週半ば。
帰宅後、寝る前までのルーティンを終わらせる『1件のLINE』は《こんばんは》、と告げる黒猫のスタンプ。
まさかの相手過ぎて、返信に迷うが送られてきたのはただそれだけ。
どういうつもりなのか分からずに、とりあえず同じように《こんばんは》とデフォルトのスタンプで返してみる。
既読はすぐについて、そしてまたもや、間。
スマホを投げ出し、途中だったストレッチに戻る。
と、またぽこん、と通知音。
《おきてる?》
最初のスタンプからずいぶんと時間を空けてきた割には簡潔で。意味が分からない。
《きょう》
《すまほデビュー》
《した》
こんな簡単な一文の間に寝る準備まで終わってしまって。
やっと繋がった文章で内容を知ることが出来たのだが、最初のスタンプから、かれこれ30分。いつまで続くのだろう。
《もしもし》
《うぉっあ?!》
しびれを切らして通話に切り替えると、あまりの大きさに耳を遠ざけてしまうほど普段聞くことのない慌てふためく声がした。
《……うるさいです》
《うわ、ごめん!今日変えたばっかで、まだ慣れてなくてさ》
初めてスタンプ使ったと照れた声にこちらまで上ずりそうになるのを押さえて、ソウデスカ、と返して。
続かない会話に、もっと上手い返しがあったのではなかろうかと思案して、いや別に話を広げなくてもと思い直すほどまた長い沈黙。
普段でもメールでもあんなに饒舌に話すのに、どうして今こんなにも静かなのだろう。
つい、憎まれ口を叩きそうになって、通話を切ろうと持ち直せば黒い影が画面いっぱいに広がっている。
よくよく耳をすませば、あーだのうーだのと聞こえてきて。
ビデオ通話に切り替わっているのすら気付かずに言葉を探しているのだと知って、なんでも器用に熟す彼の不器用な一面に思わず笑ってしまった。
こちらはOFFのままなので、急に笑い出した僕に困惑しているのだろう。
その姿がなんだかかわいらしく見えて、先程のメッセージの合間の沈黙に苛ついてしまったのなんてもうとうに忘れてしまった。
《なんだよ、すぐに慣れてやるからな!》
《……ふ、ふふ、まって、ます》
覚えてろよ、なんて捨て台詞も相まって、僕はとうとう声を上げてしまった。
8時も過ぎた頃。
これから夏を迎えるというのに、すっかり日も落ちてしまった。
7時頃の夕闇と『街の明かり』が混ざり合う、この時期が一等好きだった。
雨降り後なら尚の事。
夕涼みなんて言葉が出てこないほど、日が暮れてもたっぷり日差しを浴びたコンクリートがいつまでも熱を放っていて。
あまりにも暑すぎるから、蝉すらも声を上げられないでいる。
吸い込む空気も熱を感じるほどに。
そんな酷暑だろうと、夏は一等好きだ。
恋人に『七夕』の、年に一度しか会えないなんて。
そんなの本人たちの努力不足だ、会いたいなら会いに行けばいいのに、なんて幼かった俺は言うだろう。
300km以上も隔たれた、物理的な《川》。
自分で稼いでいる大人なら言えただろうが、日常を仕事に食われている状態では時間がなく。
まだ世間も知らぬ、学生の身なら尚の事無鉄砲だと言われても仕方がない。
それでもなんとか抗いたくて、電子の《川》にそっと文を出す。
簡潔に《会いたい》と。
ただそれだけ。
気付けば夜もすっかり更けてしまって、返事は明日か、そのままどこかへ流れていくのもしれない。
我ながら女々しさに嘲笑し、寝転んだ布団は早くも自分の体温を吸って生温く、居心地悪い。
冷えた所を探して転がっているうちに、小さな通知音が聞こえた。
ずいぶん遠くに放った携帯には同じく簡潔に。
《僕もです》
ただそれだけ。
たったそれだけなのに同じ気持ちなのだと知れて心は簡単に浮ついてしまう。
さらに震える知らせ。
《なので、来月の七夕、こっちに来ませんか?》
「なあ!来月七夕ってどういうこと?!」
「わ、びっくりした。いきなり大きな声、出さないでください」
思わずかけてしまった電話に開口一番の憎まれ口。
今回に限ってはこちらが悪いが、それはそれとして。
「今日七夕だろ?!」
「ああ、こっちでは来月なんですよ。花火も上がります。だから」
「あいにきて」
ぬるく、湿り気をまとって部屋に入ってくる風は古い記憶も一緒に連れてきた。
あの日は今よりももっと蝉が鳴いていたような気がするから、7月も後半だったのだろう。
学期末テストも終わり、夏休みを前に少しばかり浮つく教室。
休み時間ともなれば、近しい友人らがお互いの予定をすり合わせて盛り上がっている。
やれ花火だ、プールだ、お祭りだ。
夏は自分で盛り上がらないと楽しめないんだ、と男でも惚れる友人が語っていた通り、ただ暑さから逃れてクーラーの効いた涼しい部屋で余暇を楽しむだけでは勿体ないくらい、楽しげなイベントで溢れかえっている。
どれか好きなものがあればいいのだけれど。
『友だちの思い出』から『恋人との思い出』に。
「……わ、」
先程まで会話するには困らなかったのに、お互い相槌だけになってしまって、次の言葉を繋げることが出来なかった。
最初に止めてしまったのは自分の方だと理解している。
けれど。
短くも数分の瞬き。
「ああ、東京じゃこんなには見えないですか?」
釣られるようにして同じように見上げた彼には見慣れた光景なのだろう。
夕方まで滞在はあっても、夏の日もすっかり沈みきった夜中なんてこちらでは初めてだった。
きらきらきらきら。
瞬くという表現が適切なのだと、目を凝らさなくても無数に散らばる星々があまりにも眩い。
「冬は空気が澄むので、もっと綺麗ですよ」
顔を合わせなくてもふんわり微笑んでいるのが分かるほど声に甘さが含まれていて。
思わず足を止めて眺める『星空』。
帰るのが惜しくなるほど、それでも早く歩みを進めたいのは空にいる月が今、隣にあるからかもしれない。