hikari

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7/31/2025, 3:53:09 PM

お題関係なし 創作小説

私はカナリヤ

問題というのは複雑に絡み合っていてそれをひとつひとつ解いていくのは難しい。誰に相談しようとしたって、それを言葉にして理解してもらおうという精神性と姿勢と社交性が必要なのだ。また、それらは理解力という大きな土台のもとに成り立っている。そのように能動的に問題に立ち向かって生きようとすることを「自立」と呼ぶのを、私は最近知った。

「佐竹さん、これ前にも言ったよね?」
「すみません…」

複合機の新しい使い方のマニュアルがどうしても覚えられない。複合機に限った話ではないが、特段覚えられないのだ。AI導入に際して、複合機もスキャンして送って、コピーして、ああ、あれ、どこを、どうすればいいんだっけ、なんて考えていたらあっという間に時間が過ぎてしまう。

単に「覚えが悪い」と言っても、これにも複雑な経緯があるのだ。そう、まずあれは10年前…、物心つく時から私は…なんて、自分史を語りたくなる感情をグッと抑える。そんなことを話したら、終わる。間違いなく社会的に終わる。それを口に出さぬことを、「大人」といい、「社会人マナー」という。そんなことも、私が知ったのは、最近だった。

目の前の上司は、はぁ、と深いため息をついた。
メモ、した方がいいですよ、と呆れた口調で話したあと自分の席に戻って行った。私は、私と同じように使い勝手の悪そうな複合機の『ガガガ』という鈍臭い音のことばかり気にしていた。怒られた時はいつも焦り過ぎてすぐに他のことを考えてしまう。なのに、しばらく経って1人になると、克明にそのことを思い出してひとり反省会を催すのだ。神様、私の脳は一体どうなっているのですか?

***

19時17分発の電車に乗って、20時20分には家に帰宅した。通勤時間の長さは不幸感と比例するというが、まったく同感だ。これで会社に行けていることがまず自分を褒め称える第一要素である。

どっと疲れた体のまま床に座る。
汗臭いスーツを脱ぎ捨てて、ストッキングを脱ぐ。ピリッという痛さを感じて足を見ると、小指の爪が削れてほぼなくなっていた。かかとには小さな水ぶくれができていて、靴を変えることよりも私の足が適応することを祈った。もうかれこれ、半年は履いてる靴だけど。

トイレでも行こう、と立ち上がった時。
右側の子宮に鈍痛があった。あれ、そういえば、と思い、生理予定日を管理するアプリを開いた。

「3ヶ月……きてない」

生理不順は元々よくある方だった。普段はいつかくるっしょ、なんて軽く考えていたが、最近身体的な変化を感じるのである。体重は増えたし、体毛も濃くなった。なんとなく、自分から女性ホルモンを感じない。いや、本当は昔からそうだったが、顕著に気になるようになってきたのだ。

明日、病院でも行ってみよう。

そう思いながら洗面所で自分の顔をチェックしたとき、スマホがブーブーとなった。

 
「もしもし」
『あーもしもし、香苗?』
「なに?急に」

電話の相手は遠方に住む母からだった。

『なーんにも。元気にしてるかなって。仕事なれた?』
「あー」

ぼちぼち。と、返した。

7/27/2025, 3:44:02 PM

オアシス


私のオアシス。

毎日の5分の積み重ね。
本とか、筋トレとか、勉強とか。
つまんなくて、ダサくて、しょうもない集中力の5分。

けど、誰にも奪われない、消費されない、真似もできない、私のオアシス。

5/26/2025, 3:57:02 PM

君の名前を呼んだ日

若いころ、恋愛をするたびにいつも思っていた。
この人は、顔のここがいい、とか、
学歴とか、キャリアとか。
だって、それは、私に自信がないから。
顔だってイマイチで、勉強も、全然得意じゃない。
強いて良さを言えば、負けず嫌い。だけど、負け好きの人間なんて、いるのかしら。

そんな私だから、恋愛なんてもちろんうまくいかない。
恋愛どころか、パートナーシップ全てがうまくいかない。うまくいくわけがない。原因は自分にあることなんてとっくにわかっているけど、私は傷つきたくないし自分を認めたくないの。それぐらいなら、いい遺伝子でも残して、1人になってもいい。一生この罰と罪悪感を背負ってでも、私はこれから産まれてくる私の子どもに、私の存在を相殺させるものを引き継ぐんだから。

そんな不健康なことを、毎日考えていた。
それなのに、私は同時に、こんなことも考えていた。
女の子が生まれたら、「紅葉」がいい。秋に生まれたら、もっといい。紅葉が、私は1番すきだから。でも名前なんて、なんでもいい。意味なんて含めなくていい。いちばん軽やかで、無意味なことが、きっと価値があるから。

私は、大きく膨らんだお腹を撫でながら、ひとり、過去に散々考えてきたことを思い返していた。

でも、きっと。私はこの子にも、重い重い十字架を背負わせながら生かせてしまうのだろうか。他人と比較して、勝つか負けるか、損なのか得なのか。そんなことしか、言う事ができないのだろうか。

あれほどまでに誓った、「私のような人間は子を望んではいけない」という強い想いとは裏腹に、いつも私は、1人でも子供を育てられるように、子どもを産めるように、という根底の願望に逆らえずに生きてきた。そのために、生きるように、してしまった。私はいろんな感情がぐちゃぐちゃになって、涙が出てきた。
ただ、嬉しい、という気持ちだけは、本当だった。

心だけ置いていく毎日に、時間はいつも通りすぎていった。

横には、産まれたばかりの娘がいる。
私は、娘の名前を呼んだ。
娘は、特に反応せず、すやすやと眠っている。
ただ、娘の名前を声に、音にだしたとき、
世界が天国の日差しのように暖かく包まれていると思った。



5/22/2025, 4:39:40 PM

昨日と違う私

月一のまつげパーマと、眉毛ワックス、髪も整えて、完璧。昨日の見てられない私は、今日、結構見てられる私になった。

「変わったね」

それが何よりの褒め言葉だ。
忌々しい思春期の中学時代なんておさらば。
あの時の地獄なんて、もうない。
あの頃の私は死んだのだ。

私は金をかけた容姿のまま、家に帰った。
空は晴天なのに、
買い物すらいかなかった。
香水は、最初の香りが弾けて、甘ったるい重めの香りが部屋を充満させている。

私はテレビをつけた。
チャンネルを次々と変えて、
「なぁに、おもしろくない」
と適当に悪態をついた。
そろそろ、もう、配信アプリでドラマでも見ようかなと思ったとき、
昔見ていた野球アニメが流れた。

なんでこんな不自然な時間に。と思ったら、
夏休み特別企画、と、番組情報に書かれていた。

ま、これでいいか、とその懐かしいアニメをつけたままにした。アニメなんて、何年ぶりだろう。

私はそうめんを茹でて、適当に麺つゆを薄めた。
卵を入れて、七味をかける。これが最高。
私はズルズルと麺をすすった。画面には、知っている内容の話が進んでいく。

ワンシーズンが終わり、
気がつくと、夜になっていた。

あれ、面白い。

あれ、わたし、これ、

「すきだわ」

と、つぶやいた。

誰もいない1Kに、声は溶けていく。

私は右手にある全身鏡に目を向けた。
整えられた眉とまつ毛と、艶々の髪を触った。

よかった、私はあの頃から変わっている。
毎日、毎日、私は少しずつ変化している。大丈夫。

だけど、これでもう見れないエンディングの歌が
酷く名残惜しかった。

「なんにも、変わってないね」

私は胸の高揚を感じていた。

誰にも見られていない、
誰にも感じられない、
誰にもわからない、
密かな私の「こころ」は、
あの頃の私が今でも私の中に存在していることを
証明していた。



5/14/2025, 4:53:12 PM

酸素

「あらぁ、この部屋、酸素がなぁい」

背後から聞こえたすこし甲高い女の声に、私は苛立ちを覚えた。私はこいつが嫌いだ。本来であれば、こんな嫌いな奴を家に上がらせるつもりは微塵もなかった。

「はぁ?」

意味わかんないこと言わず、黙ってろよ、と内心で毒を吐きつつ、私は自分の部屋に探し物を続けている。

「いき苦しくなぁい?」

私はファイリングしていた紙を、咄嗟に数センチ破いてしまった。「あ、やらかした」という感情よりも、意味不明な発言を繰り返す女の締まりのない声への苛立ちが体の筋肉にまで伝わろうとしていることに少し焦りを感じている。

「ねえ、あのさ」

私は少し低めの声で呼びかけて、振り返った。「ん?」という、これまた鳴き声のような音を発しながら、この女____こと、眞鍋は私の顔を見ていた。

「なぁに、雪ちゃん、こわい」

「雪ちゃん」とは、私のことである。富田雪子。大学で知り合って、そんなに仲良くないはずなのに、眞鍋ゆかりは私の線引きを簡単に超えて、こちらのリズムを崩してくる。

「あんたのその、うざったい話し方どうにかしてよ。それとさ、酸素ないとか、訳わかんないこと言わないで。腹立つから」

それ、天然キャラ?と最後に吐き捨てて、私は複数のファイルを眞鍋の前にあるテーブルに置いた。

「だって……酸素、ないんだもん」

「ねぇ、ほんとにだるい。人ん家来といてわけわからないこと話さないでよ。ゼミの研究発表一緒じゃなきゃあんたなんて家呼ばないんだから」

眞鍋は、私の冷たい言葉は然程気にも留めない顔で、部屋に満遍なく視点を投げていた。

「なんか、よそ行きの部屋、って感じ。生活感がなくて、雪ちゃんそのものだね」

私はイライラしている。眞鍋に苛立ちを覚えている、というよりも、私に怒りという感情を露呈させる眞鍋に対して怒りを感じている。

「どういう意味?」

複数のレジュメを整理しながら、私は眞鍋に聞いた。

「雪ちゃんの、SNS見たまんま、みたいな部屋」

「当たり前でしょ、この部屋載せてんだから」

私は小馬鹿にされたような気分になった。好きにさせてよ、部屋くらい。この部屋だって、色々見て私が集めてきた結果のもんなのよ。

「え〜、じゃあ、本物の雪ちゃん、どこ?」

「は?」

私は眞鍋と目も合わせない。睨みそうになるからだ。
心を無にして、複数の資料にホチキスを止める。
眞鍋は、資料にマーカーを引いたり、誤字脱字を確認しているみたいだった。

「ねぇ、ほんとにイラつくよ、あんたとの会話」

「雪ちゃん、どこで酸素吸ってるの?」

いい加減にしてよ、と、顔を上げた時、眞鍋はいつになく真剣な顔でこちらを見ていた。

「………なに?」

「雪ちゃんって………カップラーメン、ベッドの上で食べたりしないの?」

すこし真剣に捉えた自分に落ち込んだ。私何を期待していたんだ、この女に。

「しないよ」

しねーよ、ばーか。という喉まで出ていた音を堪えた。さっさと作業に集中して、一刻も早くこの空間を終わらせるべきだと思った。

「へぇ!しないんだぁ。私、するよ」

「あっそ、あたし、不潔なの嫌い」

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