ハイル

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10/1/2023, 12:44:32 PM

【たそがれ】

 日がゆっくりと沈み始める。夕焼けは徐々に夜空へと移り変わり、昼と夜の境界が淡くぼんやりとしていた。
 太陽がその身を隠すと、それに合わせるようにひょっこりと姿を現す者たちがいる。
 逢魔時が始まるのだ。人間らは黄昏時とも呼ぶらしい。

 どんからどんから、しゃんしゃんしゃん。
 どんからどんから、しゃんしゃんしゃん。

 ほら、賑やかな音が聞こえてきた。
 そいつらは何も二、三匹で現れるわけではない。百鬼夜行、おどろおどろしい異形たちの行進だ。
 鼓や三味線、琵琶の付喪神たちは自ら音を奏でている。
 その一歩後ろをがらがらと進むのは、どでかい顔が貼りついた牛車の妖怪。そいつの中から何者かが声を出し、どでかい顔と何かを話していた。

「おぅい朧車、もう少し早くできんかぇ」
「なにを言う取りますか。轢いちまったらとんでもねぇ」
「そうかいそうかい。であれば、あっしはゆったり外の景色でも見ていようか」
「おお、おお、それは良いご身分ですなぁ」
「なんとでも言っておけ」

 会話が終わったのか、朧車と呼ばれた牛車の物見から、ぎょろりとした二つの目玉が外界を覗く。そこには、目玉の他に真っ赤な複眼が備わっていた。そいつはまたも牛車の中に姿を隠すと、今度は朧車の背中についた簾を上げ、その全身を晒した。
 そいつは、妖艶な雰囲気を纏った美しい女だった。人間の四肢の他に背面から四本の、毛の生えた昆虫のような脚が生えており、蜘蛛を彷彿とさせる。その脚は節をうねうねとさせ、まるで別の生き物かのように蠢いていた。

「絡新婦(じょろうぐも)や。後ろの景色はどうですかな」
「行列のケツはどこにあるやら。果てしなく遠くにも灯りが見えるぞ」
「かっかっか。さすがは百鬼夜行、愉快ですなぁ」

 どんからどんから、しゃんしゃんしゃん。
 どんからどんから、しゃんしゃんしゃん。

 賑やかな御囃子を奏でる異形の行列は、今日もまた、この国のどこかの通りを練り歩くのだった。

9/28/2023, 4:56:30 PM

【別れ際に】

 私は見知らぬ土地に立っていた。
 頭上には多くの大木から張り巡らされた無数の枝葉が生い茂る。空すら拝めぬ暗闇のカーテンは、鬱々とした空気を周囲に漂わせていた。
 眼前にも同様に暗闇が続いているが、そこに一人、白装束の人間が立っていた。顔を手で覆い隠しているため誰かは判然としない。長い髪を後ろに垂らしているのでおそらく女性だろう。
 女は顔を隠しながら震えた声で話しかけてきた。

「私を見ないでくださいな」

 聞いたことのある声だ。ぼんやりと声の主を思い浮かべるが、顔にモヤがかかっておりどうにも思い出すことはできない。
 女は時折しゃくり上げながら、尚も話しかけてくる。

「あなたがこちらに来るのはまだ早いの。後ろに灯りが見えるでしょう。その灯りを目指して早くここから出て行って」

 背面を見据えると、確かに彼女が言った通り小さな灯りが見えた。
 正直、言っている意味はよくわからなかった。しかし、彼女の言った通りにしなければ、何か取り返しのつかないことが起こるのではないか、という恐怖が内から湧き出ていた。
 私は彼女に礼をいい、背面の灯りに向かって歩みを進める。灯りは坂の上からこちらを照らすように光を放っていた。
 坂を登る前に、もう一度助言をくれた彼女に礼を言おうと振り返る。
 そこで私は見てしまったのだ。露わになった彼女の顔を。
 彼女の顔は、元々そこに張り付いていたであろう皮膚が腐り落ち見るに堪えないものだった。眼球の一つは完全に外れ眼窩に深淵が広がっている。もう一方は視神経の一つでなんとか繋がっているのか、ぷらんぷらんと宙に揺れていた。

「……だから、言ったのに」

 その一言を皮切りに、私は全力で坂を駆け上がる。
 私は彼女のことをよく知っていたし、この話にも聞き覚えがあった。
 別れ際の彼女の顔も表情も、あの悲しげな声色も、私は全てひっくるめて一生涯忘れることはできないだろう。

9/27/2023, 10:34:47 AM

【通り雨】

 私は代わり映えしない帰路を辿っていた。
 等間隔に並ぶ電灯、風に葉を揺らす街路樹、家族団欒の声が聞こえる一軒家。
 私はそれぞれをぼうっと眺めながら物思いにふける。
 明日も明後日もその先ずっと、今日みたいな日が続くのだろう。昨日もそうだったのだから、多分間違いない。
 そんなことを考えていると、向かいから女性が歩いてきた。少し下を俯きながら、早足になっている。肩に提げたビジネスバッグをギュッと握り締めていた。
 私は彼女が通れるよう、少しだけ左に身を寄せる。
 彼女との距離が縮まったとき、私はあるものを目にした。
 涙だ。彼女の瞳はうるうると輝き、そこから大粒の涙を落としていた。
 彼女はそのまま通り過ぎる。 すれ違いざま、何かがカランカランと落ちる音が聞こえた。
 咄嗟に地面に目を落とすと、足元に転がってきたそれは、リップクリーム、だろうか。私のものではないので、彼女のものだろう。
 私は屈んでそれを拾い上げた。彼女は気がついていないのか、すたすたと歩みを進めてしまっていた。
 引き止めるべきか否か、私は考えあぐねた。涙する女性にどう声をかけるべきなのか。今は一人になりたい気持ちかもしれないし、見知らぬ男に声をかけられたら気分を害すかもしれない。
 私はどうにも消極的にその状況を捉えていたが、最後には結局足を彼女に向けて進めていた。
 通り雨のような彼女。私は彼女が降らした涙に儚さを感じ、身体を突き動かされたのだった。

9/27/2023, 9:55:32 AM

【秋🍁】

 連なる山々は紅葉で自らを彩っていた。
 ひらひらと一枚のカエデが男の頬に舞い落ちる。ややしっとりと湿気を持っているのは、昨夜降り続いた雨のせいだろう。
 男はぐちゃりとした地面の上に寝そべっていた。下には紅葉によって作られた紅色のカーテンが敷かれている。
 そこにてらてらと輝く流血。
 腹部に突き刺さったナイフの傍から、それは流れ続けていた。
 まだ息をしているが、もう少しもしないうちに自分は息絶えるのだろう。男は血が薄くなった脳でぼんやりとそう感づく。
 男によって作られた血溜まりは、紅色のカーテンを一層赤黒く彩り、華麗に仕立て上げていた。

9/24/2023, 3:17:50 PM

【形の無いもの】

 形の無い者に目をつけられてから、私はひたすら山道を登っていた。人の往来により作られた獣道をハッハッと過呼吸になりながら駆け上がる。
 獣道は綺麗に舗装されているとは言い難く、時折地上に張り巡らされた木の根に足をすくわれ転けそうになる。なんとか体勢を保ち、追手が迫っていないか後ろ目に確認した。
 形の無い者は私の背後から二メートルほど間隔を置いて追ってきていた。形は無いが、空気の歪のようなものがぼんやりと浮かんで見える。私が通った道がその奥に透けて見えるので、"形は無いがそこにいる"ことは確かだ。
 それは形こそ無かったが「オォォ……オォォ……」と鳴き声のような音をあげていた。人間の声だ。理性をなくした人間の鳴き声はああいった感じなのだろう。
 その声からは、怨嗟、嫉妬、憐憫、憤怒などといった人間の内部に黒く渦巻く負の感情が混ざり合っていることが窺える。少なくとも私はそう感じた。あの声を聞くと、どうしても耳を塞ぎたくなるのだ。

 負の感情の集合体は、行き場を探しているのだろうか。

 ふと、私は背後に形の無い者を感じながらそう考えた。
 人が抱えきれなくなった感情の集合体があれならば、それは本来あった場所――人間の内部に帰ろうとしているのではなかろうか。
 だからといって、自分がその受け皿になり正気を保てる自信は微塵もなかった。自分一人の感情の起伏ですら身が張り裂けそうになるのに、他人が抱える負の感情を請け負うなんて。それは、この世で考え得る中でも非常に過酷な拷問ではなかろうか。
 本来であれば、負の感情は適切に発散され、浄化していくものなのだろう。しかし、それを誤れば背後に迫る集合体のように、他者に理不尽にぶつかる暴走した感情と成りかねない。
 私は依然「オォォ……」と悲痛な鳴き声を上げる形の無い者から逃げ惑う他なかった。

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