寂しさ
最近は、以前に比べて、寂しさを感じることが減った
その理由は、人付き合いに、憧れや羨ましさが、なくなりつつあるから
感じるのは
「寂しさ」より、むしろ「うんざり」で
ここのところずっと、目にする人間関係は
他人を使って、自分の価値を証明し合う闘いだ
「他人に優しくされたら自分には価値がある」
その価値観が、性別年齢問わず、場のすみずみまで行き渡っているのを感じる
皆、他者の反応で、己の価値を決めるのだ
他者を使っての、マウントの取り合い
誰かに冷たくされる他者をみて、ばかにする空気は、心底嫌なもの
ほんともう、職場で何やってんの
お喋り大好きな女性たちが、男性陣と仲良くお喋りできて喜ぶのはわかる
でも
冷たくされたからって、落ち込む必要はないのにな
自分の価値は自分で決めること
冷たくされたら傷つくのは当たり前だけど
そこで追いすがることはせず、こちらから距離を置いたらいい
自分をぞんざいに扱う男性相手に
下手に出て、好かれようと振る舞う行為は
私からみて、女性そのものの価値を下げること
ねぇ
そんなことをしなくとも、あなたには価値がある
皆が皆、そう思えたらいい
女性の価値は、男性に好かれるかどうかではないし
そのように振る舞うことで、かえって女性たちは自信をなくしているようにみえる
他人を使っても、結局、自分の価値を証明することなんか、できないのだ
自分の価値を証明するのは、自分だけ
私にとっては、自分の正しいと思う行為を、堂々と行うことこそが、自分を証明することだ
他人に自分の価値の判断を任せると
他人に振り回されることになる
私はまだ、「唯一無二」の意味を実感したことはなく
己を唯一無二と感じられたことは、ないけれど
己が己に向ける想いなら、もしかしたら唯一無二かもしれない
他者には自分の行動の意味が伝わらず
誤解されることが多々ある日常で
自分の想いをわかっているのは自分だけ
そして、自分が自分だけに向ける想いは、自分だけがわかる唯一無二のものだろう
それを己の価値と定めるならば
まさしく己の価値こそは、唯一無二かもしれない
自分が自分だけに向ける、自分への想い
私が定めた、私の価値
「私はこうこうこうだけど、こんな風に思っていて、私はそんな私が好きだ」
私情が多分に含まれた、それこそは
私だけが知る、「唯一無二」の私だ
最近、むしろひとりでいいや、と感じる毎日で
他者とはむしろ距離をとりたい
そのせいか寂しさも感じない日々だけど
私にとっては、良いこともたくさんあった
他者に影響されやすい私は
他者と距離を置くことで、かえって自分がみえてくる
人との交流も、温かいものなら欲しいかもだけど
もう少しの間、寂しさを感じない私でも、いいかもな
風邪
「こどもが風邪をひいて熱を出したみたいで‥早退します」
申し訳なさそうに帰っていく同僚さん。
同僚さんを責める声はひとつもない。
当然だ。
人材育成を大切にする組織なら。
子育ての大切さは、わかるはず。
「小さな子」を育てることは、小さなことと思われがちだけど。
実際は、ひとりの人間を、育てること。
その責任と重圧は、どんなタスクよりも勝るかも。
「大丈夫ですよ。この仕事はやっておきます」
お大事に、と見送る皆。
この仕事は、私にもできること。
だから真実、大事ない。
◎じゃあ、その仕事がその人にしかできない場合は?
それはもう、その人がどちらを選ぶかが問題なのではなく。
システムが問題。
その仕事はその人にしかできない、その状況がまずいのだ。
組織はどんな状況でも、いつどの人が抜けても、個人に責任を背負わせてはならない。
常に数人備えておく、それが真実「出来る」組織でしょう?
「人手不足」これを恥じることなく口にする組織は、信用してはならない。
十分な人手を調達することは、組織の仕事。
足りていないと堂々と口にすることは、
「自分は仕事ができてません」と、言っているようなものでしょう?
「人手不足だから働け」これこそナンセンス。
自分の仕事不足を棚に上げ、体調不良等の正式な理由の退出を認めない。
つまり、組織が道理の通らぬ自分の尻拭いをさせているようなものです。
◎キャリアと子育て、どちらを選ぶ?
子育てもその人自身のキャリアである。
その問い自体が、ナンセンス。
真のキャリアウーマンorマンなら、両立こそを目指しなさい。両立を認めない会社ならこちらから切り捨てなさい。
仕事と子育てを両立できる、優秀なあなたなら、引く手あまたです。
そしてそれを選ぶ気概を、潰されない早いうちに、よその寛容な組織に移ってください。
組織の改革もいいけれど、時間をかければかけるほど、何よりあなたの気概が薄くなっていきます。
あなたに選択を迫り、どちらかの犠牲を強いる会社は、その選択肢しかない程度の器です。
仕事は大事、当たり前。
責任ある以上、自分の仕事を大事にしない人間は、みたことない。
同僚さんだって、申し訳なさそうに帰っていくからこそ、日頃の仕事ぶりが優秀だからこそ。
好感をもて、皆、快く、送り出すのだ。
仕事が大事なのは当たり前。
それでも、それよりも大事が目の前にあるから。
「大事ない」と言えるのだ。
それは大変だね。
こっちは大したことないよ。
皆、いつものように、物事の優先順位をみて、
大事を決める。
「子育て」自体の重要さ云々でなく。
状況や環境、そして皆のなかの「子育て」の重要さの認識で。
お母さんが責められるかどうかが決まる。
将来、未熟な社会人を世に出すなと責めるなら。
健全な環境で育つように、
早いうちからの協力必須です、社会の皆さん。
雪を待ち、雪解けを待つ
イルミネーション
東京を訪れる用があり、
今はちょうど東京のイルミネーションを見物中である。
東京を訪れたのは数回でしかないけれど。
来るたびに、東京を好きになる。
私は地方の田舎出身。
東京に来て思うこと、まずは。
「綺麗だ」
これに尽きる。
自然がないなど、とんでもない。
どーんとでっかくスペースとって、こんなにも自然があるではないか。
代々木公園のイチョウは見事。
こどもたちは遊び、大人もこどももランニングしていた。
人が冷たいなど、とんでもない。
ほぼ関わるのは店員さん、当たり前かもしれないけれど、皆きちんとしていて、優しい。
街を歩いてみたけれど。
新宿、渋谷、原宿、品川。
繰り広げられる光景は。
やっぱり、平和でのどかで穏やかだ。
来た街が、よかったのかな?
そうかもしれない、東京のことをまだ全然知らない。
それでも、東京は素敵だと思える。
今までは、東京を、えぇ〜、と、思っていた。
人混みは嫌。
自然が好き。
田舎がいい。
でも、以前より、「田舎に住んでいる」コンプレックスがなくなったからかな。
それとも、東京の優しさに触れたからかな。
人混みはたしかにあるけれど。
東京の人は慣れているからこそ、こっちがまごついても自然に避けてくれる。
そう、東京だからこそ、旅行者にも慣れていて。
何もわからぬ田舎者にも、対応は優しめだ。
人が溢れているからこそ、些細なことは気に留めず。
娯楽が溢れているからこそ、過去よりも今に夢中になる。
それを自身にとって、良い悪いは、
判断がわかれるとこだけど。
私にとっては、「良し」だな♪
2日間滞在した、東京の印象は
「皆の努力で、ここまでつくられた街」
東京のイルミネーションは、やっぱり綺麗だよ。
今日は友人の誕生日
祝われるとむしろ困る、と言う友人
誕生日だって何も変わらない、ふつうに過ごしても、いい感じだから、と
なんて承認欲求のなさ
凄いわ
友人の気持ちも、わからなくはなくて
本人が望まないなら、と、最初は祝うのをやめたけど
今は
むしろ困っちゃえ、と思う
祝うこっちは幸せになれるから
誕生日は、本人よりも周りにとって、
特別なものかもしれないよ?
本人がお祝いしてほしいかどうかは別として
私にとっては、お祝いできたことが、
凄く凄く、嬉しかった
そう告げたら友人は
素直に嬉しいよ、と言ってくれた