何となく手持ち無沙汰で
机をペンでテンポよく叩く
昔かじった程度の信号を
誰に送るでもなく
繰り返す
ふと手を止めて
時計を見る
まだ15分しか経っていなかった
資料を流し読みしながら
また繰り返す
繰り返された信号を
掻き消すように腕をどつかれる
横を見れば
友達の不満そうな顔と
書き殴られた切れはし
『文句言うな!うるさい』
途端に恥ずかしくなって
レジュメに目を通す
僕のこのクセは
この日を境になくなった
小学生最後の春休み
私の父と母はなくなった
新しい生活に向けて準備をすませて
数日後に中学生になる朝
私とお兄ちゃんと父を置いて
母はひとりの女になった
テーブルに置かれた1枚の紙と
大皿いっぱいのお握り
クタクタに疲れ帰ってきた父は
今まで見たことないくらい狼狽えていて
その日から少しずつ父は父ではなくなっていった
男は仕事を辞め
ひたすら酒浸り
機嫌が優れないと暴れるようになった
お兄ちゃんは学校を辞め
朝から晩まで
ひたすら仕事づくめで
面と向かって会話をする機会が減ってしまった
私は中学生になって
助けになりたかったけれど
悲しそうなお兄ちゃんの顔を見て
今はひたすら勉強にのめり込んでいる
家に帰ると
隅に縮こまって
勉強したり本を読んだりする
大抵の場合
男は酔いつぶれて寝ているんだが
またに起きていて
支離滅裂なことを怒鳴り散らしてくる
あの日は起きていた
静かにしていれば何もしてこないと思っていたのに
強い衝撃に襲われた
頭がぼーっとする
部屋の中央に投げ飛ばされた
大きな音を立てて瓶や缶がくずれる
うまく体が動かせなくて
男が馬乗りになって
こぶしを振り上げた
大きな声を出すべきなのに
助けてと言いたいのに
喉はひきつって
呼吸が浅くなる
目の前が真っ白になった
気がつくと私は病院のベッドで寝ていた
そばにお兄ちゃんがいて
私が声を掛けると
普段泣かないお兄ちゃんが
大きな声で泣いていた
抱きしめられて
呆然としていて
自分の手に目が留まる
包帯が巻かれていた
ゆっくり動かすとじんわり痛い
男は意識がもどらないらしい
誰かに必要以上に殴られたようだ
私?
決して集中していない訳ではないけれど、
夏バテ気味で、ぼーっとしていた午後
先生に名前を呼ばれて、机をみれば
開かれていない教科書とまっさらなノート
慌てて黒板を見て、教科書を適当に開く
見当違いのページを開いてしまって
焦って乱暴にめくる、めくる
手が覚束なくて、うまく動かない
ふと、肩を突かれ
となりの机から、開かれた教科書が置かれる
質問された箇所を読む
先生は訝しげな顔をしていたけれど、
授業に戻った
となりをちらりと見たけれど、
あの娘は知らん顔で授業を受けていた
取り敢えず、正しいページを開いて
となりに返却する
終わりのチャイムが鳴って、
改めてお礼を言い、となりを向く
ぼくの言葉に対して、あの娘はニコリと笑って
じゃあ、放課後アイス奢ってね
と言って席を立つ
全身の血が沸騰したように熱くなって
ぼくは机に突っ伏した
いつからだろう
外に出ることがひどく恐ろしいと感じるようになったのは
何もせず、
自堕落に過ごす自分にこんなにも嫌気が差しているのに
起きた瞬間に、もう日は高く昇っていて
明日は、明日こそはと意気込みはできるのに
もう良いかなって
そう思う自分を、
最低で価値ない奴って
思う自分が貶して、
首を絞める
何も酷い目にあっていないのに
なんで、自分はこんなにも情けないんだろう
肌にカッターを滑らせても、
中で燻っているワダカマリは流れ出てくれないの
ただ痛いだけ
こんなことしたって、出れるようになるわけじゃない
分かってる、分かってる
分かってるの
だから、変に気を使わないで
前みたいに接してほしいな
グズグズになった私を
受け入れて
雷怖い?
大丈夫だよ。だってほら、光ってからすぐに音は鳴ってないでしょ?
実際に落ちたのはここからずっと遠くなんだよ。
だから、大丈夫。
何かあっても、私が必ず守るから。
毛布に包まって、縮こまった私の背中をさすって、
抱きしめてくれた。お姉ちゃん。
父さんと母さんは、酷い天気でも、忙しくてずっと家を開けていて。
ふたりっきりで過ごした、小さい頃の大切な思い出。
私とお姉ちゃんが過ごせた最後の思い出。
あの時と同じ酷い天気で、窓は軋んで、
激しい光に瞬間照らされる。
縮こまりながら、心のなかで数を数える。
お姉ちゃん。怖いよ。
助けにきて。
お姉ちゃんは来ない。来れるわけがない。
だって、もう会えないから。
自然と溢れてしまう涙をそのままに、
私は目を閉じ、自身を抱きしめる。
大丈夫。大丈夫だよ。
口に出した声は、お姉ちゃんとそっくりだった。