帰宅途中で百円ショップに寄り、以前から気になっていたLEDキャンドルを購入した。自宅に着くなりさっそく点灯すると、暖かいクリーム色の光が部屋を優しく包み込む。百円ショップといいつつ二百円商品だった事などどうでもよくなるくらいには綺麗だと思った。ぼーっと光を眺めていると、時々ゆらゆらと光が揺れて、まるで本物の蝋燭の灯りのように見える。
この灯りの下で読書をしたら風情があるなと思ったが、文字を読むには少し明るさが足りないかもしれない。それでもなるべく顔を近付けて読めば、出来ない事もない。そこで閃いた。同じキャンドルをもう何個か購入して並べれば、本を読むのに苦労しない程度の明るさは確保出来るはずだ。明るい部屋で読めば良いのでは?という正論は聞かないものとする。
翌日、再び百円ショップに足を運ぶと同じキャンドルを三個程購入した。前日に購入したキャンドルを含めた、合計四個のキャンドルが私の周りを取り囲む。まるで怪しい降霊儀式をしているかのような光景となった。床に置いたのが間違いだった。
気を取り直してキャンドルをテーブルの四隅に並べると、本を開き中央に置いてみた。「読める、読めるぞ!」などと、思わずどこぞの悪役じみた台詞を吐きながら本を読み進めていく。
気が付くと空は薄っすらと明るくなり、いつの間にか時刻は夜明け前だった。時間を忘れてこんなに何かに没頭したのは久しぶりだな、としみじみ思う。
ここまで長々と綴ってきたが、勘の良い人間ならこの話にオチが無いという事に気付いている頃だろう。貴重な時間を無駄にしたと、暴れまわってくれても構わない。
机の上の物を全て落とし、棚から本を叩き落とし、服をビリビリに破り捨てた後に我に返った貴方にある商品をおすすめさせてほしい。
百円ショップにて二百円で購入出来るLEDキャンドルである。暖かいクリーム色の光がきっと貴方の心を癒やしてくれる事だろう。
「明日死のうという人間が、二ヶ月も先の予定を立てると思うか?」
「人によるのでは?」
「では君は死にたいと思いながら旅行の計画を立てるのか?」
「立てますね」
「そうか……」
僕が即答したので、それきり室戸は黙ってしまった。
死にたいと思った事が無い人間は、きっとこの思考が理解出来ないのだろう。
気まずい空気を紛らわそうとしたのか、室戸が出し抜けにテレビのリモコンに手を伸ばした。電源ボタンを押すが、何の反応も無い。もう一度押す。やはりテレビはつかなかった。
傍らでその様子を眺めていた兵藤が口を開く。
「古いコテージだから、テレビも壊れているのかもしれませんね」
「使えないな」
室戸は兵藤のほうを一瞥してから、誰に言うでもなく吐き捨てるように言った。
「でも、確か初めの説明で、コテージの備品等は全て自由に使ってもらって構わないって言ってたけどなぁ。それなのにテレビが見れないっていうのは納得いかないよなぁ」
ソファの背もたれから顔を覗かせて話に入ってきたのは、確か畠中とかいう男だ。眠そうな垂れ目は今にも閉じそうである。
「あなた、ちゃんと眠ってるの?眠いなら部屋のベッドで仮眠でも取ってきたらどう?なんなら、そこのソファでも」
三島も同じ事を思ったようで、畠中が座っているソファを指差して促す。
「うーん、じゃあそうするよ」
言い終わるかどうかというところで大きな欠伸をすると、畠中はそのままソファに横になった。
「お腹すきませんか……?」
沈黙が続く中、恐る恐る兵藤に話しかけた。
「そうですね。そろそろお昼の時間ですし、何か食べましょうか」
兵藤はそう言うと、キッチンのほうへ向かって行った。その後ろを僕と三島が続く。
「兵藤さんと三島さんは普段料理とかされるんですか?」
「そりゃ毎日よ。主婦に休みはないからね」
三島はその恰幅の良さから、なんとなく食堂のおばちゃんを連想させた。偏見かもしれないが、美味しいご飯を作ってくれそうな気がする。
「私はあまり得意ではないですが、簡単なものなら作れます」
凛とした佇まいと口調から、兵藤はメイドのような雰囲気がある。これまた偏見だが手先も器用そうなので、簡単なものと言いつつ手の混んだものを作ってそうに思う。
「お二人共凄いですね。僕は冷凍品やお惣菜に頼ってばかりで……」
「あら、冷凍品やお惣菜が悪いとは思わないわよ。主婦だって、楽したい日には頼る事もあるんだし」
「私もそう思います。手作りじゃないといけないなんて決まりはありませんよ」
二人に励ますようにそう言われ、少しだけ心が軽くなった。
キッチンは思ったよりも広く感じた。冷蔵庫は大きく、割と新しい物のように見える。
「あれ、こっちにも冷凍庫がありますよ」
メインの冷蔵庫とは別に、少し小さめの、白い縦長の冷凍庫が端のほうに設置されていた。
開けると、中には小分けにされた肉がたくさん入っている。一つ手に取って観察するが、何の肉かはわからない。
「鶏肉……でしょうか」
横から兵藤が顔を出して言う。
「食べてみればわかるんじゃない?」
「いや流石に、何の肉か分からないのに調理するのは怖いですよ僕は」
何の肉か分かっていても調理するのは怖いのに。
ふと壁にかかったカレンダーが目に入った。所々に○や✕などの印が書き込まれている。その印の下には出荷や入荷といった文字が添えられていた。
隔離された施設での肉の出荷……。何処かで聞いた事があるような。でも何処でだったかが思い出せない。
なんとなく、あの肉は食べないほうが良いような気がする。僕が思案する後ろで、ちょうど三島が袋から取り出した肉を調理するところだった。
あるところに、一人の男がいました。男に妻はなく、母親も父親も幼い頃に亡くしていた為、もう男に家族と呼べる者は一人もおりませんでした。
「なぜ我が家は皆早死してしまうのだろう」
両親が生きていた頃に聞いた話では、二人の親もまた早くに命を落としたそうでした。
しかし、男に不満はありません。何故なら、亡くなるその時まで二人は存分に愛情を注ぎ育ててくれたからです。父親の背中は逞しく、母親はまるで天女のように優しく美しい存在でした。
「今の生活に不満はないが……時々淋しいと感じてしまいます」
山の麓にある小さな祠の前で、男は毎日語りかけます。勿論返事など返ってくる筈もなく、何を祀っている祠なのかさえ、男には知る由もありませんでした。
「このまま独りで老いていくと思うと、どうにも心が苦しくなるのです」
今日はいつもよりも心がずんと重く、暗い気持ちで溢れかえっているようでした。
「わたしはこのままで良いのでしょうか。両親に恥じぬような人生を送りたいと常々思っているのですが……」
男が何か言い知れぬ恐怖に支配されようとした、その時でした。
突然眩い光が辺り一面に降り注ぎ、一人の女が姿を現しました。
「貴方はとても頑張っていますよ」
女はまるで天女のような笑みでそう言うと、男の頬に手を伸ばしました。
男は何か言いたそうに口を動かしますが、声にならず、ただ涙を流すだけです。男は女の声と表情にとても懐かしいものを感じていました。
「あなたは一体……」
やっとの思いで出たのはその一言のみ。
女は男の頬から手を離すと、質問には答えずこう言いました。
「私が貴方の家族となりましょう」
突然の申し出に男は驚き、大きな身振りでそれを拒否してしまいました。
「あ、あなたのような美しいお方がわたしのような者と家族になど、恐れ多い事にございます」
慌てる男とは対象的に、女は変わらず微笑んだまま優しい声で続けます。
「いいえ、貴方こそ私の家族に相応しい方なのです。何故なら、神の子もまた神の子だからです」
男には女の言っている意味がよく分かりませんでしたが、その声を聞いている内に、先程までの黒々とした気持ちが消えているのに気が付きました。
「本当にわたしがあなたの家族として相応しいのかは分かりませんが、拙いながらも、一緒に家族として歩んでいけたらと思います」
男がそう言って手を差し出すと、天女のようなその女は優しくその手を掴んだのでした。
「構いませんよ。一つ難点を挙げるとするならば、神の子は皆早死するという事くらいでしょう」
私だけ皆に見えていないみたい。まるで透明人間。話の輪に入れない。たまに優しい人が声をかけてくれるけど、うまく話を繋げない。申し訳ない気持ちになる。
つまらない人間でごめんなさい。ノリが悪くてごめんなさい。声が小さくてごめんなさい。目つきが悪くてごめんなさい。
全然そんなつもりはないのに、睨んでいると言われる。気を抜くと真顔になってしまうので、なるべく笑顔でいるように心掛けているつもり。つもり……なのだけど、気が付くと怖い顔になってしまっている。鏡を見てハッとする。
ああ、なんで生きているんだろうと、毎日思う。いっそ本当に透明人間になれたらいいのに。
ふと自分の指先に視線を落とすと、透き通って見えた。目の高さまで持って来て、よく目を凝らす。向こう側が見えるのは決して気のせいではない。その内に手の甲、手首、やがて腕全体が透明に変わった。
驚きよりも嬉しさが勝った。
透明人間になれたのだ!私だけの世界に来れた。これで周りに迷惑をかける事もないし、もう言い訳を探さなくて済む。
とはいえ急に行方をくらますのは、それはそれで迷惑なのではないか。
念の為職場に行ってみたが、何処にも私の痕跡は無かった。思い切って上司や同僚に挨拶してみる。だが返事が返ってくる事はなかった。
透明人間になると存在まで消えてしまうのか?それとも私という人間は初めから存在していなかったのか?
私は一体いつから透明だったのだろう。
「もう一度聞くが、君が目撃したのはこの写真の人物で間違いないかい?」
男がテーブルの上の写真を指差す。
「はい。間違いありません」
男の目を真っ直ぐ見つめ頷いた。
「そうか……」
男は何か釈然としない表情で、顎に手を当てながら考え事をしている。
「私が嘘をついていると思うのですか?」
「いや、そうではないのだが……」
何やらモゴモゴと喋っているが、聞き取れない。
「はっきり仰ってくれて構いません」
そう言って姿勢を正し、男の言葉を待った。
駅の裏路地を進んだ先にあるこの喫茶店は、レトロな雰囲気と美味しい珈琲が私のお気に入りポイントだった。珈琲と日替わりのケーキのセットがお勧めらしく、仕事の息抜きによく通っていた。
いつもはそれ程人の入りは多くないのだが、今日は平日だというのに人が多い。特に若い女性が多いように感じる。そこでやっと、世間の学生達は夏休み期間に入ったのだと気付いた。
大人になると時間や季節の感覚が鈍るな、と少し寂しさを感じていると、男が喋り出した。
「実は……。この少年は、一ヶ月も前に亡くなっているのですよ」
「え?」
男の言葉に動揺した。
「でも、私がこの子を見たのはつい先日の事で……」
「いや。君を疑っているわけではないのだが、しかし、見間違いという事も考えられないかい?」
そう言われ、暫く考えてみる。確かにこの写真の少年によく似た人物を見た。三日程前の事だ。
少し長めの前髪に、黒縁眼鏡。特徴だけを挙げれば、似たような人物は山程居る。だが、写真に写っている人物と、私が見た少年は同じ鞄を持っていた。
「何故他人の鞄なんて覚えているんだい?それ程特徴のある鞄には見えないが」
男が訝しんだ目で私を見る。
「鞄が少し開いていたのです。その隙間から……見えて」
電車の座席に座る少年の斜め前に、私は立っていた。少年は鞄を包み込むように抱きかかえていたが、腕の間から鞄の中が一瞬見えた。
「故意に見た訳ではないのですが……その……」
「勿体振らないで教えてくれないかい?」
テーブルに腕を乗せ、少しだけ前のめりになって男が続きを促す。
意を決して口を開いた。
「人の手のような物が見えた気がして……あまりに衝撃的で、よく覚えていたのです」