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7/8/2024, 12:08:35 AM

財布を持って来るべきだったと少女は後悔した。母親と喧嘩して思わず家を飛び出した。幸いスマホだけは手に持ったままだったので、何も考えず電車に乗った。
適当なところで降りよう。帰ろうなどとは微塵も思っていなかった。まだ未熟な少女が冷静になるには時間が必要だった。
終電間際だというのに車内にはそれなりに人が居る。恐らく仕事帰りのサラリーマンに、人目も憚らずいちゃつくカップル。場所を弁えろと、思わず舌打ちしそうになるのを堪える。それでも昼間に比べたらいくらか快適だと感じた。

降りるタイミングを失い、つい終点まで来てしまった。電車に揺られる内に少し頭が冷えたのか、なんでこんな所まで来てしまったんだとまたもや少女は後悔した。
仕方なく電車を降り、酔い潰れて寝ている大人を横目に、改札を抜けて夜の街を歩く。

どうやら今日は七夕らしい。至るところに短冊が飾ってある。小さい頃はこの時期になると、織姫と彦星が無事会えるのか心配でてるてる坊主を窓に吊るしていたな、と懐かしい気持ちになった。
何処を見ても明るい。人混みの中をただ歩いた。この時間でも何だか熱気を感じて、まるで皆睡眠なんて知らないかのように見える。
織姫と彦星の事なんて誰も考えていなくて、ただ我欲を満たしたいが為に生きている。

立ち止まってSNSで"七夕"と検索すると、色々な人の願い事がずらっと並んだ。他力本願なもの、些細な幸せ、世界平和。
本来七夕の願いというのは、自身の努力で実現可能な事を願うのが良いとされるらしい。せっかくだから自分も何か願っておくか、と少女は心の中で呟いた。

空を見上げても天の川は見えない。喧騒の間を生暖かい風がすり抜ける。
知らない男に声をかけられたが、無視して駅へと引き返した。

7/6/2024, 3:38:47 PM

小さい頃から会う人会う人に容姿を褒められた。両親共に純日本人だったが、はっきりとした目鼻立ちのせいか、たまにハーフに間違えられた。悪い気はしなかった。

高校の時、同じクラスに根暗な奴が居た。長い前髪、黒縁眼鏡、顔はいつも殆ど見えない。声を聞いた記憶も殆ど無い。
だが一度だけあいつの素顔を見た事があった。整った顔立ちに驚いたのをよく覚えている。あまりにもレベルが違い過ぎると嫉妬心も湧かないのだと、その時初めて知った。
俺は心の何処かであいつを見下していたのだと気付いた。いや、あいつだけではない。自分以外の周りの人間全てを下に見ていた。顔が良いという理由だけで勝った気になっていた自分を恥じた。実際は、俺は顔だけではなく中身もあいつより下だった。いや、優劣をつける事自体間違っているのかもしれない。

何故顔を隠しているのか不思議で、それからよくあいつを観察するようになった。自分でも気持ち悪いとは思ったが、どうしても知りたかった。
どうやら俺と違って、あいつは自分を良く見せようとは思っていないようだった。顔だけではなく頭も良かったが、決して知識をひけらかしたりせず、あくまでも地味に過ごしていた。

「なぁ、生きづらくねえの?」
ある時ついに声をかけた。
「何?急に」当然の反応だった。
「自分を隠して生きづらくねえのかなって」
正直に思っていた事を聞いたが、ぴんときていない様子。暫しの沈黙。
「別に隠していないし、これが僕の姿だけど」
「前髪と眼鏡で隠してる」
「前髪はすぐ伸びるから切るのが面倒なだけで、眼鏡は普通に目が悪いからかけているだけだよ」
拍子抜けだった。てっきり昔容姿の事で何かあったのかと思っていたのに。
自分の容姿についてどう思っているのか聞こうとして、やめた。恐らく何とも思っていないのだろう。何となくそんな感じがした。
自分とは真反対の人間。仲良くなりたいと思った。

あいつが遺体で発見されたのは、それから数ヶ月後の事だった。

7/4/2024, 1:20:13 PM

近所の公園で男子高校生の遺体が発見された。匿名で通報があったらしい。公園の砂場に人が埋まっている、と。
報道によると、男子高校生は数ヶ月前から不登校気味だったという。警察は、学校や友人間で何かトラブルがあった可能性も含め捜査を進めているという事だった。

「大人しそうな子でしたね。一応挨拶すれば返してくれるけど、まぁ自分から積極的に…というタイプではないですね」
男子高校生を知る近隣住民らしき人物がインタビューに答えていた。
「いじめ…じゃないですかね。ほら最近多いから……」
いくら顔がモザイクで隠れているとはいえ、あまり不用意な発言はするものではないと思った。何より、これを報道に載せるテレビ局の判断もどうかと思う。

だが実際問題、いじめを苦にした訃報は後を絶たない。
日本ではいじめへの対応として、被害者救済という点に重きを置いているが、逆に海外では加害者へ繰り返し指導するという対応が中心になっているらしい。これは、加害者が精神面で問題を抱えている可能性を考慮しての事だそうだ。

男子高校生がいじめられていたかどうかは分からないが、可能性はゼロではないと思う。しかし、砂場に埋まっていた点はどう説明する?いじめの延長線上か。それとも全く別の何かがあって……。

思考するのに夢中になって、いつの間にか横に人が立っているのに気が付かなかった。少し離れた位置に女の子が一人、件の公園を見つめていた。
制服姿なので、恐らく中学…いや高校生か?女子高生らしき人物の視線は、先程から同じ場所を見つめ続けている。初めは砂場を見ているのだと思ったが、どうもそうではないらしい。ジロジロ見るのは少し気が引けたが、そっと視線の先を追ってみる。
砂場の先にあるのは、ブランコにベンチ、あとは木があるだけだった。一体どれを見ている?わからない。

やがて女子高生の頬を涙が伝った。彼女は男子高校生の友人なのだろうか。何となくだが、悲しみの涙には見えなかった。
この事件の真相を知っているのは神様だけか。それとも彼女は何かを知っているのだろうか。私には知る由もなかった。

7/2/2024, 2:02:10 PM

「小学生の頃、一度だけ家族で海に行った事があったの」
波の音を背に、彼女は話し出した。
「最初は家族四人で楽しく過ごしていたんだけど、暫くしたらお母さんもお父さんも、お姉ちゃんに付きっ切りになっちゃって」
寂しそうな笑顔で続ける。
「目が見えないお姉ちゃんが退屈しないようにって、色々手を尽くしていたのを見て、当時の私はただ嫉妬してた」
「君はまだ小さかったんだ、仕方ないよ」
「そうだね。でも今ならわかるんだよ。お母さんもお父さんも、お姉ちゃんにもっと笑って欲しかったんだって」
彼女は頭上で飛ぶカモメを見上げるように、ガードレールにもたれかかった。

「それで私、急につまんなくなっちゃって、ひとりで海に入ったの」
「泳ぎに?」
「溺れに」
カモメがしきりに鳴いている。
「溺れたふりをすれば、皆が私を見てくれると思った」
子供って結構怖い事考えるよね、と言って笑った。
「海に入って、バタバタ手足を動かして"たすけて"って叫んで。だけど浮き輪を持って行ったから、思ったよりも岸と離れた位置に来ていたみたいで、すぐには気付いてもらえなかった」
「馬鹿だね」
「……ね。そうしているうちに足がつって、本当に溺れたの。そのすぐ後に、浮き輪が浮いているのに気付いてお父さんが助けてくれたんだけど」

海に沈んでいく途中、うっすら開けた目から入ってきた景色があまりに綺麗でびっくりした。強い日差しが海中に降り注いで、キラキラ輝いて見えたの。海の中ってこんなに明るくて綺麗なんだ、って子供心に感動したな。

「今でもはっきり覚えているんだよね。もちろん両親には叱られて、その後謝られた」
その一件で親子関係に変化はあったのだろうか。お姉さんの反応も気になったが、何となく聞けなかった。
「そろそろ帰ろっか」
そう言って彼女が前を歩き出す。僕もガードレールから降りると、一度だけ振り返って海を眺めた。曇りのせいか海に人の姿はなく、閑散としていた。

7/2/2024, 9:36:42 AM

「私と姉は腹違いの姉妹で、歳は八つ離れていました」
あの時の女の妹だと名乗る人物が訪ねて来たのは、つい一時間前の事だ。同級生だという少年も一緒だった。

「姉が亡くなって一年はあの村で過ごしました。でも、私が小学校を卒業した年、両親に連れられてあの村を出ました」
少女が真っ直ぐこちらを見て話す。
「あなたも被災して、この土地まで避難してきた。偶然とはいえ、彼女と同じ土地に」
そう言いながら、少年が一枚の写真を机に置いた。
墓の写真だった。墓前に添えられた花は、自分が置いた物だと男はすぐに気付いた。
「廃村になったあの村に、今も変わらず足を運び花を添えている人はそうそう居ません。あなたは今も姉を忘れずにいてくれているのですね」
少女の目が潤む。いつの間にか男の目にも涙が浮かんでいた。

「………わたしがした事は間違っていたのだろうか……」
遺族である少女に聞くべきではないと思いながらも、男は聞かずにはいられなかった。
少女はすぐには口を開かず、慎重に言葉を選んでいるようだった。
「姉は目が見えませんでした。両親……特に母親は、姉の将来について酷く悲観していました。良い教師に巡り会えたおかげで学校生活はそれなりに送れていたみたいですが、卒業後の進路について、母はよく父と揉めていました」
そこまで話すと、ぐっと口を継ぐんだ。涙を堪えているようだった。
「……姉は周りに迷惑をかけていると思っていたみたいです。誰の手も借りずに暮らしたいと言い続け、高校卒業後にアパートでひとり暮らしを始めました」
質素な部屋だと思っていたが、あの女にとっては念願の生活だったのだと、男は何ともいえない感情になった。

「週に一度、母が部屋を訪れるという条件付きでした。でも、母が体調を崩し何週間か寝込んでしまって……姉も一度家に帰って来たのですが、母が気を遣って姉をアパートに帰しました」
あの時だ、と男は思った。女が、恐らくは父親と電話で話していた日時よりも早く戻って来たのは、そういう経緯があったのだと納得した。

「……姉が自ら死を望んだのなら、あなただけに責任があるとは思いません」
少女は涙をこぼしながらも、力強い瞳で男に言った。その瞳に答えるように、男も口を開く。
「わたしは最後まで迷った……。それまでの人生も、決して人に誇れるものではなかったが、人を殺めてしまえば確実に一線を越え、もう戻って来れないと……」
話す途中で女の顔が浮かんだ。
耐えられなくなり、思わず畳に頭を擦り付ける。
「申し訳ございませんでした………」

少女は、そんな男の後頭部を肩を震わせながら見ていた。少年が少女の背中をぽん、と叩く。
窓越しに猫がその様子を眺めていたが、そのうち飽きたのかつまらなそうに、にゃん、と鳴いて何処かへ歩いて行った。

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