あなたを困らせたいわけじゃない。それに、ずっと会えないって決まったわけじゃないもんね。
だから泣かない。笑顔で見送るんだ。
「まいったなぁ。見送られる僕のほうが情けないね、こんなに泣いちゃってさ」
びっくりした。あなたもわたしと同じように、別れたくないって思ってくれていたの?
声が詰まってただ首を振る私の頭を、優しく撫でてくれる。
「そうだよな、絶対会えなくなるわけじゃないもんな。よし、僕は頑張って笑ってみせるよ」
不器用な笑顔だった。でも、もっと私が泣きたくなってしまう、縋りたくなってしまう笑顔。
だめ。もっと笑おう。これ以上、お互い悲しい気持ちだけになりたくない。
「ふふ、二人してなにやってるんだろうな。……ありがとう」
最初、私の前にやってきてくれたのはあなただった。
今度は私の番。どんな場所でも絶対、会いに行くから。
お題:泣かないよ
「……ん」
両手をお椀みたいにしてくれと言われて従うと、色とりどりの小さな粒がいっぱいに降ってきた。
「これ、こんぺいとう?」
「そう」
普段から口数の少ない彼はただそれだけを返した。
どことなく窮屈そうに見えるこんぺいとうを、たとえば空に放り投げたら史上初の色付き星に変身して、毎夜眺めるのが楽しみになるんじゃないか、なんて絵本みたいなことをつい考えてしまう。
でも、いきなりなぜ?
「わたし、こんぺいとう食べたいって言った?」
サプライズを仕掛けるような性格ではない。絶対理由があると、長い付き合いでわかっていた。ストレートに訊いても素直に答えてくれないときがあるので、わざわざ回り道をした。
やっぱり口ごもっている。よく観察してみるとうっすら頬が赤い。もしかして照れてる?
「……星」
視線に耐えきれなくなったのか、ぽつりと彼がつぶやいた。偶然にも、さっきの妄想と重なる。
「星、ってあの、夜空の星?」
頷いた彼は片目だけをこちらに向けた。
「星、掴んでみたいって前に言ってたろ」
少し記憶を巻き戻して、あっと声を上げる。
二人で遠出した帰り、ふと夜空を見上げてみたら思いのほか星が見えて、手を伸ばしながら子どもみたいなことを言った。
『冬は星がよく見えるね。今のうちに掴めたらずっとあのきれいなのを眺めていられるのにねぇ』
彼は茶化すことも真面目に返すこともしなかった。内心呆れて流されたのかなと思っていたのだが……。
「もしかして、このこんぺいとう、星のつもり?」
「星に見えるだろ。星みたいだって言ってるの、漫画で見たことあるし」
よほど恥ずかしいのか口調が多い。
「それに、こういうことしてやるのが、彼氏の役目なんだろ」
突然のそれは、正直反則だと思う。
「あ、ありがと。でも無理しないでいいんだよ」
熱くなってきた顔をどうにもできず、無駄に焦り出す。
「無理なんかしてない。オレがやりたいと思ったから」
彼はちょっと怒ったみたいだった。
そうだった、彼は行動したいと思ったら素直にやる性格だった。
「ごめんね。びっくりして、嬉しすぎたの」
このままじゃ、わたしの手の中で星は溶けてなくなってしまう。
「ね、早く帰ろ? このこんぺいとう、きれいなお皿に入れてあげたいんだ」
幼なじみから恋人に変わったばかりの彼は、少し笑って頷いた。
お題:星が溢れる
ああ、神様。私の平穏な日々はいつ戻ってくるのでしょう。
「あっ、スズコ! あの食べ物はなんだ、うまいのか?」
お前はなにを言っているんだと突っ込まれそうですが、今、私は異世界から来たと主張して譲らない男性約一名の観光案内をさせられています。
見た目は日本人というか地球人と変わらないし、日本語も通じるのに、いわゆる常識が通じないのです。
「あれはハンバーガーと言ってですね、まあ、ボリュームあって食べ応えあります。おいしいです」
「ふーん、よくわからないがお前がそう言うならそうなんだろう! よし、買いに行くぞ」
「ええっ、さっきカツ丼食べてたのに!?」
「言っただろう、我々はお前たちより胃袋が何倍も大きいのだと!」
いや、そろそろお金が!
という訴えをする前に、彼はずんずんとお店に向かって行ってしまう。
本当に意味がわからない。仕事が終わり、へろへろになりながら自宅のあるマンションの自動ドアをくぐろうとした瞬間、スポットライトみたいな光が突然生まれ、目を開けたら彼が立っていた。
『おお、お前が私の案内係を務めてくれるのだな? 私はディルという者だ。よろしく頼むぞ!』
一方的によろしくされてしまっただけでなく、衣食住も提供する羽目になった。そのぶんのお金は定期的にディルからもらえているが、異世界の人間ならいつどうやって換金しているのか、謎だ。
『ただで泊まらせてもらうわけにはいかないからな。そこはきっちり弁えているさ』
まあ、変態、犯罪にあたる行為はまったくされていないしされる気配もないし、でかい弟ができたと思える空気ではあるのだが。
「ふー、本当に迫力満点だったな……さすがの私も満腹になってしまったぞ」
「そ、それはよかったですね」
バーガー類すべてを注文していれば、そりゃあ苦しくもなる。店員みんなにたいそう驚かれて、死ぬほど恥ずかしかった。
ようやく帰宅できそうだ。今日も、肉体精神ともに疲弊しまくった。明日仕事だなんて信じられない。
「……あの。ディルさんはその、いつまでこちらにいらっしゃるんで?」
元の生活に戻りたい。その願望が自然と溢れてしまったのだろう。
彼は銀色の瞳をわずかに見開いて、無言で私を見つめた。そんなはずはないのに、心の中を覗かれているようで心地悪い。
「すまない、具体的な日取りはまだ決まっていないのだ。我が国の人間は皆のんびりしているからな」
決まっていない――明らかな失望でいっぱいのはずが、複雑な気分に戸惑う。この非現実的な毎日から早く解放されたいのは確かなのに、変。
「スズコに苦労をかけているのは重々承知している。だがもう少し、このディルに付き合ってくれまいか」
いつでも自信に溢れた表情をしているディルが、どこか悲しそうにこちらを見下ろす。しまった、そんなにだだ漏れていたか。
「大丈夫です。そりゃ最初は大変ばかりでしたけど、楽しくないわけでもないので」
半分嘘で半分本音だった。普段ならスルーするようなものにもディルは興味を示して、それが新たな発見に繋がったりもしている。
「そうか、スズコは優しいな。本当にありがとう」
見慣れているはずの笑顔がなぜか眩しすぎて、痛い。
平穏な日々が戻ってくるよう願う気持ちは、本当。
でもこのもやもやとした感情はいったいなんだろう。
お題:平穏な日常
「私の大切な大切なひと、今度はあっさりこの手に捕まってくれたわね、ふふ」
この場に似つかわしくない台詞だった。下手に刺激しないことを念頭に置きながら、ゆっくり声を出す。
「お金が一番って言ってるやつの台詞とは思えないな。いつの間にそんな昇格したんですかね?」
馬乗りになり銃を突きつけたままの彼女は子どものように笑った。
「いやね、気づかなかったの? 貴方が逃げたあのときからよ。この私から一度でも逃げられたひとは貴方が初めて」
誰一人として、命を奪うのはおろか傷ひとつつけられないほどの実力を持つという、界隈では非常に恐れられる殺し屋だった。気まぐれに変動する高額な依頼料さえ払えば、どんな依頼でも必ずこなすという話を知らない者はいない。
怖いもの見たさで身辺調査の依頼を受けたのはやっぱり間違いだった。気配を悟らせないのは一番の得意技だったのに、二度目は運に見放されたあげく最終的にこんな危機的状況に陥るとは。
『まったく、最近調子に乗りすぎじゃない? 痛い目に遭わないといいわね』
贔屓にしているカフェのオーナーの言葉が今さらながら耳に突き刺さる。
「でも、ちょっと興ざめかもぉ。あのゾクゾクする気迫はどこいっちゃったの?」
「とにかく必死だったんでね。さっきもそうだったはずだけど、足りませんでしたかね」
「足りないわよぉ。もっと私を楽しませてくれなくちゃ、殺しがいがないでしょ?」
銃口が移動したものの、まったく隙がない。
脇汗が止まらない。いっそここで果てた方がマシかもしれないとさえ思えてきた。
急に彼女は立ち上がった。これは同じように立て、ということなのか。
頭半分ほど低い身長の美しい殺し屋は、恍惚の表情を向けた。
「この世で一番大切な貴方の命を奪うことが、今の私の楽しみなの。だから――こんな簡単にじゃなく、もっともっと素晴らしく心躍る方法で、殺してあげる」
今から一緒に遊びにでも行くような、無邪気だけにあふれた声だった。
「それはそれは、光栄ですね」
内心の恐怖を悟らせないよう口角をあげるのが精一杯だった。
突如視界が鋭い白に包まれ、思わず腕を持ち上げる。
緊迫感の消失に気づいたときには彼女の姿はなく、生死をかけたゲームが一方的に始まってしまったことに天を仰ぐしかできなかった。
お題:お金より大事なもの
この日が近づくといつも行くスーパー全体の雰囲気がどこかほんわかして、可愛らしい配色が目立つ。
私が好きな淡いピンク色がところどころで目に入る。
「今日は特別よ」
そう言う母親と、心から嬉しそうな笑顔を浮かべてお菓子の袋を買い物かごに入れる子どものやり取りも微笑ましい。つられて、二個入りの小さな菱餅をかごに入れていた。
「せっかくだからいろんな具入れた豪華ちらし鮨作るか」
「ちょっ、私が食べられるのにしてよ?」
「このわたしの料理の腕を信じなさい」
「嫌な予感すんのはなんでだろ……」
客観的にはこれも微笑ましい会話をするカップルの横を通り過ぎ、すでに完成しているものをかごに入れた。
雛人形を飾るのはもちろん、ちらし鮨を一緒に作ったことも、ひなまつりならではのお菓子を食べたこともない。
だから毎年、こうしていわゆる「おすそわけ」をさせてもらっている。
いろんな行事があるなかで、このひなまつりが一番好きだった。冬が去りかけ春の足音が聞こえ始めるからか、いっそう華やいで見える。
たぶん、自覚がなかっただけで、昔から「憧れ」を抱いていたのだと思う。女の子にとって特別とされている、この一日を。
逆に、どうして自分だけの特別にならないのかと羨ましさを募らせることもあった。そうしたらまったくつまらない。意味もなく終わらせてしまうだけの状態が続いた。
どうせなら自分なりに楽しもうと方向転換したのはそのときだ。
(そうだ、せっかくだから来年は雛人形でも飾ってみようかな?)
一年後に楽しみを予約して、先ほどよりも軽くなった足取りで買い物を再開した。
お題:ひなまつり