【今年の抱負】
「今年の抱負かぁ…そんなん言われても、別にやりたいこともないんだよなあ」
「俺とずっと一緒にいる」
「え?」
「今年の抱負。俺とずっと一緒にいる、で良いじゃん」
「…え?」
「それなら絶対達成できるよ、俺は離れる気ないし」
「………なに?今プロポーズか何かされてる?」
「うん」
「うん!?」
【新年】
『いや〜明けましておめでとうございます。とうとう新年やねぇ』
なんとも間の抜けた声。両耳を覆うヘッドフォン越しにそれを聞きながら、指先に挟んだ煙草をくしゃりと灰皿に押し付ける。今喋っているのは、俺がここ数年ずっと推している配信者だ。顔は映しておらず、代わりに可愛らしい虎のキャラクターが画面上でゆらゆら揺れている。いつもなら彼の配信を見ているのが何にも代えがたい至福の時間だが、今は違う。俺は内心焦っていた。めちゃくちゃ焦っていた。なぜって?彼の口から語られるエピソードの全てに、聞き覚えしかなかったからだ。
『そうそう、初詣行ってきたんよ。そこでおみくじ引いてんけどさあ…』
(…「結果は大凶だった、今時そんなことある?せめて凶までやろ。」…だよな)
画面の中の彼が話すよりも先に、その続きを脳内で諳んじることができてしまう。知ってる。だってそれ、昼間に聞いたのと一言一句同じ。爆笑しながら話していた友人の声が、脳内でリフレインする。
『しかもさ、俺大凶引いてんのにさ、一緒に行った友達引いたの大吉やで?まじでやってられへん、俺の運全部吸われてるんちゃうかな』
机の上に投げ出した財布から、紙切れを一枚取り出して広げる。そこには、でかでかと書かれた「大吉」の文字。
それから、微かに震える指でスマホを操作する。今日の初詣で友人と撮った写真。大吉のおみくじを持った俺と、それから、大凶のおみくじを持って泣き真似をする友人が映っている。…いや、いやいやいや。まさか。まさか、ね。
『なになに、「初詣一緒に行ったの女?」…なわけないやん。男よ男。中学時代から仲いいヤツ』
点と点が線になって、繋がってしまった。画面の向こうで今喋っているのは、俺の最推しだ。そのはずなのに、なのに、目を閉じれば頭に浮かぶのは今日の昼間一緒に初詣に行ったばかりの親友の顔で。
(…………俺の推し、アイツだったの…?)
俺が数年前からずっと生きる糧にしていた推しが、中学時代からの親友だった。
ああ、新年早々、こんなことがあっていいのか。まだあと一年、あいつと同じ大学に通うんだぞ。毎朝一緒に通学してるんだぞ。どんな顔をして、あいつに会えば。
「神様…嘘だといってくれ…」
ピロン。配信終了とほぼ同時に通知が鳴る。今日はありがとう、今年もまた一年よろしくな!なんて呑気なメッセージに、俺は何も返せないまま項垂れた。
【良いお年を】
ピロン、と。静まり返った部屋に場違いな音が一つ。
新年だというのに通知一つ知らせなかった携帯が突然大きな音とともに震えたものだから、驚いた拍子に膝を机に強かに打ちつけてしまった。鈍い痛みに、なんとも間抜けな声が出る。ああもう、年が明けて早々これだ。誰もいない室内でぶつけた膝を押さえながら背を丸めている自分がなんだか情けなくて、誰にも見られていないはずなのに羞恥心がこみ上げる。それもこれも、突然鳴り響いた通知音が悪い。どうせ新年の挨拶を送ってくるような友人なんていないからと高を括って音量を下げておかなかった自分は棚に上げて、青白い光を漏らす端末を睨みつける。一体どこの誰だ、こんな時間に。いやまあ世間一般では、年明けのこの瞬間だけはそれが許されるのかもしれないけどさ。
そんなことをぶつくさ心の中で呟きながら、机上に伏せられた携帯をぶっきらぼうに手に取った。手に取って、それから、画面に映った名前に呼吸が止まった。
『あけましておめでとう』
それはなんてことない、ありふれたメッセージだった。
けれど、その上に表示された名前は、ずっと恋焦がれた人のものだった。
大好きで、大切で、そして、もう一生涯会うことが叶わなくなったはずの想い人。
ひゅ、と喉から変な音が鳴る。どうして。どうして、だってもう、彼は。
眠気でぼんやりと霞んでいた思考が、凄まじい速さで巡り始める。けれど、結局足りない頭が導き出したのは、もうなんだっていいだろう、というなんとも浅ましいものだった。
なんだっていい。どうしてかなんてどうでもいい。
ただ、今、彼からメッセージが届いた。その事実だけでいい。
今はただそれだけを噛み締めて、喜んでいたい。
「良いお年を!また来年な!」
そんな言葉を最後にもう二度と会えなくなってしまった彼に、一緒に今年を迎える事が出来なかった彼に、一言だけでいい。何か伝えたくて、震える指を動かす。
『あけまして、おめでとう』
そこまで打ち込んで、そこから先はどうしても続けられなかった。今年もよろしく、なんて、言ったところで叶わないと分かってしまうから。だから、代わりに。
『良いお年を』
何事もなく過ぎ去っていくはずだった2025年が、彼が永遠に閉じ込められてしまったその一年が、どうか彼にとって良いものでありますように。
これが都合の良い夢でも、たとえ現実だったとしても、それぐらいは願っても許されるだろう。
とん。送信ボタンを叩いて、携帯をそっと胸に押し当てた。
『手を繋いで』
ちゃぷ、ちゃぷ、ちゃぷん。一歩進む度に水面が跳ねる。
最初に浸した足先から順番に、今はもう腰の辺りまで浸かっている。体温なんてものはとっくに奪われてしまって、もはや感覚もない。ひどく冷たい水の中でも唯一分かるのは、固く繋いだ手の感触だけだった。
胸にじんわりと滲んだ不安をごまかしたくて、まだかろうじて言うことを聞く右手にぎゅっと力を込める。正直もうほんの少ししか動かせてはいないだろうけど、それでも絡んだ指先は応えるように手の甲を撫でてくれた。
「なぁに、やっぱり戻りたくなった?」
心の内側を見透かしたように降ってくる柔らかい声に、前を向いたままゆるりと首を振る。
目に見えて迫っている終わりが全く怖くないかと言われれば嘘だ。でもこんな時でも変わらない優しい声音に絆されて、込み上げた恐怖も不安も瞬く間に解れていった。
ゆっくりと冬の海に沈んでいく一人と一人。
きっと最期の最期まで、繋がれたその手が離れることはない。
絶えず淡い光を落とす月だけが、ただ静かに彼らを見守っていた。
『部屋の片隅で』
薄暗い室内。雨の音。通知を知らせる無機質な液晶。
通知音を消してもなお主張を続けるそれが煩わしくて、とうとう横のボタンごと強く握り込んでスマホの電源を落とした。
『大丈夫か?』
『返事してくれ』
『なぁ、俺なんかした?』
ロック画面上にちらりと見えたメッセージ達は、揃いも揃って同じ差出人の名前を掲げていた。
純粋に、一人の友人として心配してくれているのは分かっている。あいつは何も悪くない。ただ勝手に期待して傷付いて、全部拒絶して塞ぎ込んでいるこっちが百パー悪い。そこまで分かっていながら連絡を返す気が一切湧いてこないのは、多分今の状態であいつに接してしまえば、今まで隠してきた物を一つ残らず曝け出してしまうという確信があったからだ。
『俺さ、結婚しようと思ってるんだよね』
脳内で何度も響く大好きな声。
数ヶ月越しに会って早々放たれたのは、世界で一番聞きたくなかった言葉だった。
濁った煙の充満した部屋の隅っこで、膝を抱えてぎゅっと小さくうずくまる。
おめでとう。真っ白な頭のままで贈った祝福の言葉は、不自然に震えてはいなかっただろうか。
「好き、だったなぁ」
ぽつりと溢れた本音は、誰にも届くことはない。届かなくて良いと思う。この先一生、一人で抱えて生きていく覚悟なんてどこにもないけれど。
小さな嗚咽が一つ、肩を預けた壁にぶつかってそのまま溶けて消えた。