜の空気によって美しく見える。
そんな秋の夜を、星月夜というらしい。

今日も月は出ていない。
黒く染まった夜空の下に、星がいくつも落ちている。

建物や街路樹につけられたイルミネーションだ。
青や黄や赤や緑に、キラキラと、光り輝いている。

今は真冬。
どんよりとした暗い雲が、空を覆っている。

こんな夜も、星月夜と呼べるだろうか。
そんなことを考えながら、地上の星…イルミネーションを眺める。
冷たい風はカラッと乾いていて、空気は鋭く乾いている。

秋の星月夜は、貴方と一緒に見た。
昼間に貴方と、紅葉を狩って、秋晴れの空を眺めて、それから二人で星月夜を見た。
ひんやりとした人肌恋しい空気に、貴方との会話が暖かかった。

そんな貴方はもういない。
私の隣には、乾いた冴えた冬の空気が抜けていく。
乾き、冴えた空の空気は、イルミネーションを美しく輝かせている。

冬の星月夜は地に落ちた。
イルミネーションは、今日も美しい。

乾いた空を見上げる。
黒い黒い夜空が一面に広がっている。
冬の冴え冴えとした空気の中を、イルミネーションが、くっきりと光っていた。

12/13/2024, 11:45:56 PM

今日も、世界は美しい。

朝日が窓から差し込んでいた。
薄緑に朝日に透けた葉の向こうには、朝露が煌めいている。
爽やかな風に乗って、優しい小鳥の囀りが届く。
その柔らかな平和に混じって、登校前の子どもたちの、少し眠たそうな「いってきます」や「おはようございます!」が聞こえてくる。

あちらでもこちらでも、誰か大切な人に対しての、「おはよう」が飛び交っているに違いない。

ぐぅん、と伸びをして、外を眺める。
朝の日課には良い朝だ。

伸びをして、今まさに朝の世界に出て行こうとする彼女は、この世界が好きだった。
どうしようもなく厳しくて、辛いこともよくあるけれど、世界を憎んだこともあったけれど、それでも彼女は世界が好きだった。
相変わらず朝は穏やかに美しいし、昼は燦々と賑やかで、夜は静けさと冷たい闇が美しかったからだ。

人は悪いことをするかもしれないけど、悪人にも愛を注いでいる人がいて…だから彼女は、知らない誰かも誰かの大切な人で主人公である、この世界を愛していた。

彼女は、この世界がどうしようもなく好きだったのだ。

世界を愛しているものは、愛に敏感になる。
知らない親が、我が子にかける声も。
太陽が地球に注いでいる光も。
月が夜を静かに照らしていることも。
それが各存在が、この世界に愛を注いでいるのだ、と思えるほど。

彼女はそして、そんな大好きな世界のために、自分も愛を注ぎたいと思っていた。
常に世界を大切に思い、誰かを助け、もっともっと愛が溢れる世界にいたかった。

つまり彼女は、世界に期待していた。
この愛すべき世界を、愛に溢れる平和な世界にしていきたいと思っていた。

それを妨げるのは、大抵人間の存在だった。
有史以来、多数の動物と人類と植物を、幾度となく滅ぼしてきた人間。
同族同士でさえ、争いごとに飽くことのない人間。
歴史上は比較的平和なこの現代でさえ、殺害と事件の絶えない人間。

彼女は、人間は滅ぶべきだと考えていた。
そして、そのための計画を、人生を賭して練り続けていた。

同族を殺すことで、世界に愛を注いで、世界をより良いものにする。
それが彼女の夢だった。
彼女の注ぐ、愛だった。

人間にヒーローと呼ばれる敵の、目の前で、膝を折りながら、彼女はそんなことを思い出した。
自分の注いだ愛を。
自分が愛した世界の朝を。

愛を注いで、道半ばで敵に頽れる。
愛を仇で返されたようなそんな日でも、世界から裏切られたように感じるそんな朝でも。

相変わらず、今日も世界は美しい。
美しかった。

地面に頽れながら、彼女は相変わらず、世界に愛を感じて、注いで、注いでいた。

愛してやまなかった晴れた朝日に愛を注がれながら、この日、一人の犯罪者が死んだ。

12/12/2024, 10:16:24 PM

コンクリートの道を進む。
都会の道は快適だけど、すぐ乾いてしまう。
コンクリートの道には、雨は染み込まない。

細い雨の中、傘をさして歩きながら、足元を見た。
足元は相変わらずコンクリートで、しっかりと硬い。
田舎のように、足が水を含んだぬかるみに沈んだり、靴に濡れた土が絡んだりはしない。
便利だ。
文明の勝利だ。

それが何だか、味気ない。

ビルは、雨に打ち付けられても平然と突っ立っていて、信号機は風に吹かれても揺らぎもしない。

雨なのに、空気以外はみんな乾いているような気がする。

自分の心とどっちが乾いているのだろうか。
雨に濡れ、それでも瑞々しさを取り戻すでもなく、冷えるのを気にするでもなく、立ち尽くしている街並みを見つめながらそう思う。
確かに、私の心は乾いているのだ。
この雨の街と同じように。

何をしても楽しくない。
何を見ても悲しくない。
ただ、淡々と毎日を過ごすだけ。

自分で対策を考えてみても、そんな気持ちを周りに相談してみても、効果のある対策はひとつもなかった。
私は相変わらず、無道徳で、無感動な人間だった。

さっき話した精神科の先生は言った。
「誰かと、心と心の繋がりを持ちましょう」と。
しかし、雨すら染み込まない乾いた心と、通じられる心などあるのだろうか。

潤いのある心がなんたるか分からない心。
そんな心は、心と心で話すことが、できるのだろうか。

雨が激しく降り出した。
傘に強く打ち付ける。
雨粒は、街には染み込まない。
コンクリートはぬかるみにはならず、ビルはいつもと同じ絶壁で、信号機は動き続ける。

街は、雨を吸い込まない。

12/11/2024, 11:11:06 PM

ああ、バレないだろうか。
僕は内心、ヒヤヒヤしながら、部屋を出る。
入れ違いでリビングに入ってきたのは、僕の弟だ。

何でもない時って、僕は一体、どんな動きをしていただろうか。
何でもないフリ、何でもないフリ、と、心の中で何度も自分に言い聞かせながら、廊下を歩く。

やらかしてしまったのは、昨日の晩。
弟が眠った後のことだ。
いつもは、僕も弟も、だいたい同じ時間に夕飯を食べて、同じ時間くらいに眠る。
歳はそんなに離れてないから、日中は別々でも、夕方帰ってきてからの生活スタイルはよく似ているのだ。

しかし昨日は、別々だった。
昨日は、恋人との予定があって、僕の帰りは遅かったのだ。
恋人の機嫌を損ねてしまい、僕がやっと家に帰った時、リビングの時計は0時30分を指していた。

僕たちは、23時30分くらいにいつも眠るから、弟はとっくに寝てしまっていた。

まずは荷物を片して、その時、小腹が空いていたので、とりあえず何か軽く食べて、今日は寝よう。そう思って冷蔵庫を開けた。

今思えば、それが悪かったのかもしれない。

自分の部屋に向かう。
バレるのは時間の問題のような気がしてきた。
ドアを音が鳴らないようにそっと閉める。

昨日の夜、冷蔵庫にはプリンがあった
弟が買ってきたものだろう。
美味しいケーキ屋さんのプリンが、大きなケーキ屋さんの箱に入れられて、冷蔵庫に鎮座していた。

僕は昨日、それを取り出して、それから…。

リビングから大声が聞こえてきた。
弟の声だ。
僕は覚悟を決める。

弟はきっと冷蔵庫を開けたのだ。
そして気づいた。
プリンがないこと。
そして、プリンのあったはずのところに、人がバラバラになって詰め込まれていることに。

僕は過ちを犯した。
昨日、恋人を殺したのだ。
バレないように何でもないフリをしていたのだが。
やはり同居している弟にバレないようには、無理な話だったか。
弟はまもなく僕を探しにくるだろう。

僕はドアの後ろにそっと回る。
手の中にナイフを握りしめて。
何でもないフリをして。

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