『雪の静寂』
目を開けると、そこには大きな硝子の壁があった。水族館にあるような、壁一面の硝子。その向こうでは雪が降っていた。世界の彩度が低くなっていて、とても静か。この世に私しかないような気もしてくる。
体が痛い。見れば床の上で寝ていたようだ。体を起こし、胡座で伸びをする。背骨や腕の骨がぽきぽきと疲れを吐き出す。私はため息を吐いて部屋を見渡す。ここはどこだろうか。全く知らない部屋だ。外の景色は、どこか見覚えのある、五メートル四方程度の庭。雪が積もって緑は眠っているようだ。部屋には何もなく、もし出ることができなければ死んでしまうだろう。やりたいこともない人生だったから、平凡に死ぬよりはいくらか面白い。だからそこまで絶望はない。
そうだな、もう一度寝てしまおう。どうせなにもすることがないのだ。そうだ、雪を眺めよう。しんしんと降り積もる雪を私は歓迎しよう。そして共に眠ろう。
静かな世界におやすみ、と囁いた。それがこの世界で初めての音だった。
『君が見た夢』
淡い春の窓下、君の夢を見た。もう何年も会っていない君と出かける夢。
夢の中ではね、君と距離はあんまり感じなくて、空白の中にぽつんと浮かぶかき氷屋さんに行ったんだ。僕と君で抹茶ソースのかかった大きいかき氷を分けっこして食べたの。あ、そういえば店員さんの顔がKくんに似てたな。あの、小中同じだったあいつだよ。夢の中だと気づかなかったけど、今気づいた。変な感じー
そうそう、気づいたらかき氷は食べ終わってて。味は全然覚えてないのに満足感があってさ、そのあとは何したっけ。あれ、覚えてないな…あれ、君が出てこなかった。そうか、かき氷は君自身のことだったのかな。夢の中でのメタファーというか、かき氷を食べ終わったから、君が消えちゃったみたいな。え?違う?なんで君、が、そういえばかき氷、Kくんに似て、味は覚えてないな。
そう、断片的な記憶だけを繋いだら、こんな感じ。上手くできてるかな?そう、夢ってことにしとくの。そうしたら罪は軽くなるかな。大丈夫、君は悪くないよ。それにもう、君は君の、罪を償ったじゃないか。じゃあそろそろ行ってくるね。ちゃんと僕の勇姿見ててよね!元演劇部の底力見せてやる!
『星になる』
あなたは弧を描いて
わたしはぽつんとそこに居て
ただ、ただ一点を見つめていた
それが光なのか、闇なのか
はたまた空白なのかは理解し得ない
あなたはその視界に入ってきて
右から左へ
通り抜ける
それは風のよう
流れ星のよう
虚無をかき消す聖歌でもあって
わたしの楽しみだった
あなたはいつも
キラキラとしていて
わたしを照らしてくれる
あなたの輪郭は光にぼやけていて
曖昧であったけど
わたしはそれを星と呼びたかった
星に、なりたかった。
『遠い鐘の音』
霜が降りそうなほどに冷たい指先に、はぁと息を吹きかける。指先に詰まった氷の粒が溶けていくように楽になる。今の時刻は十三時七分。待ち合わせの時間は十二時だったのに。三十分は音楽を聴きながらぼーっと待っていた。流石に三十分を過ぎると電話をかけた。五回くらいかけた。出なかった。腹が立つ。四十分ほど過ぎると、周りの人間が憎らしくなってくる。友達と、恋人と、家族と…一人で歩いてる人にはどうとも思わなかった。でも、ぼーっとするのはきつくなってきて、鞄の中を漁ったら先週くらいに読み終えた小説が隅っこに隠れていた。読みごたえなんてなかったけど、ぼーっとしてるより、まぁいくらかマシだった。そして今、一時間が過ぎても、なんの連絡もなく、既読もつかない。これはきっと死んでいるか、ブロックされているか、としか考えられない。ブロックされてた場合、僕がここにいた時間は誰の為なのだろうか。自分のために使った記憶など更々無い。せめて神様に1000円くらい貰ってもいいんじゃないだろうか。バイトよりは辛くなかったけど、それなりに苦痛だった。
ああ、どうせなら早く五時になってほしい。五時のチャイムが鳴ったら帰ろう。それまで何をしようか、ネットサーフィンはさっき数分で終えてしまったし、この小説は面白みがないし、いっそのこと寝てしまおうか。いや、それは公共のマナー的に良くないか。はぁ、五時のチャイムが遠い…
『夜空を越えて』
眩しい電子板が僕の目を刺している。痛い、目の奥の鈍痛が引いてくれない。でも、僕は少し携帯を傾けて目に入る光を減らすだけで、まだ見続けてしまう。これは惰性だ。窓の外はすでに暗くて、手を近づけると冷気が寄ってくる。外は寒そうだ。たしか、今日の最低気温は五度とかだった記憶だ。学校があるのに、億劫だ。
なんとなく窓を開ける。少し力を加えて、窓を押し開ける。途端に窓越しとは比べ物にならない冷気が全身、特に足元を襲う。僕は思わず脚を椅子の上に上げて暖をとった。少し目線を上げると、星が綺麗に散っていた。冬は空気が澄んでいるからだろうか、レジンに閉じ込められた光のような、柔らかくて、鮮明な星が、絵画のように見えた。暗闇のキャンパスに、星の絵の具をトントンと叩いて、散らしたような。この空を切り取って売るならば、僕はきっと億万長者になれる。でも、この空は切り取れないし、時間と共に消えていく、そして、また新しい空が現れる。無常だけど、これを素敵だと言う感性も、わからなくはない。