大切な人を庇って死ぬというのは、大切な人にとって、酷いことだ。
遺された人は、自分が死因となったことを苦しみ、救われたことに苦悩しながら生きていかなくてはならないから。
よく、口説き文句で、「命を賭けて君を守る」なんてのがあるが、本当にやられたら、その人のその後の人生には一生苦悩がついて回る。
大切な人を「命を賭けて守る」ことは、実は一番、自己中心的で、酷いことなんだと思われる。
だから、大切な人を庇って死ぬ、なんて、本当はやってはいけないのだ。
大切な人を庇うのなら、きちんと生還しないといけない。
そうしないと、大切な人に一生残る傷を負わせることになるから。
生き延びる自信がなきゃ、庇ってはいけないのだ。
君に向かってアイツが、斧を振りかぶって突っ込んできた時、僕は本当は逃げなきゃいけなかった。
「あなただけは生きて!」君はそう言ってくれたのに。
僕は君が死ぬのが耐えきれなかった。
逃げ出すことができなかった。
そして傲慢だった。
僕は君を庇ってしまった。
君の死に顔を僕が見たくないばっかりに。
斧で切り付けられて生き延びる自信なんてなかったのに。
切り付けられて倒れた僕に、君は泣きながら駆け寄った。
だから考えなしに庇うのはダメだったのだ。
アイツは容赦なく斧を振るった。
僕は…
僕は、なんて罪深いことをしてしまったのだろう。
僕を抱き抱えて、泣きながら、斧に今打たれようとする君に、僕は…僕は…
「「ありがとう。ごめんね」」
僕が絞り出したのとおんなじ言葉を、君が言った。
僕は余計に悲しくて、自分を呪った。
泣いている君の顔。
その奥に斧を振りかぶるアイツの、醜い形相が見えた。
眼鏡をかけた。
学校の視力検査に引っかかって、つい一ヶ月前に買ってもらったばかりの眼鏡を。
かけるのはお店でかけて以来、初めてだ。
揶揄われるのが怖くて、何かあったのかと勘繰られるのが嫌で、まだ人前につけて行ってないのだ。
目が疲れている気がしたので、眼鏡をかけた。
目は疲れていても、定期テストは待ってくれない。
いくら目が疲れていても、今からはテスト勉強をしなくてはならない。
勉強では目を凝らすから、見えやすい眼鏡をかけていた方が、目にも負担が少ないはずだ。
それに、確かこの眼鏡のレンズには、ブルーライトカット効果もついていたはずだし。
眼鏡をかけると、急に視界がはっきりした。
世界がくっきり、絵の中のようにハッキリと発色される。
天井はいつもより白く、まっすぐで。
スマホの画面は、わずかに反っている。
エアコンの上、照明の傘にうっすら積もった埃が見える。
遠くの文字も読むことができる。
ぼやけていた輪郭が、ピンとしている。
まるで、輪郭を縁取ってから塗った塗り絵だ。
眼鏡をかけて、部屋の中を見まわした。
窓ガラスは、白い指の跡が残っていた。
床には、細い髪の毛が落ちていた。
目が良くなると、掃除がしたくなる。
今までぼんやりとした輪郭の中で、物や背景に溶け込んでいた汚れが、ハッキリ見えるから。
ふと、部屋の片隅を見上げた。
三辺に伸びる部屋の輪郭が、部屋の角の一点に集まって、固まっている。
壁の白が、部屋の片隅に集して、小さな白い一点を作っている。
妙に魅力的だった。
そんな部屋の片隅に、薄汚れた灰色の綿埃が、薄々と積もっていた。
白い点は微かに濁っていた。
…なぜだか急に、それが許し難いことのように思えた。
私は、掃除機を手に取る。
埃払いのパタパタを引っ張り出して、もうボロボロの布を、ボロ切れにして、水に浸す。
「急にどうしたのー!」
騒ぎを聞きつけたママの声が、階下から聞こえたけど、もう知ったことではない。
掃除をしなくては。
あの部屋の片隅の埃を払って、窓を水拭きして、床の汚れはみんな掃除機に吸い取って…
私はマスクをつけると、部屋の片隅で黙々と掃除を始める。
眼鏡の魔法にかけられて、ゆっくりと。
窓を磨き、掃除機をかけ、部屋の隅をはたく。
ボロ切れやボロの歯ブラシを汚れに当てこすり、掃除機やコロコロを床に這わせて、埃を絡めとる。
なんだか気分がスッとする。
私は黙々と掃除を続ける。
埃を取り、煤を磨き、ゴミを捨てる。
部屋の片隅から片隅へ。
部屋の片隅で、なんとなく一生懸命に掃除をする。
…明日のテストから目を逸らしながら。
徳が溜まりそうだし、これもある意味テスト対策である。
そう言い訳をしながら、私は掃除を続ける。
部屋の片隅で。黙々と。
蝙蝠傘が欄干に吊ってある。
混乱した。
どういうことだ。
あいにく、答えてくれる家の主は居なさそうだ。
なぜか待ち合わせに全く来ない友人の家の扉が、不用心に開いていたなら、相場は、欄干に吊られているのは首なのではないだろうか。
だが、蝙蝠傘だ。
室内の、真ん中の欄干に吊り下がっている。
真っ黒の、しかも中途半端に骨が曲がっているせいで、遠目に見たら、本物の蝙蝠にさえ見える。
なんなのだろうか。
現代前衛アートだともいうのだろうか。
しかし、作者はいない。家中に響く声で呼ばわったのに。
蝙蝠傘だけがそこにある。
逆さまに、欄干からこちらを見ている。
日が開け放たれた窓から差している。
蝙蝠傘のくっきりと黒い影が、床板の上に投げ出されている。
蝙蝠傘は、不安定な持ち手に体を預けて、欄干からぷらぷらと揺れている。
…確かに、友人はここのところ、様子がおかしかった。
沈み気味で、いつも何か考え込んでいて、何を話しても上の空だった。
だから、心配していたのだ。
今日の待ち合わせも、友人の様子を測るために呼び出したようなものだった。
しかし、30分経っても、やってこなかった。
だからここまで、それなりの覚悟を決めてやってきたのだ。
右手に携帯を握りしめて。
ところが、いざ入ってみると蝙蝠傘がぽつんと逆さまに揺れていた。
友人はおらず、家はとっくにもぬけのから。そういえば家具さえも見当たらない。
一体どういうことなのだろうか。
廊下に出てみる。靴が廊下に並んでいる。
玄関に向かう。玄関には、食器や洋服が、ずらりと置かれている。
逆さまだ。
ものが内外逆さまに置かれている。
尚も意味が分からない。
漠然とした、不安のような恐怖のような、訳のわからない感情が胸に迫ってくる。
逆さまとはこんなに異様で、恐怖を呼ぶものだったか?
一刻もこの家から出たい気持ちを押さえつけて、友人の行き先の手がかりを探す。
こんな突飛なことをして、何を考えているのだろう。
まさか、家の中に隠れているんじゃないだろうな…。
そういえば、収納や押し入れの中はチェックしていないのだ。
友人を探して、歩き出す。
コツッ…後ろで靴の音がする。
振り返ろうとした、意思と行動の狭間で、急に視界が暗転する。
意識が…遠のいていく…
どういうことだ……あの逆さまは、…何の意味が……
蝙蝠傘が逆さまに揺れている。
思考が、ブラックアウトした。
暖かい布団の中で、目だけが冴えている。
四方は真っ暗闇が支配している。
当たり前だ。深夜なんだから。
そろそろ空が白んでくる頃合いだ。
布団の中で寝返りを打ち、スマホのブルーライトで表現された時間を見る。
青白い光が、午前3時を示している。
眠れない。
眠れない。
なぜ眠れないかはよく分からない。
眠れないほど心配があるわけじゃなし。
眠れないほど辛いわけじゃなし。
なにしろ、私は苦しみたくないので、無我の境地に行こうと思った人間なのだ。
足るを知ろうと思った人間なのだ。
愛読書は『高瀬舟』だし、法華経とか四諦とかがマイバイブル。
向上心は仕事などのプライドを持つべきところで発揮して、プライベートではかなぐり捨てろ。これが私のポリシーだ。
何事も思い通りに行かなくたって仕方ないと諦めているし、それが悟りだと知っている。
だから、別に困り事は、その時々に「ちょっと困るなあ」と思うくらいで、私の人生にとっては重大な困り事ではない。
しかし、眠れない。
眠れないほどのことがないから、眠れないのだ。
どうやら私は、眠れないほど気楽らしい。
気楽すぎて眠れないことがあるだろうか。あるのだ。
現に私は眠れない。
深夜に、形だけは眠りながら、夜闇を見つめて夜を明かす。
それが、私の1日だ。
どうせ眠れないなら、何かしようか、と思うこともある。
思うことがあるだけで、しない。
だって、それほど切羽詰まってやろうと思うことも、ほとんどないのだから。
だから私は、夜は夜の闇をぼんやり楽しみながら、考え込むことに使っている。
瞑想、的な。
これがどうして、結構楽しいのだ。
眠れないほどの気楽さで、眠れない夜を明かす。
気がついたら、もう一時間が経とうとしている。
窓の外の空の端が、微かに白む。
朝がやってくる。
ミームとは。
模倣によって人から人へ伝達されていく文化情報であり、例えば葬式の作法、例えば比喩表現、例えば民話や昔話の教訓など。
昨今よく使われる、SNSやインターネット上で爆発的かつ半永久的に感染したかのように広がっていく、“お約束”を意味するミームとは、結果、本来の「ミーム」という言葉に内包される「インターネットミーム」のことなのである。
インターネットは混沌だ。
規則正しく朝に起き、退屈だけど安定した会社へと向かうサラリーマンと、昼夜逆転、不安定に苛まれながらまだ布団に潜っているYouTuberが、まるで竹馬の友であるという風に、談笑する。
考えなしなために社会の最底辺を這いずって、同じ程度の人間をざらざらと引き連れたバカと、上澄みの上澄みまでを蹴散らして寂しさに負けかけている孤高の天才が、互いに傷を舐め合っている。
電気で冷たい金属を稼働して考える脳が、人の肉声を真似て喋り、糖を消費して温かな蛋白質を回す脳が、抑揚のない機械の声を採用する。
耳心地の良い夢に溢れた上品な言葉には、下劣な動機と思惑の腐臭が漂い、悪辣で粗雑な言葉には、誠実で優しい親切の欠片が透けて見える。
創作物と噂話と民間伝承と現実の出来事が混じり合って、形を持つ。
夢の出来事としか思えないような如何わしい不気味な事に、身元の確かな権威的論文が正確な書誌情報と共に引用され、明々白々な現実の出来事に、怪しからん支離滅裂な理屈がくっつく。
インターネットでは、夢と現実が入り混じり、溶け合っている。
混沌だ。
その混沌の電子の海の中で、私は途方に暮れ、立ち尽くしていた。
「海の中で立ち尽くす」というのは、些か地球の法則によっても、比喩表現によっても、妙な表現であるし、そもそも物理的に私は理性も目的も確かで座っているのだから、「途方に暮れ、立ち尽くす」というのも間違いである。
だが、そんな論理的な思考はここでは力を持たなかった。
ここはインターネットの世界。
夢と現実が複雑怪奇に絡まり合って、一つになった荒涼なミームの中。
混沌の中にいれば、私も混沌なのだ。
夢と現実の境の見えない、曖昧な混沌の相の子でしかないのだ。
私は、「人類のミームの進歩と進化過程についての孝論」と書かれた紙を握りしめて、深い海の中を立ち尽くしている。
「卒論 人類学」と書かれたファイルを開いて、途方に暮れて座り込んでいる。
虹彩は、夢と現実の入り乱れた情報を節操なく吸い上げ、脳は、その相対する何者かの広大さに、糖の分解を止め、脳細胞の仕事を取り上げる。
インターネットをよく見てみるがいい。
ここは混沌だ。
人の死も、人の生も、醜い喜劇も、美しい悲劇も、碌でない何千億の人生と一緒に氾濫している。
ネクロノミコンや呪いの書をわざわざ探して読まなくたって、インターネットを覗いて、これを全てまともに考えて仕舞えば私たちは発狂できるだろう。
事実、私はもう分からない。
夢と現実と、が。
だから私は立ち尽くしている。
電子の海の底で、ゲーミングチェアに座り込んで、ぶつ切りのコードに繋がれたパソコンの前で、夢と現実の途方もない情報が混じり合った深水の中で、立ち尽くしている。
どこかで、パソコンか端末か、何やらが
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。と鳴った。
夢と現実とが、確かにそこにあり、しかしどこにあったか分からなかった。
私は混沌に埋もれた。
混沌が私をすっかり飲み込み、消化してしまった。
溶け合った、夢と現実が、私をヒシと抱きしめていた。