ハイル

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5/2/2024, 2:00:19 PM

【優しくしないで】

『知らない人に優しくしないで!』

 最近、そんなチラシをよく目にするようになった。真っ黒い人影と子どもが描かれたイラスト付きだ。人影には真っ白の釣り上がった眼と口がついており、そいつから子どもが泣きながら逃げている。少し稚拙な部分があり、おそらく近くの小学校の生徒が描いたものだろう。
 私が住む✕✕町はさほど栄えた場所ではなかったが、それでもここまで排他的な考え方はしていなかったはずだ。
 余所者に優しくするな、なんて随分昔の閉鎖的な村社会でもしていたか怪しいのではないか。最近読んだ和風テイストのホラー小説くらいでしか見たことがない。
 そんな私の興味をそそるチラシは、町の至るところに貼られていた。駅に隣接した人のいない商店街であったり、そこら辺の電信柱であったり、あるいは人が去った廃墟の壁であったり。住居にひっそりと蔓延る害虫のように、それは数を増やしていた。

 とある日の仕事の帰路、私は道端にうずくまる女を見かけた。
 女は電信柱のすぐ下で、顔を掌で覆い隠しながらゆらゆらと揺れている。淡い藤色のワンピースと、その上から羽織っている白のカーディガンが電灯に照らされていた。
 初め、不審者か、とも思ったが、こんな夜更けに女性を一人で放っておけるはずもなく、私はそっと近づいて声をかけた。

「お姉さん、大丈夫ですか」

 依然、女はゆらゆらと体を前後に揺らしている。まるでその女性自らがゆりかごを模しているかのようなその光景はいやに奇怪に見え、声をかけたことに後悔した。
 私はおそるおそる、もう一度尋ねる。

「……お姉さん、どうされました。大丈夫ですか」

 その瞬間、女がピタッと動くのをやめる。
 ギギ、と軋む音が鳴りそうな動作で首を傾けて、私にその素顔を晒した。
 黒目の見当たらない真っ白な眼球そのものと、耳のあたりまで釣り上がった大きな口で、女だと思っていたそいつはニヤニヤと笑ってこう言った。

「あなた、優しいですね」

4/16/2024, 10:40:22 AM

【夢見る心】

 幼い頃から、天使になりたかった。
 純白のトーガを纏い、無垢な翼で天を飛び回るあの天使だ。光輪があると尚のこと美しく映えるだろう。天界では色とりどりの花が咲き誇る庭園で、天使たちが舞い踊るのだ。
 少し歳を重ねて、私は人間が天使になれないことを知った。幼稚園の卒業アルバムでは『しょうらいのゆめ』という欄に『天使』と書いた。意気揚々と回答した私にとって、現実は少々残酷なものであった。
 しかし、なれないものは仕方ない。私は高校、大学と進み、将来の夢とはかけ離れた職に就いていた。それなりに誇りはあるし、やりがいも感じている。ただ、私の体は限界を目前としていた。
 人間関係というのは甚だ面倒だ。異性の上司からの視線は気色が悪いし、それを良く思わない同姓からは遠回しな嫌がらせを受ける。上層部は腐っているし、ここは魔界に違いない。
 私はそれなりに住み慣れ始めた部屋で直立していた。輪っかを首にかけ、小刻みに震える足で思い切り足場となった椅子を蹴り上げた。
 ようやく私も夢見た天使になれるはずだ。
 真っ暗な部屋にはカーテンから夕暮れが差し込んでいる。その明かりに照らされて、白壁に影が写される。輪っかで首をくくられた天使は、その中でゆらゆらと踊っていた。

4/15/2024, 6:09:34 AM

【神様へ】

 最近は気温も上がり、随分と過ごしやすい気候になった。境内に植えられた桜も見事に咲き誇っている。ここは地味な場所だが、そちらを目当てに来る参拝者もちらほらいるようだ。
 つい先日まで少し肌寒かったような気もするが、日本の四季はどうなってしまったのだろう。確か、各々の四季を司る女神がいたはずだ。彼女たちは案外気まぐれなのかもしれない。
 私はぼうっと横になりながら、外の桜を眺めていた。ちぴぴ、と小鳥が数匹鳴いている。なんてのどかな日なのだろう。

 大晦日、初詣、それとたしか……桃の節句も終わったか。次はなんだったっか……。

 がららららん、がららららん。
 ぱんっ、ぱんっ。

 眠気眼でこの先の仕事について思いを巡らせていると、突如巨大な音に叩き起こされる。
 こんな何もない時期に一体誰なんだ。
 私の心地よい時間を奪った者を一目見てやろうと、体を起こして賽銭箱の前にいる人間に目を移した。
 そこには、体の前で合掌し、力強く願っている制服姿の少年がいた。

 ふむ、何かを願う姿勢は悪くない。どれ、内容も聞いてやらないこともない。

(神様へ、どうか、どうか、次の席替えこそ同じクラスのあの人と隣の席になりますように!)

 初いやつめ。気に入った。

 神はやはり気まぐれなのだ。

4/12/2024, 2:25:36 AM

【言葉にできない】

 換気のために開けられた窓の隙間から、暖かなそよ風が吹き込む。それは、窓際の席に座る彼女の繊細な髪をなびかせ、ヘアオイルだろうか、優しく甘い香りを私の鼻腔に行き届かせた。

「今日はお散歩日和だね」

 隣に座る私に向かって彼女が微笑む。
 その静かに囁くような声は、教室に充満した種々様々な談笑の中でも、私の耳にはより際立って聞こえる。
 なんの変哲もない日常的な会話だというのに、細められた目や頬に浮かんだえくぼ、彼女の静かで遠慮がちな笑い声が心をくすぐった。
 密かに芽生えた、決して表に出してはいけないはずの感情が、彼女と接するたびに膨らみ、自らを主張する。

『私、あなたのことが好き』

 何度、そう言えたら、と夢見たか。彼女と交際をする夢想を繰り広げたか。それが叶った人生が、どれほど鮮やかに晴れ渡った世界だったか。
 それでも、現実として進んでいるこの世界において、彼女への気持ちを言葉にすることはできないだろう。
 スカートの裾をきゅっと摘みながら、コップ一杯に満ちた気持ちに蓋をする。
 私は、拒絶に染まるあなたの顔など、望んでいないのだ。

11/14/2023, 4:49:21 AM

【また会いましょう】

 凍てつく外気が皮膚を刺す。真っ暗闇が広がった夜空には、ぼんやりと月が浮かんでいる。
 今が何時で、ここがどこなのか定かではない。ただ、感覚に訴える刺激が、ここは現実だ、と言っているようだった。
 俺は、ビルの隙間を縫うように逃げ惑う男の背中を追っていた。彼がなぜ逃げていて、俺がなぜ彼を追っているのかはわからない。意識が晴れた時にはすでに、この関係が始まっていた。
 俺は懸命に駆ける。冷えで鈍くなった関節を無理矢理に動かす。男の背中が眼前にまで迫ると、腕を伸ばしてそいつを突き飛ばした。
 男は突然の衝撃に耐えかね、情けない声をあげながらコンクリートの地面に転げ落ちた。車に轢かれた蛙のようにひしゃげると、おどおどとした顔でこちらを振り返る。
 なんとも情けない顔だった。その顔を見ていると、なぜか無性に殺意が湧いた。自分の中にこんなにもどす黒い感情が潜んでいるなんて、信じられなかった。
 俺の手には月光を反射する一本のナイフが握られていた。柄を握りしめ、思い切り得物を振り上げる。
 なんの躊躇いもなく、男の首筋に鋭利な刃先を突き刺した。鮮やかな血飛沫が吹き上がり、鉄の匂いが後から鼻腔へ入り込む。
 何度か鮮血の噴水を出したところで、俺はふと我に返り前方に目を向けた。
 男が立っていた。俺に似た男だ。そいつが暗闇でもわかる程ニヤリと微笑む。

「また会いましょう」

 何を言っているかわからなかった。
 俺はそこで意識を失った。

 目を覚ますと、見知ったベッドの上にいた。
 何か嫌な夢を見たような気がする。あまりにも現実味が強かったためか、全身が汗でぐっしょりと濡れている。
 とりあえずシャワーでも浴びようとベッドから降りた時、何か嫌な匂いを自分が発していることに気がついた。
 汗? いや、違う。記憶にある匂いだ。それもつい最近。
 俺は急いで洗面所へ向かった。鏡で自分の姿を確認すると、そのおぞましい姿に絶句した。
 返り血を浴びたかのような血塗れの俺が、そこには立っていた。

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