hikari

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11/2/2024, 2:14:51 PM

眠りにつく前に


夜9時という健全すぎる時間に寝床に着き、アダルトビデオを鑑賞しながら咽び泣く女が日本に何人いるだろうか。調査したいところだが世間体を気にすると安易に行動に移せないが、少なくともこの中野区では1人だけだろう。狭い6畳のベッドの上で、また、この煌びやかな都会で、私は何をしているんだ。

きっとこの光景を子供が見れば、大人の慣れ果てに膝から崩れ落ちるだろう。大人が見ても結構ドン引きである。いや、高校時代の私が見たら顔を引っ叩いている。
この涙はいったい何なのかというと、一種の自傷行為のようなものである。

タイムリーに浮気された私は、AVだろうが、バラエティだろうが、自分の心が一ミリでも動かされるものには全てに涙を流せる状態だった。多分、今なら蚊に刺されただけで1日は泣ける。指先で、ツン、と背中を押されでもすれば、1週間は泣き喚き家から出ない。あまりにもセンチメンタルな状態で自分でも手に負えないのである。はっきり言って、仕事いってるだけでも偉い。

当然、結婚する流れだった。4年付き合って、2年同棲した。結納の日も決めて、結婚式はもう少ししてからだね、なんて話もしていた。勿論ゼクシィも買った。ゼクシィ、買ったら綺麗な手提げ袋くれたの、びっくりだね、なんて話していた思い出もまだ色濃く脳に記憶されている。そんなペラリとピンク色に輝く封筒にキャッキャと喜んでいた馬鹿な私と並行して、奴は器用にも他の女を抱いていた。そしておまけに、子供まで作っていた。
それから、今日に至るまでの過程は、いろんな話し合いというか、私の一方的な怒りの話し合いばかりが続いた。もはや、相手の子供を思うと、相手を許す以外の選択肢を持たされていない私は、今から仏教に入信するくらいの悟りの心を求められていた。いや、もしこれを乗り越えられたら、私が令和の釈迦にでもなれるのではないかと烏滸がましくも願ってしまうほどの大きな壁に思えた。
浮気というもののダメージは、された側が大真面目であるほど顕著に現れると思う。今までさほどダメージを受けてこなかった前頭葉と海馬は、今回の一件で大きく縮んだのではないだろうか。例えMRIで確認されなくても、縮んだに違いない。だってこんなにも頭の働きが悪い。アダルトビデオみて号泣してるんだもの。

じゃあ、昼ドラでも見ればええやないか、という意見もその通りであるが、今は感情移入しすぎて自分でも何をしでかすかわからないのである。もしかしたら昼ドラと同じような展開をし、火曜サスペンスのようにバーンと荒れ狂う海をバックに刑事さんに謝罪しながら泣くかもしれない。それなら、アダルトビデオ見ながら泣いてる方がマシなのである。

元彼が子を身ごもった浮気相手と謝罪しに来た時、いろんな感情があったが、浮気相手がべらぼうに美人だった。まずそのインパクトも激しく、わたしは時計の読み方を忘れるほどだった。あれ、長い針が…どっちだったっけ…という、心と脳のボケにツッコミもおらず時は流れた。そして、わたしの心が言うのである、なぁんだ、やっぱり美人がいいのね。男受け、か、と。

ほな、私だって男受けなるもの極めてやったろうやないの、と、1人になってPCを開き、あれや、これやと検索をしていた。色々馬鹿馬鹿しくなって履歴を開いたところ見覚えのない履歴があった。このPCは元彼と共有していたものだった。その見覚えのない履歴こそが、冒頭のアダルトビデオである。ワンクリックで開き、動画を見た。美しい綺麗な女性が写っていた。
私の感情はというと、履歴消しとけやアホ、というそんな一般的なものではなく、ただ目の前に映る光景が、自分が見ていなかった浮気現場そのもののように映っていた。自分とはかけ離れた美しい身体を見て、私は気づいたら、吐いてしまうほど泣いていた。

そこからというもの、私は悲しくて耐えられないはずなのに、この映像をみては心を傷つけている。そろそろこのいかれたナイトルーティンも辞めなくてはならない。自分では後戻りできないところまで心が枯れ果ててしまう。というか、この業界の作成者も、失恋コンテンツは意図してないと思う。ま、それはどうでもいいか。

いつの日かみた美術館の絵画で、ロマン主義や理想主義と対象に、現実主義の絵画が展示されていた。美しい白人女性の裸体と対照的に、リアリズムでは脂肪のついたふくよかな女性に変わっていた。その時感じた差くらい、今目の前で流れている女性と私はちがう。彼が望んでいた女性と私も、私が気がつかなかっただけでこんなに違っていたのか。

その気づきが、私にとってはまるで胸に突き刺さる現実の刃のようだった。あの美術館で見たリアリズムの絵画は、理想とはかけ離れた「ありのまま」を描いていたけれど、あの時はその意味がよくわからなかった。けれど今、目の前の画面に映る作られた美しさと自分との隔たりを感じた瞬間、私が「リアル」だったからこそ彼に選ばれなかったのかもしれない、という悲しい答えにたどり着いた気がした。

ふと、画面を閉じ、暗くなったPCの画面に映る自分を見つめる。そこには目が赤く腫れ、疲れ果てた顔があった。きっと高校時代の私が見たら、もう一度叱られるだろう。「何やってんの?」って。愛されるために必死だった私が、今はひたすら自己否定を続けている。

だけど、もしリアリズムが「ありのままの美しさ」を描くためのものであるならば、私もいつか自分の「リアル」を好きになれる日は来るのだろうか。あの美術館の絵のように、自分を誇れるようになれる日は来るのだろうか。

その夜、私は決めた。今まで続けていた、自己破壊的なナイトルーティンをやめることにした。もう、アダルトビデオで自分を傷つけるのは終わりにしよう。ありのままの自分を否定するために画面を開くのではなく、本当に自分のためになる時間を過ごすべきだと、やっと心の奥で理解できた気がした。

そして、もう一度自分を見つめ直すために、いつかあの美術館に行ってみようと思った。今度は少し違う目であのリアリズムの絵を見られるかもしれないから。

24.11.03 創作-眠りにつく前に

11/2/2024, 4:04:47 AM

永遠に

私は永続的に続くものを考えるとゾッとする。
永続的が指し示すものが、私の人生を超越するものであればそれはどうでもいいことだが、自分が死ぬまでの期限付きで関連するものには、責任と不安がセットでついて回る気がして、考えるだけで嫌な気持ちになる。
それが、結婚や子育て、人間関係、仕事など、私が意識を持ち生きている中での永遠を感じる物事は基本的に嫌いである。その重圧を感じるとゾッとする。また、矛盾しているが、それらが永遠でなかった場合、傷つくのも嫌なのである。細かくいば永遠が嫌なのではなく、それらが永遠でなくなってしまう不安要素を自分で抱えるのが嫌なのである。また、その不安を抱えて生きていく勇気もない。

だから私のような人間が生きていくためには、つべこべ言わず目の前のタスクだけ見てこなしていくことが精神安定上良い。今の所結婚も出産もしたいと思ったことは一度もない。いつでも心置きなく切れる関係性というものでないと、その不安に耐えきれない。

そんな私とは真逆の姉が、数年前に結婚した。
程なくして、甥っ子が産まれた。
末っ子として産まれた私は、赤子を見る機会がなく、まだその成長過程を体験したこともなかった。
今年2歳になった甥っ子は、生まれたてよりも顔がはっきりとしていた。姉にも似ていたが、どこか私の母にも似ていて驚いた。
先祖代々、命の継承、なんて聞くと、今まではとくになんの感情もなかったが、目の前の小さな命がありありと遺伝子を引き継いでいる姿を見ると、ダイレクトにその言葉の価値を感じずにはいられなかった。
代々命を引き継いできた私の先祖たちがどんな性格でどんな顔をしていたか知らないが、思ってた以上に「命のバトン」なるものは存在するのではないかと思った。これは、自分のことなど超越した、永遠そのものだと思った。
そんなことを考えていたら、私の人生なんてなんとちっぽけで、短いんだろう。長い長い引き継がれたバトンの一つならば、自分の命の価値を感じる。今まで引き継がれた分、これから引き継いでいく分。

甥っ子と繋いだ手は、とても小さかった。小さな手からしっかりと体温が伝わった。私はその感覚を覚えながら、帰り道に空を見上げた。燃えるような赤い空を見上げながら、自分のバトンを心で握りしめた。

24.11.02 創作-永遠に

10/31/2024, 1:01:02 PM

理想郷

10月の新潟駅。
夜行バスで、到着した早朝は寒かった。
朝早くから経営している地元の岩盤浴に行き、シャワーを浴びた。
彼の実家に挨拶に行くまでに、
あなたが見せてくれたあなたの地元について知れるのがとても嬉しかった。
あなたの高校と、あなたが通った登校路、平日の昼間で誰も居ない河川敷。
川がとても広く、穏やかで、晴れた陽射しが心地よく、いつまでもそこに居たいと思った。
縁結びで有名な神社へ行き、ベタな、ハート型の絵馬に願い事を書いた。

そこから数ヶ月してあなたと別れることになったけど、
あの日わたしが過ごした一日は、夢のような場所だった。

日本には47都道府県、色んな場所があるけれど
あの時のあなたと私で行った、あなたの地元に私はいまだに恋焦がれている。思い出の中で、二度と出会えぬ理想郷。

24.10.31 エッセイ-理想郷

10/31/2024, 1:58:40 AM

懐かしく思うこと 途中

地元の大型商業施設は、僻地にあるもので残り一つとなった。
人口15万人前後のこの街にある店々は、
高校卒業後、10年足らずで次々と潰れていった。
特に駅前の大型商業施設が潰れたことはかなり衝撃的だった。あまり地元の人間と交流していないので、その衝撃が地域全体のものかは知らないが、わたしの世代はそれなりに驚き悲しんだことと思う。
地元若者といえば、遊び場といえば、潰れた駅前のそこか、ラブホテルくらいだったと思う。というか、当時はその二つくらいしか聞いた覚えがない。
つまり、地元に帰り懐かしさを巡る場所はあの無駄にデカいラブホだけか…と思うと酷く過疎化した地域問題について意識せざるおえなくなってきた。なんとも悲しい現実である。

かといって、私は懐かしむような思い出がそもそもこの土地になく、早く地域として潰れればいいのになと思っていた。その怨念は物心つく時から始まり、現在ようやく縮小しかけている。この土地で生まれ育ったくせになぜそんなことを思ったのだろうかと振り返ると、やはり遠方から嫁いできた母の愚痴から、私はその罪悪感をこの地元に押し付けていたのだなと感じた。

10/29/2024, 12:44:05 PM

もう一つの物語

もし、母の病気がなかったら、
私は今頃どうなっていたのだろう。

中学生として、当たり前のように授業を受け、塾にかよい、部活をして家に帰る。滞りなく友人と遊び、恋をする。そう歩んできた、兄のように。

4人兄妹の中で、わたしは末っ子に生まれた。
私だけ何も経験せずに大人になったのは、タイミング、というものだった。私が中学を卒業して働きに出たことを、大学を卒業した上の兄たちは憐んでいた。

わたしの母は、穏やかであったが、
とある病気により時に暴力的であった。
それは、母の作り出す妄想が、母の心を蝕み、怯えさせ、恐れからくる暴力であった。
人は自分を守るために、時に他人を傷つける。
誰も悪くない、だって、病気だもの。
お医者様が診断したんだもの。
母は母なりに戦っているもの。
偶然、私の学生時代に症状が酷くなったんだもの。
あれが、あの時できた最善だったんだもの。

たまたま、そういうことで、
私は家族に全てを捧げた人生だった。

もし、あの時母が病を発症しなければ。

もし、私の器量が良ければ。

もし、もっと早く周りを頼っていれば。

今とは違う人生だったのだろうか。

今とは違う毎日だったのだろうか。

高校へ行き、授業をうけ、今日みたテレビの話をして、恋をし、部活をして、塾に行く。
制服を着て、髪を整え、化粧に興味を持ち始める。
ステレオタイプとして、邪道を嫌う。
変わったものを毛嫌いし、避けることで、
ストレートに生きる。

でもそうなった私は、「私」なんだろうか。

2024.10.29 創作-もう一つの物語

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