hikari

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お題関係なし 創作小説

私はカナリヤ

問題というのは複雑に絡み合っていてそれをひとつひとつ解いていくのは難しい。誰に相談しようとしたって、それを言葉にして理解してもらおうという精神性と姿勢と社交性が必要なのだ。また、それらは理解力という大きな土台のもとに成り立っている。そのように能動的に問題に立ち向かって生きようとすることを「自立」と呼ぶのを、私は最近知った。

「佐竹さん、これ前にも言ったよね?」
「すみません…」

複合機の新しい使い方のマニュアルがどうしても覚えられない。複合機に限った話ではないが、特段覚えられないのだ。AI導入に際して、複合機もスキャンして送って、コピーして、ああ、あれ、どこを、どうすればいいんだっけ、なんて考えていたらあっという間に時間が過ぎてしまう。

単に「覚えが悪い」と言っても、これにも複雑な経緯があるのだ。そう、まずあれは10年前…、物心つく時から私は…なんて、自分史を語りたくなる感情をグッと抑える。そんなことを話したら、終わる。間違いなく社会的に終わる。それを口に出さぬことを、「大人」といい、「社会人マナー」という。そんなことも、私が知ったのは、最近だった。

目の前の上司は、はぁ、と深いため息をついた。
メモ、した方がいいですよ、と呆れた口調で話したあと自分の席に戻って行った。私は、私と同じように使い勝手の悪そうな複合機の『ガガガ』という鈍臭い音のことばかり気にしていた。怒られた時はいつも焦り過ぎてすぐに他のことを考えてしまう。なのに、しばらく経って1人になると、克明にそのことを思い出してひとり反省会を催すのだ。神様、私の脳は一体どうなっているのですか?

***

19時17分発の電車に乗って、20時20分には家に帰宅した。通勤時間の長さは不幸感と比例するというが、まったく同感だ。これで会社に行けていることがまず自分を褒め称える第一要素である。

どっと疲れた体のまま床に座る。
汗臭いスーツを脱ぎ捨てて、ストッキングを脱ぐ。ピリッという痛さを感じて足を見ると、小指の爪が削れてほぼなくなっていた。かかとには小さな水ぶくれができていて、靴を変えることよりも私の足が適応することを祈った。もうかれこれ、半年は履いてる靴だけど。

トイレでも行こう、と立ち上がった時。
右側の子宮に鈍痛があった。あれ、そういえば、と思い、生理予定日を管理するアプリを開いた。

「3ヶ月……きてない」

生理不順は元々よくある方だった。普段はいつかくるっしょ、なんて軽く考えていたが、最近身体的な変化を感じるのである。体重は増えたし、体毛も濃くなった。なんとなく、自分から女性ホルモンを感じない。いや、本当は昔からそうだったが、顕著に気になるようになってきたのだ。

明日、病院でも行ってみよう。

そう思いながら洗面所で自分の顔をチェックしたとき、スマホがブーブーとなった。

 
「もしもし」
『あーもしもし、香苗?』
「なに?急に」

電話の相手は遠方に住む母からだった。

『なーんにも。元気にしてるかなって。仕事なれた?』
「あー」

ぼちぼち。と、返した。

7/31/2025, 3:53:09 PM