蝙蝠傘が欄干に吊ってある。
混乱した。
どういうことだ。
あいにく、答えてくれる家の主は居なさそうだ。
なぜか待ち合わせに全く来ない友人の家の扉が、不用心に開いていたなら、相場は、欄干に吊られているのは首なのではないだろうか。
だが、蝙蝠傘だ。
室内の、真ん中の欄干に吊り下がっている。
真っ黒の、しかも中途半端に骨が曲がっているせいで、遠目に見たら、本物の蝙蝠にさえ見える。
なんなのだろうか。
現代前衛アートだともいうのだろうか。
しかし、作者はいない。家中に響く声で呼ばわったのに。
蝙蝠傘だけがそこにある。
逆さまに、欄干からこちらを見ている。
日が開け放たれた窓から差している。
蝙蝠傘のくっきりと黒い影が、床板の上に投げ出されている。
蝙蝠傘は、不安定な持ち手に体を預けて、欄干からぷらぷらと揺れている。
…確かに、友人はここのところ、様子がおかしかった。
沈み気味で、いつも何か考え込んでいて、何を話しても上の空だった。
だから、心配していたのだ。
今日の待ち合わせも、友人の様子を測るために呼び出したようなものだった。
しかし、30分経っても、やってこなかった。
だからここまで、それなりの覚悟を決めてやってきたのだ。
右手に携帯を握りしめて。
ところが、いざ入ってみると蝙蝠傘がぽつんと逆さまに揺れていた。
友人はおらず、家はとっくにもぬけのから。そういえば家具さえも見当たらない。
一体どういうことなのだろうか。
廊下に出てみる。靴が廊下に並んでいる。
玄関に向かう。玄関には、食器や洋服が、ずらりと置かれている。
逆さまだ。
ものが内外逆さまに置かれている。
尚も意味が分からない。
漠然とした、不安のような恐怖のような、訳のわからない感情が胸に迫ってくる。
逆さまとはこんなに異様で、恐怖を呼ぶものだったか?
一刻もこの家から出たい気持ちを押さえつけて、友人の行き先の手がかりを探す。
こんな突飛なことをして、何を考えているのだろう。
まさか、家の中に隠れているんじゃないだろうな…。
そういえば、収納や押し入れの中はチェックしていないのだ。
友人を探して、歩き出す。
コツッ…後ろで靴の音がする。
振り返ろうとした、意思と行動の狭間で、急に視界が暗転する。
意識が…遠のいていく…
どういうことだ……あの逆さまは、…何の意味が……
蝙蝠傘が逆さまに揺れている。
思考が、ブラックアウトした。
暖かい布団の中で、目だけが冴えている。
四方は真っ暗闇が支配している。
当たり前だ。深夜なんだから。
そろそろ空が白んでくる頃合いだ。
布団の中で寝返りを打ち、スマホのブルーライトで表現された時間を見る。
青白い光が、午前3時を示している。
眠れない。
眠れない。
なぜ眠れないかはよく分からない。
眠れないほど心配があるわけじゃなし。
眠れないほど辛いわけじゃなし。
なにしろ、私は苦しみたくないので、無我の境地に行こうと思った人間なのだ。
足るを知ろうと思った人間なのだ。
愛読書は『高瀬舟』だし、法華経とか四諦とかがマイバイブル。
向上心は仕事などのプライドを持つべきところで発揮して、プライベートではかなぐり捨てろ。これが私のポリシーだ。
何事も思い通りに行かなくたって仕方ないと諦めているし、それが悟りだと知っている。
だから、別に困り事は、その時々に「ちょっと困るなあ」と思うくらいで、私の人生にとっては重大な困り事ではない。
しかし、眠れない。
眠れないほどのことがないから、眠れないのだ。
どうやら私は、眠れないほど気楽らしい。
気楽すぎて眠れないことがあるだろうか。あるのだ。
現に私は眠れない。
深夜に、形だけは眠りながら、夜闇を見つめて夜を明かす。
それが、私の1日だ。
どうせ眠れないなら、何かしようか、と思うこともある。
思うことがあるだけで、しない。
だって、それほど切羽詰まってやろうと思うことも、ほとんどないのだから。
だから私は、夜は夜の闇をぼんやり楽しみながら、考え込むことに使っている。
瞑想、的な。
これがどうして、結構楽しいのだ。
眠れないほどの気楽さで、眠れない夜を明かす。
気がついたら、もう一時間が経とうとしている。
窓の外の空の端が、微かに白む。
朝がやってくる。
ミームとは。
模倣によって人から人へ伝達されていく文化情報であり、例えば葬式の作法、例えば比喩表現、例えば民話や昔話の教訓など。
昨今よく使われる、SNSやインターネット上で爆発的かつ半永久的に感染したかのように広がっていく、“お約束”を意味するミームとは、結果、本来の「ミーム」という言葉に内包される「インターネットミーム」のことなのである。
インターネットは混沌だ。
規則正しく朝に起き、退屈だけど安定した会社へと向かうサラリーマンと、昼夜逆転、不安定に苛まれながらまだ布団に潜っているYouTuberが、まるで竹馬の友であるという風に、談笑する。
考えなしなために社会の最底辺を這いずって、同じ程度の人間をざらざらと引き連れたバカと、上澄みの上澄みまでを蹴散らして寂しさに負けかけている孤高の天才が、互いに傷を舐め合っている。
電気で冷たい金属を稼働して考える脳が、人の肉声を真似て喋り、糖を消費して温かな蛋白質を回す脳が、抑揚のない機械の声を採用する。
耳心地の良い夢に溢れた上品な言葉には、下劣な動機と思惑の腐臭が漂い、悪辣で粗雑な言葉には、誠実で優しい親切の欠片が透けて見える。
創作物と噂話と民間伝承と現実の出来事が混じり合って、形を持つ。
夢の出来事としか思えないような如何わしい不気味な事に、身元の確かな権威的論文が正確な書誌情報と共に引用され、明々白々な現実の出来事に、怪しからん支離滅裂な理屈がくっつく。
インターネットでは、夢と現実が入り混じり、溶け合っている。
混沌だ。
その混沌の電子の海の中で、私は途方に暮れ、立ち尽くしていた。
「海の中で立ち尽くす」というのは、些か地球の法則によっても、比喩表現によっても、妙な表現であるし、そもそも物理的に私は理性も目的も確かで座っているのだから、「途方に暮れ、立ち尽くす」というのも間違いである。
だが、そんな論理的な思考はここでは力を持たなかった。
ここはインターネットの世界。
夢と現実が複雑怪奇に絡まり合って、一つになった荒涼なミームの中。
混沌の中にいれば、私も混沌なのだ。
夢と現実の境の見えない、曖昧な混沌の相の子でしかないのだ。
私は、「人類のミームの進歩と進化過程についての孝論」と書かれた紙を握りしめて、深い海の中を立ち尽くしている。
「卒論 人類学」と書かれたファイルを開いて、途方に暮れて座り込んでいる。
虹彩は、夢と現実の入り乱れた情報を節操なく吸い上げ、脳は、その相対する何者かの広大さに、糖の分解を止め、脳細胞の仕事を取り上げる。
インターネットをよく見てみるがいい。
ここは混沌だ。
人の死も、人の生も、醜い喜劇も、美しい悲劇も、碌でない何千億の人生と一緒に氾濫している。
ネクロノミコンや呪いの書をわざわざ探して読まなくたって、インターネットを覗いて、これを全てまともに考えて仕舞えば私たちは発狂できるだろう。
事実、私はもう分からない。
夢と現実と、が。
だから私は立ち尽くしている。
電子の海の底で、ゲーミングチェアに座り込んで、ぶつ切りのコードに繋がれたパソコンの前で、夢と現実の途方もない情報が混じり合った深水の中で、立ち尽くしている。
どこかで、パソコンか端末か、何やらが
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。と鳴った。
夢と現実とが、確かにそこにあり、しかしどこにあったか分からなかった。
私は混沌に埋もれた。
混沌が私をすっかり飲み込み、消化してしまった。
溶け合った、夢と現実が、私をヒシと抱きしめていた。
ママの様子が変だ。
先生も、友達も、みんな気づいていないし、気にしてない。
でも僕だけは気づいてる。
ママが変だ。
僕のママが偽物になっちゃったんだ。
僕を怒鳴りつけたり、つねったりしないのだ。
ママが変だ。とても。
試しに昨日、テレビに出ていたオムライスが食べたいって言ってみた。
ママの言う“大人のための”番組…大人たちの間ではバライティ情報番組とか呼ばれているらしい…で紹介されていた、うんと手が掛かるやつ。
いつもの、僕のママなら言うはずだ。
「そんな贅沢言わないの!!ママのいつものご飯が不満だって言うの?!」
そうやって怒鳴って、しばらく目も合わせてくれないし、口を聞いてくれない。
それがいつものママのはずだった。
でも、でも。
昨日のママは、しばらく黙って、それから何度か深く息を吸ってから、優しい声でこう言った。
「美味しそうねえ。でも今日は材料ないし、またいつかね」
ママが変だ。
僕のママじゃない。
僕は、保育園によく遅刻する。
保育園が嫌いなわけじゃない。
でも、朝は眠くて、寒くて、とても外に出られたものじゃない。
朝は、寒い外に出て、保育園に歩いていって先生にご挨拶するよりは、あったかい家でダラダラしたいんだ。
でも、12月になってからは一回も遅刻してない。
ママが変だからだ。
一日中、偽物のママに支配される家にいるよりは、保育園でめんどくさいけど、友達と喧嘩したり、遊んだり、片付けしたり、いつもの先生に会う方がずっといい。
ママが偽物になってから、あんまり家では落ち着けない。
でも。
窓の外を見ると、空が橙に染まっている。
もうすぐお迎えの時間だ。
さよならの時間だ。
お迎えが来ると、先生が呼びに来る。
それで、保育園の教室から出るときに、みんな「さよなら」をいう。
先生に「さよなら」を言ったら、僕たちはもう家に帰る。完全にぷらいべーと、になるんだ。
僕はそれが怖い。
だって今日も、変わってしまった偽物のママと二人きりなんだもん。
先生が教室の外で誰かと話してる。
耳を澄ませる。
…ぼくの、ママの声。
僕は、目を瞑って、心の中で必死に祈る。
日曜日の朝、僕に笑いかけてくれるテレビの中のヒーローに、絵本に出てきたおきつねさまに、いつかおばあちゃんとお参りに行った神社のかみさまに、今ママとお話ししている先生に。
「さよならは言わないで。帰りたくない」
お外ではカラスがガァガァ鳴いている。
ママと先生が声を立てて笑う。
さよならは、言わないで。
空はだんだん暗くなる。
足元に落ちていたミニカーがかちゃん、と鳴った。
小悪党は聖人に淘汰され、聖人はド悪党に切り伏せられ、そのド悪党は小悪党に足を掬われる。
壮健な軍馬に跨った若い少将には、それが世の中の真理だった。
彼は生まれ祖国の命を受けて、つい最近、我が祖国となったばっかりの、この辺鄙な新領に生きていた。
祖国の軍門に下る前、この地は「光と闇の狭間」と呼ばれていた。
この離島の地を率いていた、魔術師が名付けた名前だった。
実際、この地は光と闇の狭間であった。
光の人間世界と、闇の死霊の世界。
この地はその二つの世界の狭間にあって、しかもこの二つの地を繋いでいた。
いわばこの地は、光と闇の狭間で、両世界の門でもあった。
そのバランスを見ていた門番こそが、この地の元支配者、魔術師たちだったのだ。
しかし、無慈悲な彼の祖国は、元支配者の存在を許さなかった。
管理者を失ったことで誕生した、光と闇の狭間の世界は恐ろしいものだった。
魔術師を失ったこの地は荒れ果てた。
闇の世界からは死霊が溢れ、光の世界は恐怖に慄いて、人間たちの仲間割れまで発生した。
争いが争いを呼び、この地はすっかり、戦場に成り果てていた。
小悪党は聖人に絆され、罪悪感と罪の意識で善の方向へ足を踏み外して消えていった。
聖人はその誠実さと論理的思考故に、そのどちらも気にしないド悪党に担がれて、ボロ切れのように捨て置かれた。
ド悪党は強者であるが故に、眼中にすら入らない小さきことを拾い上げた小悪党に、足を掬われて崩れていった。
死霊にも聖人はいたし、当然だが、人間にもド悪党はいた。
しかし、どの人物も何かしら敵や弱点があって、一瞬の隙をそれらに晒したら最後、消えていった。
彼が来たのはそういうところだった。
だからこそ、彼は少将という立場にしては些か悲観的なその理論を、真理だと確信していた。
そして彼の掴んだ真理は、こんな光と闇の狭間で最も役に立つ教訓であり、日常に訪れる数々の悲劇を俯瞰で処理してくれる理性でもあった。
彼はその考えのために、今の今までここで生き延びてきた。
荒み切った世界の中では、冷徹な理論がまさしく、光と闇の狭間で生きていくために、欠かせないピースであった。
光と闇の狭間で、少将は凛とした姿で佇んでいた。
強い真理を心の支えとして持つ彼には、ある種の自信が満ち溢れていた。
軍馬に背筋を伸ばして、光と闇の狭間の世界を見下ろす若い少将には、生命力が溢れていた。
ツッ…
その溢れるばかりの絵画のような世界を、切り裂くようにそんな音がした。
精悍だったはずの雄々しい軍馬が、目を剥いて狂ったように棒立ちになり、余裕と生命力に満ち溢れていた少将の体がぐらり、と傾いた。
そのまま、彼の体は滑るように地面に落下した。
岩肌の凹凸が光と闇とを作り出す、岩場の地面に。
光と闇の狭間で、少将は静かに呻き声をあげた。
馬が、足を折り崩した。
島は、争いと死の騒がしさに満ちていた。