(バレンタイン……今日、だったか)
コンビニに立ち寄ったとき、目立つ場所にバレンタインコーナーができていた。
いつもならそのままスルーするところだが、少し考え、小さなハート型のチョコが数粒入っている商品を手に取る。こういうきっかけでもないと無理だと思ったのだ。
そのまま自宅へは帰らず、バスで10分ほど揺られた先にある、彼女の自宅へと向かう。
「なぁに?」
来客が自分だとわかっていたのだろう、ものすごく低い声と鋭い視線で出迎えられた。
「その、今日バレンタインだろ」
コンビニの袋ごと突き出す。
「……へえ」
わかりづらいが彼女の反応を見るに、結構驚いたらしい。
「こんなことしてくれるの、初めてじゃない。ビニール袋に入れっぱなしにしてなきゃ満点だったけど」
「そ、そうだったな。うっかりしてた」
「バレンタインっていうイベントがあってよかったわね?」
さすが、あっさり見抜かれていた。
昨日、それはそれは派手なケンカをしてしまった。理由をはっきりと思い出せないくらい、些細なきっかけから大ごとに発展してしまったのだと思う。
無駄に意地を張ってしまった自分が完全に悪い。言い合い合戦の途中からわかってはいたのに、折れることができなかった。
「……ごめん。ほんと、悪かった」
素直に頭を下げる。
短いため息が聞こえて、思わず全身が固くなる。ケンカ自体は何度かあったけれど今回は相当怒っている、のか? 別れる、なんて言い出したらどうしよう。
「まったく、しょうがないなぁ」
自分の手にあったビニール袋が、彼女に渡る。
「私もあれこれ言い過ぎた。ごめんね」
何日も見ていなかったわけじゃない。それでも久しぶりと感じるほど、彼女の柔らかな笑みが胸中いっぱいに染み渡っていく。
「チョコ、私も用意してるの。一緒に食べよう?」
今日はたぶん、忘れられないバレンタインになりそうだ。
お題:バレンタイン
この場所でなにがしたい?
そう問うと、君はのんびり散歩がしたい、と言った。
いいね。ここは湖が綺麗だし、夏は涼しいよ。もちろん春は桜が満開だし、秋は紅葉がある。冬は雪が降れば幻想的だろうね。いつでも楽しめるよ。
すると、彼女は心から嬉しそうに笑った。合わせた手のひらの指先を唇につける仕草は、無邪気に喜んでいる証だった。
春が楽しみだわ。絶対、二人で来ましょうね。
ああ。絶対だ。
春はやってきた。予想していた通り、桜が空と地の青に薄桃色が混ざり、可愛らしくも幻想的な空間を作り出している。
「君も、見てるかな」
虚空に、つぶやく。
『ええ。本当に素晴らしいわ。次の季節も楽しみね。ああ、その前にもう一度行きましょう。絶対よ』
無邪気な笑い声が、脳裏に響き渡った。
お題:この場所で
花嫁の投げたブーケが偶然手元に降ってくる。
物語みたいな展開を、まさか現実で体験するとは思わなかった。
「よかったじゃない」
友人はそう言ってくれるが、たぶん花嫁の知りあいからは恨まれているんじゃなかろうか。というかこういうのって普通仲のいい人間めがけてトスするもんじゃないの? 私は花婿側の知人だし。
花を包んでいる白い紙を指先でなんとなく弄ぶ。
……結婚ねえ。
正直、まったく興味がない。少なくとも今は自分自身のことに精一杯で、そこまで考える余裕がない。
もちろん、過去には積極的に動いたこともあった。そのすべてが私にとっては最悪な終わりを迎え続けて、いつしか熱を失った。
……たぶん、あれがなかったら、細々とでもいい出会いってやつを探していたかもしれないわね。
うっかり思い出しそうになった奴の記憶を振り払うように、友人を呼び止める。
「これ、あげるよ」
「え、いいの?」
「私より結婚したくてたまらない人のところに行ったほうが嬉しいって」
「そう?」
嬉しそうな友人の手に渡ったブーケは、私の目には眩しく見えた。
お題:花束
※軽くBL要素がありますのでご注意ください。
こんな結末になるのはわかっていた。
「あの、おれ、なんて言えばいいのか」
「いいよ。気にすんなって」
笑っていろ。こいつに余計な気をかけさせるな。しつこくなにがあったのか訊いてきたのだって「親友」の俺が心配でたまらないから、だから。うっかり隠し通せなかった俺が悪いんだ。
「ただ、そういう意味で好きになっちまったってだけだから。同じ気持ちになれっていう気はないし、これからも仲良くしてほしいからさ。もちろん、無理なら仕方ないけど」
ダメだ、まともにこいつの顔が見られない。予想以上にダメージがでかくて、違う意味で笑えてきてしまう。全然覚悟決まってないじゃないか。
「……一人で、苦しんでたんだな」
なんでお前が苦しそうなんだよ。全部俺の都合なんだ、お前には関係ない。
「お前のそんな顔、初めて見た」
一瞬、呼吸が止まった。
抱きしめられていた。そういう意味ではないとわかっていても、心臓がうるさくなるのを止められない。
「そりゃ、好きなやつに振られたら、当たり前だろ」
「そう、だな。おれも振られたときはそうだった。お前が見かねて慰めてくれたっけ」
「はは、あんときのお前顔めちゃくちゃだったな」
「いい加減忘れろよ」
こいつなりの慰め方だと気づいて、自然と頬が緩んでいく。たぶん今、一生懸命考えまくって、言葉を選んでいるんだろうな。
「……おれを好きになってくれて、ありがとう。さっきはびっくりしっぱなしだったけど、お前の気持ちは、嬉しかった」
背中にある両腕に力が込められていく。親愛の証だと充分に伝わってくるから、あたたかくて、苦い。
「おれにとってお前は一番大事な親友だっていうのは変わらないし、離れたくない。だから、これからもよろしく頼みたい」
「……熱烈な告白だな」
無言の彼を不思議に思って抱擁を解くと、眉間にこれでもかと皺を寄せた顔と対面した。
「ばーか、なんて顔してんだよ。俺はこれからも仲良くしていきたいって言ったろ」
「ごめん……あ、ごめん」
両方の頬を掴んで、軽く引っ張ってやる。
「泣くのは俺の役目だからな? お前は笑っとけ」
たぶん俺はまだうまく笑えないから。
つられて泣くのもいやだから、せめてお前は笑っていてくれ。
お題:スマイル
止まってほしいと願っても、時は無慈悲に先を刻む。
秒針の音が耳を、心臓を、順に一突きしていく。
ああ、こんなに互いに運命を感じているのに、現実は共に生きることを許さない。
もうすぐ、魔法が解ける。
運命の相手から、赤の他人に戻る。
シンデレラのような奇跡は決して起こらない。
お題:時計の針