君に初めて会ったのは、君がとっても小さくて、
おとうさんやおかあさんに大事に抱えられて、
どこかからやってきた時だったね。
最初はよく分からなかったけど、
おとうさんから、おまえはお兄ちゃんになったんだぞって言われて、
おかあさんから、この子のこと守ってあげてねって言われて、
お兄ちゃんってなんかカッコいいから頑張ろうって思ったんだ!
君はよく僕の耳をつかんで遊んでたね。
目がキラキラしてたから、悪い気はしなかったよ。
君が歩けるようになってからは、君ともさんぽをするようになったね。
君がコケてしまわないか、おとうさんと一緒にヒヤヒヤしてたよ。
君が学校に行くようになってから、
ずっと一緒にいる事はできなくなってしまったけど、
君が何かにぶつかって、悩んでしまったり、泣いてしまったときは
すぐ飛んでいけるように耳を澄ませていたよ。
君はドンドン大きくなって僕を抱っこできるようになったね。
それでも、僕は君のお兄ちゃんだからね!
ただ、最近。
耳が聞こえにくい気がするし、すぐ疲れちゃうんだ。
君も僕を見てると悲しい顔をしてるし。
僕は、君に直接話せないけど、
でも、大丈夫だよ!
僕は君のお兄ちゃんなんだから、
身体が動かなくなっても、
耳が聞こえなくても、
空に昇っても、
ずっと君と一緒にいるよ
だから、泣かないで。
はじめまして!
私はあなたの身の回りのサポートをするお手伝いのようなものです!
なにか不便があったら気軽に言ってください。
私は、母へ笑顔でそう言う。
母は聡明な人だった。
物心ついた頃には、父が居なかった私に不自由をさせないために
1日中ずっと働いて、いつでも笑顔を絶やさない人だった。
私が働きはじめても、生きがいだと言って仕事をしていたが、
母の職場から連絡があった。
最近物忘れが激しいように感じると。
母も実感はしていて対策をしているが、改善しているようには思えない。
私からも説得をして、一度検診を受けてみてほしいと。
何もなければそれでいい。試しに行ってみよう。
そう言って、病院に行った。
先生から、年齢によるものである可能性よりも、疾患によるものである可能性が高いと言われた。
簡単な検診だったので、今後詳しく調べないといけないと。
結論から言えば、年齢による物忘れではなかったのだ。
それからは、進行をできるだけ遅らせることしかできない治療をすることになり、母の希望で自宅療養を始めた。
実家に戻って、リモートでもできる職種に転職して、母との会話をたくさん増やすようにした。
症状として、私のことを忘れてしまうことは知っていた。でも、実感はあまり湧いていなかった。
だから、母から誰?と言われたとき、顔が強張って何も言えなかった。
段々と、私を思い出せなくなってしまった母に、説明をして、思い出させる気力がなくなってしまった。
はじめましてって言えば、少しは楽になれるかなって。
昨日も、今日も、明日も、その先も、これからも母の側にいたいから。
「さっちゃん、明日の朝には引っ越すんだって。」
夕飯を食べながら、母さんは世間話として私に言った。
私は、注いでいた麦茶をコップから溢れさせながら
「知らない。」
と答えた。
パジャマは濡れてしまったし、夕飯も食べかけだったけれど、
つめたさも味も何も感じられなかった。
さっちゃんは、生まれた頃からずっと一緒のお隣さんで、
幼稚園も、小学校もおんなじで、中学校もきっと一緒だと思ってた。
毎日一緒に登下校して、遊びに行ってたのに、
そんな素振りいっかいも見せてくれなかった。
今からピンポンする?おばさんやおじさんにメイワクか。
なんで教えてくれなかったの?嫌いになっちゃったのかな。
いろんな考えが頭の中をぐるぐる回って、
宿題もする気が起きないや。
ぼーっとなんとなく伸びをしていると、
視界の端で、窓の向こうがチカチカと光った。
「なっちゃん、お話しよ。」
窓を開けると、同じように窓を開けてニコニコしてるさっちゃんがいた。
手には懐中電灯をもっている。
お互い何か話したくなったときは、懐中電灯で知らせようって決めてたのだ。
「なっちゃん?」
中々話さない私をさっちゃんは不思議そうに見ている。
「 さっちゃん、引っ越すの?」
「うん」
「なんで、秘密にしてたの」
「だって、」
そう言って、さっちゃんは泣きそうな顔をする。私だって泣きたいのに
「私のこと嫌いになっ」
「違うよ!違うの。」
「だって、ものすごく遠いところに引っ越すんだもん。」
「いつもみたいに会えなくなるから。」
さっちゃんは俯いて、黙ってしまった。
「私、手紙書くよ。」
「いつもみたいに会えなくても、絶対会いに行くから。」
「だから、さっちゃん。大丈夫だよ。」
「明日見送るから。おやすみ。」
まだ薄暗くて肌寒い朝、さっちゃんはさっちゃんの両親と一緒に
家の前に出ていた。
私の両親はさっちゃんの両親と何か話しをしていた。
私は、何も言わないさっちゃんにレターセットと、メモを渡す。
「これで手紙書いて。知ってるかもしれないけど、うちの住所。」
「昨日も言ったけど、どんなに遠くても、会いに行くから。」
「夏休みとか、絶対に!」
一息にまくし立てた私の顔とレターセットを交互に見たさっちゃんは
じわじわと涙を浮かべながら、
「わかった。」
「またね!なっちゃん。」
と、言ってくれた。
感動ではちっとも涙は出なくて。
悔しさや悲しさでは抑えたくても溢れる涙。
私は、人の気持ちがわからないのでしょうか?
そんなこと、ないんじゃない。
だって国語の成績良いじゃない。
作者や主人公たちの気持ちを汲み取れてるじゃない。
ただ、私を俯瞰で見ている私が、感情に蓋をしてるんだよ。
それが嫌?
でも、ずっとそうやって生きてきたんだから、これからどうこう
できるものでもなくない?
涙は弱さみたいなもんなんだから、見せないに越したことないよ。
俯瞰してる私はいつでも私をそう諭して蓋をする。
感情を無闇に詳らかにするのは、人のすることじゃないって。
人間は理性的じゃなきゃって。
私自身が頭のどこか片隅で、考えているから。
「だれのおはか?」
「お兄ちゃんのお墓だよ。」
大きな供花を抱えたむすめが不思議そうに墓石をのぞき込む。
今日は、話すこともまともに会うことすらもできなかった息子の七回忌だ。
私の身体は、中々恵まれていなくて、何年も治療をして、
息子がやっと来てくれて。
小さい頃から子供が好きで、結婚したら絶対に赤ちゃんが欲しいって
思っていて。
順調にすくすく育ってくれて、もうすぐ会えるって。
名前も服もおもちゃも、たくさん準備して。
予定日の前日。少し早く陣痛が始まって、
私は産声も聞くことなく、呆然とじんわりと温かい息子を抱いた。
実をいうと、今回初めてお墓参りに来ることができた。
この時期になると、どうしてもあの時のことを思い出して。
辛くなってしまうから。
視界がぼやけてしまう前に、掃除をして、花と線香を供える。
むすめは私のそばで何も言わずじっとお墓を見ている。
むすめは、実の娘ではない。
私の身体は、息子の一件から子どもを授かることができなくなってしまって。
むすめは、実母の年齢などが理由で私たち夫婦の子どもになった。
血が繋がっていないからって、どうということはないのだけれど、
この子が、この事実を知るまで、望むなら知ってからも、
家族として過ごせるように。
この子の成長を見逃さないように。
まだ、ふくふくとした手をやさしく包み、
「夕飯どうする?」
あと何回、この子に聞けるだろうか。