hikari

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眠りにつく前に


夜9時という健全すぎる時間に寝床に着き、アダルトビデオを鑑賞しながら咽び泣く女が日本に何人いるだろうか。調査したいところだが世間体を気にすると安易に行動に移せないが、少なくともこの中野区では1人だけだろう。狭い6畳のベッドの上で、また、この煌びやかな都会で、私は何をしているんだ。

きっとこの光景を子供が見れば、大人の慣れ果てに膝から崩れ落ちるだろう。大人が見ても結構ドン引きである。いや、高校時代の私が見たら顔を引っ叩いている。
この涙はいったい何なのかというと、一種の自傷行為のようなものである。

タイムリーに浮気された私は、AVだろうが、バラエティだろうが、自分の心が一ミリでも動かされるものには全てに涙を流せる状態だった。多分、今なら蚊に刺されただけで1日は泣ける。指先で、ツン、と背中を押されでもすれば、1週間は泣き喚き家から出ない。あまりにもセンチメンタルな状態で自分でも手に負えないのである。はっきり言って、仕事いってるだけでも偉い。

当然、結婚する流れだった。4年付き合って、2年同棲した。結納の日も決めて、結婚式はもう少ししてからだね、なんて話もしていた。勿論ゼクシィも買った。ゼクシィ、買ったら綺麗な手提げ袋くれたの、びっくりだね、なんて話していた思い出もまだ色濃く脳に記憶されている。そんなペラリとピンク色に輝く封筒にキャッキャと喜んでいた馬鹿な私と並行して、奴は器用にも他の女を抱いていた。そしておまけに、子供まで作っていた。
それから、今日に至るまでの過程は、いろんな話し合いというか、私の一方的な怒りの話し合いばかりが続いた。もはや、相手の子供を思うと、相手を許す以外の選択肢を持たされていない私は、今から仏教に入信するくらいの悟りの心を求められていた。いや、もしこれを乗り越えられたら、私が令和の釈迦にでもなれるのではないかと烏滸がましくも願ってしまうほどの大きな壁に思えた。
浮気というもののダメージは、された側が大真面目であるほど顕著に現れると思う。今までさほどダメージを受けてこなかった前頭葉と海馬は、今回の一件で大きく縮んだのではないだろうか。例えMRIで確認されなくても、縮んだに違いない。だってこんなにも頭の働きが悪い。アダルトビデオみて号泣してるんだもの。

じゃあ、昼ドラでも見ればええやないか、という意見もその通りであるが、今は感情移入しすぎて自分でも何をしでかすかわからないのである。もしかしたら昼ドラと同じような展開をし、火曜サスペンスのようにバーンと荒れ狂う海をバックに刑事さんに謝罪しながら泣くかもしれない。それなら、アダルトビデオ見ながら泣いてる方がマシなのである。

元彼が子を身ごもった浮気相手と謝罪しに来た時、いろんな感情があったが、浮気相手がべらぼうに美人だった。まずそのインパクトも激しく、わたしは時計の読み方を忘れるほどだった。あれ、長い針が…どっちだったっけ…という、心と脳のボケにツッコミもおらず時は流れた。そして、わたしの心が言うのである、なぁんだ、やっぱり美人がいいのね。男受け、か、と。

ほな、私だって男受けなるもの極めてやったろうやないの、と、1人になってPCを開き、あれや、これやと検索をしていた。色々馬鹿馬鹿しくなって履歴を開いたところ見覚えのない履歴があった。このPCは元彼と共有していたものだった。その見覚えのない履歴こそが、冒頭のアダルトビデオである。ワンクリックで開き、動画を見た。美しい綺麗な女性が写っていた。
私の感情はというと、履歴消しとけやアホ、というそんな一般的なものではなく、ただ目の前に映る光景が、自分が見ていなかった浮気現場そのもののように映っていた。自分とはかけ離れた美しい身体を見て、私は気づいたら、吐いてしまうほど泣いていた。

そこからというもの、私は悲しくて耐えられないはずなのに、この映像をみては心を傷つけている。そろそろこのいかれたナイトルーティンも辞めなくてはならない。自分では後戻りできないところまで心が枯れ果ててしまう。というか、この業界の作成者も、失恋コンテンツは意図してないと思う。ま、それはどうでもいいか。

いつの日かみた美術館の絵画で、ロマン主義や理想主義と対象に、現実主義の絵画が展示されていた。美しい白人女性の裸体と対照的に、リアリズムでは脂肪のついたふくよかな女性に変わっていた。その時感じた差くらい、今目の前で流れている女性と私はちがう。彼が望んでいた女性と私も、私が気がつかなかっただけでこんなに違っていたのか。

その気づきが、私にとってはまるで胸に突き刺さる現実の刃のようだった。あの美術館で見たリアリズムの絵画は、理想とはかけ離れた「ありのまま」を描いていたけれど、あの時はその意味がよくわからなかった。けれど今、目の前の画面に映る作られた美しさと自分との隔たりを感じた瞬間、私が「リアル」だったからこそ彼に選ばれなかったのかもしれない、という悲しい答えにたどり着いた気がした。

ふと、画面を閉じ、暗くなったPCの画面に映る自分を見つめる。そこには目が赤く腫れ、疲れ果てた顔があった。きっと高校時代の私が見たら、もう一度叱られるだろう。「何やってんの?」って。愛されるために必死だった私が、今はひたすら自己否定を続けている。

だけど、もしリアリズムが「ありのままの美しさ」を描くためのものであるならば、私もいつか自分の「リアル」を好きになれる日は来るのだろうか。あの美術館の絵のように、自分を誇れるようになれる日は来るのだろうか。

その夜、私は決めた。今まで続けていた、自己破壊的なナイトルーティンをやめることにした。もう、アダルトビデオで自分を傷つけるのは終わりにしよう。ありのままの自分を否定するために画面を開くのではなく、本当に自分のためになる時間を過ごすべきだと、やっと心の奥で理解できた気がした。

そして、もう一度自分を見つめ直すために、いつかあの美術館に行ってみようと思った。今度は少し違う目であのリアリズムの絵を見られるかもしれないから。

24.11.03 創作-眠りにつく前に

11/2/2024, 2:14:51 PM