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「小学生の頃、一度だけ家族で海に行った事があったの」
波の音を背に、彼女は話し出した。
「最初は家族四人で楽しく過ごしていたんだけど、暫くしたらお母さんもお父さんも、お姉ちゃんに付きっ切りになっちゃって」
寂しそうな笑顔で続ける。
「目が見えないお姉ちゃんが退屈しないようにって、色々手を尽くしていたのを見て、当時の私はただ嫉妬してた」
「君はまだ小さかったんだ、仕方ないよ」
「そうだね。でも今ならわかるんだよ。お母さんもお父さんも、お姉ちゃんにもっと笑って欲しかったんだって」
彼女は頭上で飛ぶカモメを見上げるように、ガードレールにもたれかかった。

「それで私、急につまんなくなっちゃって、ひとりで海に入ったの」
「泳ぎに?」
「溺れに」
カモメがしきりに鳴いている。
「溺れたふりをすれば、皆が私を見てくれると思った」
子供って結構怖い事考えるよね、と言って笑った。
「海に入って、バタバタ手足を動かして"たすけて"って叫んで。だけど浮き輪を持って行ったから、思ったよりも岸と離れた位置に来ていたみたいで、すぐには気付いてもらえなかった」
「馬鹿だね」
「……ね。そうしているうちに足がつって、本当に溺れたの。そのすぐ後に、浮き輪が浮いているのに気付いてお父さんが助けてくれたんだけど」

海に沈んでいく途中、うっすら開けた目から入ってきた景色があまりに綺麗でびっくりした。強い日差しが海中に降り注いで、キラキラ輝いて見えたの。海の中ってこんなに明るくて綺麗なんだ、って子供心に感動したな。

「今でもはっきり覚えているんだよね。もちろん両親には叱られて、その後謝られた」
その一件で親子関係に変化はあったのだろうか。お姉さんの反応も気になったが、何となく聞けなかった。
「そろそろ帰ろっか」
そう言って彼女が前を歩き出す。僕もガードレールから降りると、一度だけ振り返って海を眺めた。曇りのせいか海に人の姿はなく、閑散としていた。

7/2/2024, 2:02:10 PM