酸素
「あらぁ、この部屋、酸素がなぁい」
背後から聞こえたすこし甲高い女の声に、私は苛立ちを覚えた。私はこいつが嫌いだ。本来であれば、こんな嫌いな奴を家に上がらせるつもりは微塵もなかった。
「はぁ?」
意味わかんないこと言わず、黙ってろよ、と内心で毒を吐きつつ、私は自分の部屋に探し物を続けている。
「いき苦しくなぁい?」
私はファイリングしていた紙を、咄嗟に数センチ破いてしまった。「あ、やらかした」という感情よりも、意味不明な発言を繰り返す女の締まりのない声への苛立ちが体の筋肉にまで伝わろうとしていることに少し焦りを感じている。
「ねえ、あのさ」
私は少し低めの声で呼びかけて、振り返った。「ん?」という、これまた鳴き声のような音を発しながら、この女____こと、眞鍋は私の顔を見ていた。
「なぁに、雪ちゃん、こわい」
「雪ちゃん」とは、私のことである。富田雪子。大学で知り合って、そんなに仲良くないはずなのに、眞鍋ゆかりは私の線引きを簡単に超えて、こちらのリズムを崩してくる。
「あんたのその、うざったい話し方どうにかしてよ。それとさ、酸素ないとか、訳わかんないこと言わないで。腹立つから」
それ、天然キャラ?と最後に吐き捨てて、私は複数のファイルを眞鍋の前にあるテーブルに置いた。
「だって……酸素、ないんだもん」
「ねぇ、ほんとにだるい。人ん家来といてわけわからないこと話さないでよ。ゼミの研究発表一緒じゃなきゃあんたなんて家呼ばないんだから」
眞鍋は、私の冷たい言葉は然程気にも留めない顔で、部屋に満遍なく視点を投げていた。
「なんか、よそ行きの部屋、って感じ。生活感がなくて、雪ちゃんそのものだね」
私はイライラしている。眞鍋に苛立ちを覚えている、というよりも、私に怒りという感情を露呈させる眞鍋に対して怒りを感じている。
「どういう意味?」
複数のレジュメを整理しながら、私は眞鍋に聞いた。
「雪ちゃんの、SNS見たまんま、みたいな部屋」
「当たり前でしょ、この部屋載せてんだから」
私は小馬鹿にされたような気分になった。好きにさせてよ、部屋くらい。この部屋だって、色々見て私が集めてきた結果のもんなのよ。
「え〜、じゃあ、本物の雪ちゃん、どこ?」
「は?」
私は眞鍋と目も合わせない。睨みそうになるからだ。
心を無にして、複数の資料にホチキスを止める。
眞鍋は、資料にマーカーを引いたり、誤字脱字を確認しているみたいだった。
「ねぇ、ほんとにイラつくよ、あんたとの会話」
「雪ちゃん、どこで酸素吸ってるの?」
いい加減にしてよ、と、顔を上げた時、眞鍋はいつになく真剣な顔でこちらを見ていた。
「………なに?」
「雪ちゃんって………カップラーメン、ベッドの上で食べたりしないの?」
すこし真剣に捉えた自分に落ち込んだ。私何を期待していたんだ、この女に。
「しないよ」
しねーよ、ばーか。という喉まで出ていた音を堪えた。さっさと作業に集中して、一刻も早くこの空間を終わらせるべきだと思った。
「へぇ!しないんだぁ。私、するよ」
「あっそ、あたし、不潔なの嫌い」
5/14/2025, 4:53:12 PM