hikari

Open App
1/16/2025, 5:02:31 PM

透明な涙

今までもらったプレゼントの中で、1番嬉しかったのは櫛だった。

私は新卒1年目で鬱病になった経験がある。
簡単に説明すると、社会人が直接的な原因ではなくて長年溜まっていたストレスの限界値を迎えたことで、自覚ないまま頭と体がおかしくなっていた。動けなくなったときには時すでに遅かった。

あれだけ好きだった美容関係には、一切興味を持てなくなった。恋愛の話もちっとも面白くなくて、仲の良かった友人とも自分から縁を切った。
こんな自分自身、はやく消えてなくなりたいとばかり思っていた。

全てが怪しく見えてきて、人を信じられなくなったのに、心の底から誰かに救って欲しかった。

そんなとき、1人の女友達から連絡がきた。
随分と離れた土地にいたのに、わざわざ有給をとって会いにきてくれた。大学時代の友人だった。
気さくで、物おじしない、その友人は私を外へと連れ出した。都会的な彼女の足取りは軽やかでとても追いつくのに必死だった。そんな私のことは気にせず、彼女はスタスタと街を歩く。

友人にひとしきり連れ回されて、ホテルに着いた。彼女は、思い出したかのように一本の櫛を私にプレゼントしてくれた。

なんだ、櫛か。と、思った。

正直、もう髪なんてどうでもいいと思っていた。
もうこんなに肌も汚い。
体重も拒食と過食を繰り返して、見窄らしい身体で。
髪もボロボロだった。 

とはいえ、貰ったものだから喜ぶふりでもしておこうと、櫛を髪に通してみた。

するり、と、なんの手入れもしていない絡みまくりの髪を、その櫛はいとも簡単にすり抜けていった。
気のせいか、櫛を通した部分だけ髪に艶ができていた。

私は、言葉が出てこなかった。
あまりにも感動していた。
それは、素晴らしい企業努力の櫛というのもそうだけど、もっと別のところにあった。

「それ、いま流行りのやつ。あんたにどうしてもあげたくて。」

ずっと燻り続けて動かなかった心が、じんわりと温まっていく感覚がした。
何が嬉しいとか楽しいとかどうしたいとかどうなりたいとか、もうそう言うのが一切わからなくなっていたのに、私は気がついたら涙が出ていた。

その涙は、鬱になるまで散々流してきたものとは別の、ずっと濾過された涙だった。

私は何が嬉しかったのだろう。
わざわざ遠い土地に来てくれた友人か。
わざわざ来てくれたのに渡してくれたプレゼントか。
プレゼントの櫛が高性能だったからか?
いや、そんなんじゃなく、
こんな見窄らしい髪の毛にまで見捨てなかったこの櫛と、その友人に感動したんだろうか。
よく、わからなかった。

本当は、ほんの数分前まで全てを疑っていたのだ。
どうせレールから外れた私を馬鹿にしているのだ、
どうせ汚いと下に見ているのだと、友人を疑っていた。
どす黒い感情に塗れた劣等感を彼女は気づいていたのだろうか。
ひっかかりもしなかったこの櫛のように、彼女の素直な言葉が私の胸を通り抜けた。

櫛を抱えてなく私を、大袈裟だとゲラゲラ笑っている。

たった今流れたこの濾過された涙が、私たちを大学の頃へ戻してくれた。一粒一粒流れ落ちる涙と引き換えに、心と脳に血が通っていくのを、私はじんわりと感じていた。




1/11/2025, 6:39:38 AM

未来への鍵

保存

12/26/2024, 3:57:04 PM

変わらないものはない

変わらないものは、ない。
それを喜びと捉えていた時期があった。
私も、友も、親も、変わってゆく。
故郷も、母校も、変わってゆく。
昔と同じと言うことは何もない。だからこそ、自由で選択肢がありとあらゆる方向にあると思っていた。
それが喜びだったから、私は他人から自分をカテゴライズされることに異常な怒りを覚えた。

だけど、今となっては。

変わってゆくものはあるけれど、
変わらないものもある。
自分の根幹は、子供の頃からさほど変わらない。変わっていると錯覚しているのは、周りが変わるにつれてそれに迎合しようとしているからだ。
どうしようもない、情けない自分の弱みは、
適応する技術が増す中で変わらずそこにい続けている。
図々しく居座り続けている。

他者交流が増えるたびに、私たちは自分が変化することを求められる。変化して、変化して、自分が何が好きで、何が嫌いで、何が嬉しくて、何が悲しいかわからなくなったところで、ひとつ、変わらないものがある。
ずっと変わらずに存在する弱い私は、あの頃の思い出したくない記憶と共に、自分とは何か、私を証明する。ときに、私は自分の弱さに助けられる。

12/21/2024, 6:31:49 PM

大空

都会から田舎にきて、いちばん思うことは空が広いことだと言っていた人がいた。
正直、そんなんどうでもいいくらい気温差の方が気になるので流して聞いていた。だが、私は逆に都会に来た方が、空が狭いことを気にするかもしれない。
ビルもなく恥ずかしくも丸見えな大空は、偉大だ。だが、ビルの隙間から見える、決して人工物でない大空もまた、その見える範囲は狭いのに、その無数に広がる果てしない大きさを感じさせる。こんなものじゃ存在感は消させないぞと、主張している。

12/19/2024, 4:33:42 PM

寂しさ

都会の寂寞の中で忘れてきたもの。
自分。
金と、肩書と、美貌と、人望を追い求めて、
果たして自分は何がしたいのか、どうなりたかったのか、わからなくなった。
みんなが欲しいものが私も欲しいと信じ込んで、その実手に入れたものは、骨一本折れればいくらでも代わりがいるような自分。
何にも自分は喜んでおらず、得た金でまた、自己投資という名の他人の依存を満たすために身を粉にする。くだらぬ身体の毛1本で、自己嫌悪する。この毛がなくなれば、肌がワントーン上がれば、首の角度があとひとつ変われば、私は幸せになれるのだろうか。
きっと、私が正気に戻ってしまったら、自分に耐えられないだろう。
心の弱さででた悪口や、劣等感が刺激して行った最低な行動。「余裕がなかった」という、それ以上でもそれ以下でもない事実から、自分の情けない一面を見つける。
宗教も道徳も全部嘘だ、善良、真面目、誠実なんて紙屑と同じだと主張してしまえば、
本当に心が枯渇しているとき、誰も私を助けてはくれないように感じた。
あの、昔話も童話さえも、悪事をおこなったものは罰があたっている。あの悪人が、救われるためにはどう生きたらいいのか。
「やったことが己に帰る」ということは、行い自体が魔法のように戻ってくるということではなく、
そのようなことをした罪深い自分自身が誰からも相手にされず、そのような人間を救う機会が世にないことが、「己に帰ってくる」のだろう。
私は時折、そのような恐怖心に襲われることがある。
寂しさの中で生きていくときに、出会ってしまう自分も紛れもない自分。誰からも好かれない自分を作り出しているのは紛れもない「私」なのだ。
ホルモンバランスの乱れが、病気か、それとも私の本心なのか。1本減らしてもまだ明るい街灯の下で、私はあの頃の自分に土下座している。

________________________________________________

関係あるようで関係ないような、以下実話の最近あったことです。

とある県に旅行に行きました。
美術館まで行くバスがどれか確認していたとき、すでに並んであった列にあるご夫婦が譲ってくれました。
ご婦人の方が、「あなたが先にいたのだから、あなたが先に並びなさい」と腕を引っ張ってくれ譲ってくれました。その後、バスが到着して、並んであった列とは関係なく乗車することになったのですが、その時ですら、そのご婦人は私の腕を引っ張って、先に座るように促してくれました。
私は、お礼を言って、前方の1人席へ少し小走りに座りました。ご夫婦が後ろの2人席に座った方がよいと思ったからです。
バスに揺られた道中わたしは、涙が出てきました。
席や、並んだ場所を譲っていただく、という優しさがその時は身に沁みました。私は、プライベートも仕事も全てがうまくいかず、イライラして、最低な自分自身に自己嫌悪に過ごす中で、そういった優しさを失っていました。日常で赤の他人に親切にすることのいかに難しいことか、そして、その優しさに心の底から感謝しました。私はいかに、人に対しての優しさをケチっていたのだろうと思いました。
私は、腕一つ引っ張られ、譲ってくれたその一言だけで、特別に心の底から嬉しく、幸せな気持ちにさあせてもらいました。私は、この方が、一言くれた気遣いのために、その方が譲って良かったと思っていただける行いをしたい、私もこのかたのようにそういった優しさを持ちたいと思いました。
先日、お礼として名前も知らぬそのご婦人に向けて、旅行先の新聞会社に投稿したところ、それが載りました。
私は本当に余裕がない時、最低な自分自身でした。でも、あの日席を譲っていただいた時に、人の優しさを感じて変わろうと思ったんです。その人は、私の内面なんて一切知らないけれど。
それが新聞の先のその方にお礼が届くと良いなと思います。そして、どこかの、寂しさでいっぱいで自己嫌悪でいっぱいで、最低な自分自身を抱えてる人に、私も些細な親切を届けられる人になりたいと心から思いました。
あの日バスに乗って込み上げてきた、溶かしてくれるような温かな気持ちは忘れません。

Next