ハイル

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11/12/2024, 3:27:03 PM

【スリル】

 浮気や不倫といった不貞行為を行う理由に、スリルをあげる輩がいる。
 汚らわしい不貞の関係を、明るみに出されるか出されないかの際で愉しむのが興奮するのだろうか。そういった類のことを一切毛嫌いしている私にとって、それはなんとも理解し難いことだった。
 特定の相手がいるというのに、不特定の人間とまぐわうのはどういった心理なのだろう。性欲は人間を構成する重要な欲求であることは重々理解している。ただ、逆に支配されてしまっては、それはそこいらの獣と何ら大差ないではないか。
 スリルのために相手を裏切る、という行為もなんとも解せない。理由がなんであっても許せないものは許せないが、不貞行為に走る理由の中では特に訳がわからない醜悪なものだと常々思う。私が不貞を詰問して得られた返答が「スリルを味わいたかったから」であったなら、それを人間として見なすことはやめる。

「スリルがほしいならそう言ってくれたらよかったのに。十分愉しかったでしょ?」

 私は元人間だった肉塊にそう投げかけた。

11/11/2024, 7:00:47 AM

【ススキ】

 土壁に覆われた私室は暗がりに包まれている。藁を適当に敷き詰めただけの簡素なベッドでは熟眠することができず、私は天井をぼうっと見つめていた。
 半独房とも取れる私室は、アジト(私を捕まえた自称人狩りのキジ男はそう呼んでいる)の奥まった場所に位置している。間取りは独房そのもので、簡素な藁のベッドと便所がある程度、吊るされた裸電球はゆらゆらと所在なさげだ。
 ただし、アジトの中であれば移動は自由だった。そこが半独房と私が呼ぶ由来である。捕らえたいのか、自由にさせたいのか、キジ男の魂胆は読めないが、私は眠れないとよくアジトの中を探検した。
 私は暗がりの中、壁伝いに土の廊下を歩く。数部屋先に明かりが点いているのが見える。あれはキジ男の部屋だ。
 部屋を覗き込むと、キジ頭に麻のシャツを着たキジ男が、テーブルに向かって何かをしていた。私は物音を立てないように細心の注意を払い、忍び足で彼の背後へ近づく。

「おじさん、なにしてるの?」
「うわっ! が、ガキかよ、驚かすな!」
「だって眠れないんだもん」
「眠れないだ? 目つむって羊でも数えとけ」
「あの部屋寒いし、ベッドはあんなだし、それに──」
「わかったわかった、囚われの身にしては文句が多いな。金が入ったら替えてやるから、今は我慢してくれ」
「それで、なにしてたの?」

 私はキジ男の影に隠れた、テーブルの上のものに目を移す。
 そこには数十枚のカードが規則正しく並べられていた。四枚の似たような柄のカードが計一二セット、四八枚はあるだろうか。それぞれに花らしき模様があり、サクラやモミジ、あれは……バラ、だろうか。他にも私が見たことがないものも描かれていた。

「これは花札っていうんだ。お前を拾ってきたところ──ニホンで、ニンゲンのお宅から拝借したもんだ」
「ふぅん。これはバラ?」
「惜しい。牡丹っていうんだ。綺麗だろ」

 バラではなくボタンという花らしい。絵の中では周りに蝶が飛び交っており、さぞ魅惑的な香りがするのだろう。

「これはおじさん?」

 私は別のカードを指しながらキジ男に問う。

「全く違う。桐に鳳凰。これは俺じゃなくて鳳凰っていう伝説の鳥だ。一緒にするとバチが当たるぞ」

 キリと呼ばれた小さな花を、頭上からキジ男のような鳥が翼をはためかせて見下ろしている。彼はバチが当たると言うが、私には違いなぞわからない。彼はやけに花札というカードゲームに詳しいようだった。
 花札を眺めていると、一際目立つカードがあった。赤を背景に、坊主頭の上に大きな満月が昇っている。

「おじさん、私、これが好きかも」
「いいじゃないか。これは芒に月。桐に鳳凰と一緒で光札って言うんだ。ゲームの中で重要なカードなんだぞ」
「下のはニンゲンの頭?」
「お前、物騒なこと言うなよ。これは坊主頭じゃなくて、芒っていう植物だ。いつか見せてやる」

 私はススキに月と呼ばれたカードを手にとった。風に吹かれてススキが揺らめいているようだ。その絵柄を見つめながら、久しく感じることのなかった故郷への羨望と、嗅いだこともない故郷の香りを、胸の内に思うのだった。

5/2/2024, 2:00:19 PM

【優しくしないで】

『知らない人に優しくしないで!』

 最近、そんなチラシをよく目にするようになった。真っ黒い人影と子どもが描かれたイラスト付きだ。人影には真っ白の釣り上がった眼と口がついており、そいつから子どもが泣きながら逃げている。少し稚拙な部分があり、おそらく近くの小学校の生徒が描いたものだろう。
 私が住む✕✕町はさほど栄えた場所ではなかったが、それでもここまで排他的な考え方はしていなかったはずだ。
 余所者に優しくするな、なんて随分昔の閉鎖的な村社会でもしていたか怪しいのではないか。最近読んだ和風テイストのホラー小説くらいでしか見たことがない。
 そんな私の興味をそそるチラシは、町の至るところに貼られていた。駅に隣接した人のいない商店街であったり、そこら辺の電信柱であったり、あるいは人が去った廃墟の壁であったり。住居にひっそりと蔓延る害虫のように、それは数を増やしていた。

 とある日の仕事の帰路、私は道端にうずくまる女を見かけた。
 女は電信柱のすぐ下で、顔を掌で覆い隠しながらゆらゆらと揺れている。淡い藤色のワンピースと、その上から羽織っている白のカーディガンが電灯に照らされていた。
 初め、不審者か、とも思ったが、こんな夜更けに女性を一人で放っておけるはずもなく、私はそっと近づいて声をかけた。

「お姉さん、大丈夫ですか」

 依然、女はゆらゆらと体を前後に揺らしている。まるでその女性自らがゆりかごを模しているかのようなその光景はいやに奇怪に見え、声をかけたことに後悔した。
 私はおそるおそる、もう一度尋ねる。

「……お姉さん、どうされました。大丈夫ですか」

 その瞬間、女がピタッと動くのをやめる。
 ギギ、と軋む音が鳴りそうな動作で首を傾けて、私にその素顔を晒した。
 黒目の見当たらない真っ白な眼球そのものと、耳のあたりまで釣り上がった大きな口で、女だと思っていたそいつはニヤニヤと笑ってこう言った。

「あなた、優しいですね」

4/16/2024, 10:40:22 AM

【夢見る心】

 幼い頃から、天使になりたかった。
 純白のトーガを纏い、無垢な翼で天を飛び回るあの天使だ。光輪があると尚のこと美しく映えるだろう。天界では色とりどりの花が咲き誇る庭園で、天使たちが舞い踊るのだ。
 少し歳を重ねて、私は人間が天使になれないことを知った。幼稚園の卒業アルバムでは『しょうらいのゆめ』という欄に『天使』と書いた。意気揚々と回答した私にとって、現実は少々残酷なものであった。
 しかし、なれないものは仕方ない。私は高校、大学と進み、将来の夢とはかけ離れた職に就いていた。それなりに誇りはあるし、やりがいも感じている。ただ、私の体は限界を目前としていた。
 人間関係というのは甚だ面倒だ。異性の上司からの視線は気色が悪いし、それを良く思わない同姓からは遠回しな嫌がらせを受ける。上層部は腐っているし、ここは魔界に違いない。
 私はそれなりに住み慣れ始めた部屋で直立していた。輪っかを首にかけ、小刻みに震える足で思い切り足場となった椅子を蹴り上げた。
 ようやく私も夢見た天使になれるはずだ。
 真っ暗な部屋にはカーテンから夕暮れが差し込んでいる。その明かりに照らされて、白壁に影が写される。輪っかで首をくくられた天使は、その中でゆらゆらと踊っていた。

4/15/2024, 6:09:34 AM

【神様へ】

 最近は気温も上がり、随分と過ごしやすい気候になった。境内に植えられた桜も見事に咲き誇っている。ここは地味な場所だが、そちらを目当てに来る参拝者もちらほらいるようだ。
 つい先日まで少し肌寒かったような気もするが、日本の四季はどうなってしまったのだろう。確か、各々の四季を司る女神がいたはずだ。彼女たちは案外気まぐれなのかもしれない。
 私はぼうっと横になりながら、外の桜を眺めていた。ちぴぴ、と小鳥が数匹鳴いている。なんてのどかな日なのだろう。

 大晦日、初詣、それとたしか……桃の節句も終わったか。次はなんだったっか……。

 がららららん、がららららん。
 ぱんっ、ぱんっ。

 眠気眼でこの先の仕事について思いを巡らせていると、突如巨大な音に叩き起こされる。
 こんな何もない時期に一体誰なんだ。
 私の心地よい時間を奪った者を一目見てやろうと、体を起こして賽銭箱の前にいる人間に目を移した。
 そこには、体の前で合掌し、力強く願っている制服姿の少年がいた。

 ふむ、何かを願う姿勢は悪くない。どれ、内容も聞いてやらないこともない。

(神様へ、どうか、どうか、次の席替えこそ同じクラスのあの人と隣の席になりますように!)

 初いやつめ。気に入った。

 神はやはり気まぐれなのだ。

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