『君と出逢って』 2024.5.5.Sun
※BL二次創作 『A3!』 卯木千景×茅ヶ崎至
君と出逢って変わったこと。
他人との関わり方。
身内の甘やかし方。
夜、眠りに落ちるまでの時間。
汚い部屋への耐性。
……これは変わりたくなかった。
君と出逢って変わらなかったこと。
辛いものが好き。
動物が苦手。
短気。
負けず嫌い。
……あんまり認めたくはないけど。
君と出逢って知ったこと。
ゲームの面白さ。
少しだけね。
演劇の奥深さ。
これは『皆と出逢って』、かな。
一人の部屋の薄ら寒さ。
前は一人の方が気楽だったんだけどな。
親愛以上の感情。
ノーロマンも卒業できそう?
君と出逢って、ようやく俺は〝卯木千景〟になれたんだ。
『善悪』 2024.4.26.Fri
※BL二次創作 『A3!』 卯木千景×茅ヶ崎至
善悪。善人と悪人。善い者と悪い者。どちらかに分類するのならば、俺は間違いなく後者になることだろう。倫理的にも、道義的にも、もちろん法律上でも、そう。みんなに言えないことをやってきたし、それが生き延びる術だった。オーガストとディセンバーを失って、俺がカンパニーで「春組の卯木千景」になるまで、俺は間違いなく組織の構成員、エイプリルだった。いまでもそうではあるんだけどね。本当は、こんな俺が、こんな穏やかなところで、こんな風に過ごす資格なんかないってわかってる。それでも、みんな言うのだ。俺は優しいとか、俺は甘いとか……そんなわけないのにな。「新しい家族」なんて、一生作ることはないと思ってた。あいつら以外の家族なんていらなかった。それなのに。
「どうしてこうなっちゃったんだろうな」
後悔、しているわけではない。密を、新しい家族を、組織から守ると決めた日から、覚悟を決めている。それでも、巻き込んでしまったことに、いつか危険に晒してしまうかもしれない可能性に、罪悪感は拭えなかった。俺があいつらを大事に思わなければ、カンパニーに入らなければ、ディセンバーを信じてやれれば、オーガストが死ななければ、俺があの日の任務についていけたら……。詮無いことと分かっていても、思考は止められない。ああ、今日は調子が悪いな。ふー、と長く細く息を吐く。チェアの背もたれに体重をかけ、上を向く。眼鏡を外して眉間を揉めば、少しは思考も晴れるだろうか。そろそろ同室の後輩が帰ってくる頃だろう。この空気を纏っているのはあまり良くない。あいつはなんだかんだ人間の機微に聡いのだ。笑顔で「おかえり」を言うために、「春組の卯木千景」でいるために、一人ぼっちのエイプリルは奥底に仕舞う。どうせあいつにはバレてしまうだろうが、ポーズくらいは取らないと格好もつかない。可愛げのない後輩は、なんだかんだと軽口を叩きながらも、きっと俺の心配をするのだろう。たまの調子の悪い日くらい、素直に甘えてみるのもいいだろうか。茅ヶ崎の反応を想像して、ふ、と笑みをこぼす。ここに居ないのに自然と笑顔になる。同室になったばかりの頃には想像もつかないことだった。なんだか無性に会いたくなって、早く帰ってこないかと、柄にもなく思いを馳せたりする。帰ってきたら、おかえりのキスでもしてみようか。俺はようやくチェアから立ち上がり、一〇三号室の電気をつけた。数刻前までの深刻さを振り払う。調子のいいことだ、やはり俺は悪人なのだろう。
――卯木千景の独白。
『欲望』 2024.3.1.Fri
※BL二次創作 『A3!』 卯木千景×茅ヶ崎至
「眠い」
「寝たらいいだろう」
「腹減りました」
「何か食べてから寝たらいい」
「…………えっちしたい」
「……三大欲求の権化か」
繁忙期とランイベが見事に重なった月末。全ての山を乗り越えて、なんとか仕事もランキングも予定した通り納めることが出来た。
その反動が今、どっと来ている。
「ちかげさん……」
「…………はぁ、甘えるときばっかり名前呼ぶの、やめてくれないかな」
「ぴえん」
通常運転の先輩。そりゃそうだ、紛うことなき自業自得。俺もダメ元でダル絡みしてるだけだから、期待などしていない。
していないとも。
「茅ヶ崎」
「うー、はい、すみませんでした寝ます寝ます大人しく寝ます」
「まだ何も言ってない」
ソファーに寝っ転がって唸っていれば、先輩が立ち上がる気配がする。チェアからこちらに向かって歩いてきているようだ。
ん? と真上を見上げれば、俺の顔を見下ろす先輩の顔。表情は逆光でよく見えない。
ぼーっと眺めていれば、なぜか顔が近付いてくる。寝不足かつ栄養不足の俺の脳みそは、通常時の回転速度より遥かに遅い。
事象を認識する頃には既にその距離はゼロになっていた。
「んっ」
「…………」
キスされてる。
理解が追いついた瞬間、ぎゅっと目をつむる。ふ、と鼻で笑われた気がするが、いきなりのことで、こちらはそれどころではない。
は、と息を吸うために口を開ければ、すかさず舌が入り込んでくる。処理落ちしかけの脳みそに、ダイレクトに響く粘膜の接触。ぴちゃ、と水音がするたび、聴覚からも脳を犯されていくような気がして、きゅ、と千景さんの腕に縋り付く。
「ん、ぅ……っ」
「……は……、」
もぞもぞとみじろぎをするが、逃がさないとでも言うように軽く体重をかけられる。ひく、と喉を震わせ、逃げるように、応えるように、舌を擦り合わせる。
口の端から唾液がこぼれ落ちかけて、それすらもぺろりと舐め取られる。
どれほど口を塞がれていたのだろうか。くたり、を通り越してぐったり、の俺。キス一つで、とか言われるかもしれないけど、これは俺のせいではないだろう。
「キス一つですごい顔」
「は、言うと、思った」
息も絶え絶えに、潤んだ瞳で見上げても、先輩をよろこばせるだけだと、分かってはいる。分かっていても、睨みつけずにはいられない。ええ、ええ、どうせ生意気な後輩ですから。
「急になんなんですか」
「お前の欲望を満たしてあげようかと思って」
先輩の手が俺の身体を妖しくなぞる。首、胸元、腹、と降りていき、くるくるとへその上あたりを彷徨わせている。
「食欲、性欲、睡眠欲。どれから満たしたい?」
にんまりと悪戯っぽく笑っている。
楽しそうでなによりです。(白目)
俺はほんの数分前の自分の発言を恨めしく思いながら、今後の自分の惨状を想像する。しかし、先に絡んだのは自分である。自業自得というか、むしろ付き合ってくれる先輩に感謝すべきなのでは?
あらゆる憎まれ口を飲み込んで、羞恥心も放棄する。もともと脳みそバグってる日なのだ、素直になったっていいだろう。
俺は無言で先輩のシャツの裾を引いた。
『物憂げな空』 2024.2.25.Sun
※BL二次創作 『A3!』より 卯木千景×茅ヶ崎至
今日は珍しいこともあるものだ。
視界の端に捉えた同室の後輩を見て、そう思った。
今日は休日、しかもまだ陽も高い。普段の茅ヶ崎なら高確率で布団の中にいる時間だ。仮に起きていたとしても、部屋から出ずにゲームでもやっていることだろう。
そんな彼が、今日は既に着替えを済ませ、バルコニーでコーヒーを啜っているのだ。天変地異の前触れだろうか。
一度通り過ぎたときにはそう思った。
しばらくしても茅ヶ崎はまだそこにいるようで、じわじわと談話室で話題になる。
「至さん起きててオレすっげーびっくりしたー!」
「それそれ~! めっちゃ珍しくね?」
「明日雨でも降るんじゃねーの」
「あはは、起きてるだけでこの言われよう……」
「だけってこともねーっしょ。着替えまでしてたぞあの人」
「どの道だわ」
九門と一成、そして万里と綴が話している。散々な言われようだ。まあ、妥当な評価か。
「珍しく朝もすっと起きてたよ」
「明日雪でも降るんじゃねー?」
かか、と万里が笑う。一成と九門は茅ヶ崎の様子を見に行ったようだ。よほど気になるらしい。
「なにかあるんすかね」
「さあ、俺は特に聞いてないけど」
「まあ気まぐれとかじゃねーの。あの人たまにそういうことあるだろ」
「そうかな」
「そうかあ?」
「そうだろ」
さすが、死線を共に乗り越えてきただけのことはあるのか、万里がなにか確信めいたことを言う。
死線と言ってもゲームの話だが。
◆◆◆
閑話休題。
九門と一成は茅ヶ崎の盗撮を、『激写!イケメンリーマンの華麗なる休日!』などと題してグループLIMEに送っている。コーヒーを啜る姿や、読んでいる本のページをめくるシーンなど、色々なショットが送られてきた。なにがそんなに楽しいのか、談話室に戻ってきてからも大変な盛り上がりようだ。
――すっかりおもちゃだな。
俺は謎を解明するべく、渦中の人物の元へと向かった。
「随分集中してるな」
「……は、え? あ、先輩」
向かいに座っても気付かない。これは夏組二人が盗撮してても気付かないわけだ。熱心に何を見ているのかと、ちらりと手元に目線を向けるが、ブックカバーのせいでどんな本かは読み取れない。
「今日は随分早起きだったね」
「言うほど早くはなくなかったです?」
「茅ヶ崎比」
「当社比、みたいに俺を使わないでください」
茅ヶ崎は、俺に向いていた目線を手元に戻す。再び文字を追うために、瞳が小さく上下に動く。
「なんで部屋で読まないの? 普段はお前の城のソファーで寝転びながら読んでるだろ」
「そういう気分だっただけですよ」
なんともクールな返しだ。
普段なら『俺がだらしないみたいに言わないでください』とか、『ソファーじゃなくてチェアで読んでるときだってありますー』とか、冗談めかして憎まれ口を返してくるところだろう。
ふむ。何となく見えてきた。
「気分て、どんな?」
「そうですね……空が」
「空?」
「物憂げな空だったから、少し湿った風に当たるのもいいかと思ったんです」
何を言っているんだこいつは。
何となく、が、確信に変わっていく。
「茅ヶ崎」
「はい」
「今日は待ちに待ったラノベの新刊発売日。通販予約はばっちり午前指定。いち早く読み始めて今日の夕方にはネタバレ感想板を見に行こう」
「は」
今日の一連の流れを予想する。コーヒーを持ってきたの、カフェインを入れて、目を覚ました状態、頭のスッキリした状態で読みたい、とかかな。
「主人公はクール無口系の人物かな。モノローグが多い分言い回しがポエミーになるのが厨二心をくすぐるって感じ?」
「あ、えと」
「お前は本当に、すぐに影響されるな」
「あの」
「なに?」
「……、…………俺別にまだ『はいそうです』って、言ってないですけど」
すごく、ものすごく不本意そうに顔を歪めている。俺の口角はしっかりと上を向いていることだろう。
手に持った本で口元を隠しながら、じと、と俺の方を睨んでいる。全くもって怖くない。
俺は微笑みながら、相手の方へ手の平を向ける。
「なら、答え合わせをどうぞ」
「………………ぐぬぬ」
「ふ、それが答えだな」
「読心術使うのやめてくださいよ」
「使うまでもないだろ。経験と予測だよ」
「クッ、あたかも読心術使えるみたいに言わないでくださいとかいろいろ言いたいことあるけどそのセリフめっちゃ強キャラっぽくて悔しいけどかっこいい」
「はは、オタク早口」
証明終了。
この様子なら概ね合っているということだろう。万里のあの様子も、大方「またか」とでも思っていたに違いない。きっと、俺がカンパニーに来る前からずっと、新作ゲームのラスボスだの、漫画の新刊の主人公だの、新作アニメのヒロインだの、そういうのに影響されて何かしらやっていたんじゃないだろうか。
やっぱりあいつは謎解きのいい相棒だな。
「お前めちゃくちゃ盗撮されてたよ」
「盗撮!?」
「ちなみに今も」
「今も!?」
俺は潜んでいるつもりの一成と九門に向かってひらりと手を振ってやる。綺麗な笑顔のおまけ付き。小さな声で「うわっ、ちかちょん気付いてる!」「わー! もしかして最初から!?」なんて声が聞こえてきて微笑ましい。
「見事にパパラッチされてたね」
「パパラッチて」
「ほら」
先程送られてきたグループLIMEを見せてやる。あのあとチラホラと『明日は雨だな』『最悪』『珍しいですね!』『休日に着替えて外出るだけで雨ってw』なんて、思い思いの感想がついていた。
「あーーー……」
「ははは」
バツの悪そうな顔を笑う。
物憂げな空、なんて評されるほど、今日はどんよりと曇っていて、気分爽快、なんて感じではなかったけど。今日もカンパニーは平和だ、と思えば、それすらも悪くないような気がしてくるから不思議だ。
こちらのテーブルに合流した一成と九門に、この作品がいかに素晴らしいかを熱弁しだした茅ヶ崎を、俺は頬杖をつきながらゆるく見守ったのだった。
◆◆◆
その日の夜。
一成から『ちかちょん隙アリ☆』の一文と共に個人LIMEが送られてきた。そのあとには一枚の写真。
見れば、画角は斜めになってしまっているが、頬杖をついた俺の写真が画面に映し出されている。
(……気付かなかったな)
一成の撮影技術は一体どうなっているのだろうか。手にずっとスマホを握りしめていたのは気付いていたが、よくあの状態でこの写真が撮れたものだ。
そして、撮られていた、ということもそうなのだが、それ以上に、そこに写る自分の表情に驚く。
(これは……結構恥ずかしいな)
全体ではなく個人で送ってきたあたり、一成はやはり空気が読めるというか、人間をよく見ているというか……。
なんと返したものか、と考えるが、こんなものは悩んでも仕方がない。俺はチャット欄に文字を打つ。
『お見事。俺たちだけの秘密にしておいて』
なんとも優しげな眼差しをした自分の表情を見直す。ここにいるとなんだかいろいろと緩んでしまうようになったのはいつからだろうか。
だが、そんな自分も悪くはないかな、と思える。
それが今、とても嬉しかった。
『Love you』 2024.2.23.Fri
※BL二次創作『A3!』より 卯木千景×茅ヶ崎至
◆◆◆
それは、珍しく二人とも定時に上がれそうな日のことだった。
珍しく急ぎの案件がなく、珍しく忙しくもなく、本当に珍しく、何事もなく定時を迎えることができたのだった。
茅ヶ崎からのLIMEには、
『久しぶりに飲みに行きましょ。先輩の奢りで』
と、冗談めかして書いてあった。
やれやれ、なんて思いながら返事を打っていれば、隣のデスクの同僚に「卯木がそんな顔するなんて珍しいな。……さては、女か?」などとにやけた顔で声をかけられる始末だった。
つまり。
珍しく、本当に珍しく、柄にもなく、浮かれていた、のだと、思う。
……多分。
◇◇◇
「あー……の、……せん、ぱい?」
「うん?」
やばい、やばいやばいやばい。ナニコレ、どういう状況??? 悲報。茅ヶ崎至、二十五歳成人済み男性、過労の末ついに幻覚を見始めた模様。春組のみんな、カンパニーのみんな、今までありがとう、いたるくんもうダメかも。
オタク特有の早口が脳内を駆け回る。俺にはキャパオーバーです誰か助けて。
一体何が、これほどまでに俺を動揺させているのか。その原因は明白。目の前のこの人、普段はノーロマン極まりないはずの先輩の挙動である。いつもはザルかワクかと言うくらい、全然酔った姿を見せないくせに、(見せるとしても寮の談話室か一〇三号室の中でだけのくせに、)なにがなんだかわからないが、珍しく、本当に珍しく、外で酔っているらしい。
本当か? 俺をからかうために演技してるんじゃないか? なんて、何度も疑ったのだが。多分、恐らく、きっと、……〝マジ〟である。
その証拠に、先程から握られている俺の左手は開放される素振りを見せないし、触れる指から伝わる体温はいつもよりあからさまに高いし、いつも涼しげな目元は誰から見てもわかるほどゆるりと緩んでいる。
外から見えにくい席で良かった。こんなものをそこらのご婦人方に晒したら卒倒してしまう。……俺も卒倒しそう。
これが演技であってたまるか。
「あ、の……」
「うん」
「手……」
「うん?」
微笑むな! いや、いいんです、いいんですけど! 俺が静かにパニックを起こしている間にも、追い打ちをかけるかのように、握られた手の指がするりと絡められていく。きゅ、と力を入れられれば、小さくびくりと肩を跳ねさせてしまい、目の前の男からふ、と声がこぼれる。
恥ずかしいやら悔しいやら腹立たしいやらで、俺の耳はみるみるうちに赤くなる。二十歳超えた男の赤面なんて見ても楽しくないだろうに、先輩コノヤロウはなぜだか心底楽しそうに俺の顔を見つめている。
いや別にね、普段はもっとすごいあれやこれやをしている訳ですし、今更手を繋いだくらいで赤面するほどウブじゃないですよ、ええ。でも相手はあの外面完璧先輩であって、普段は外でこんなことはしない人であって、あの、その……アルコールのせい、ということにさせて欲しい。
いや、ほんとに、マジで。
「あのぉ~……」
「うん」
「そろそろ離してもらえたりは……」
「うん」
「だめだこりゃ」
「はは、ダメなの?」
やっと「うん」と「うん?」以外の言葉を吐いたかと思えば、握った左手を引き寄せられ、口元へと持っていかれる。
あ。
と思った時にはもう俺の指先に先輩の唇が触れていた。
ふに、と押し付けられただけの接触。だが、俺はとんでもない速度で自分の手を引っこ抜く。指先に残る他人の皮膚の感触が、じんじんと熱を帯び、痺れが広がっていく。その刺激が、感覚が、脳内を侵し尽くす前に、己の左手を守るように右手で覆い隠す。広がる感触を揉み消すように、何度も何度も自分の指を擦り合わせる。
なにしてくれやがるんですか、いやほんとにマジで。
数刻前から語彙力の低下が著しい。マジで同じことしか言ってない、マジで。それもこれも全部先輩が悪い。本当に、マジでなんなの。
「逃げちゃった」
「そりゃあ逃げますよ」
「どうして」
「どうして、って……」
どうしてもクソもない。わざわざ言う必要も無いくらい、分かりきった答えだ。
「ここ、外、ですし……」
「別に見えないよ」
「そういう問題じゃ……」
先輩はグラスに残るアルコールを口に含み、くっ、と飲み干してしまう。果たしてこの状態から更に酒を飲んでも大丈夫なのだろうか。
一周まわって心配になってくる。もしかして体調が悪かったんじゃないだろうか、とか、俺より先輩の方が激務なんだからそのまま直帰して休んでもらった方が良かったんじゃないか、とか。疲れが溜まっていたせいで悪酔いというやつをしているんじゃないか、なんてことをぐるぐると悩み始める。
しかし、そんなことを考える健気な後輩――つまり俺――をおいてけぼりにして、先輩の酔いはさらに進んでしまったようだ。
「I kn…… I d…… ……l …… this …… beca…… I'm al…… …… f…… …… y……, but you …… a lot …… me.」
「は」
耳に飛び込んできた日本語じゃない言語に素で焦る。
――あ、やばい、これ先輩マジの泥酔だ。
顔を見ればゆるゆるの目をして俺の事を真っ直ぐに見つめている。さも愛しげな眼差しを俺に向けてくる。早く口を閉じさせなければ、どんな言葉が飛び出てくるか分かったものではないというのに、俺の身体はロックでもかけられたかのように、かちんと固まってしまう。
「Of course, a…… a m…… of the 春組 and …… a lo……, you are th…… l…… of my l…….」
「いや、待て待て待て」
それなりにそれなりの能力を持っていなければ商社勤めなど出来ない。てか、多分就職すらできない。
俺は今猛烈に、英語を聞き取れてしまう己の脳みそを恨んだ。
意味が、分かってしまう。初めの方こそ急な言語チェンジに脳が追いつかなかったが、すぐに順応を始めてしまう。耳が、脳が、先輩の言うことを理解してしまう。
「 I usually can't say it, but today I feel like I can because I'm in a good mood. ……Will you listen to me?」
「ひ、ひぇ……」
もう息も絶え絶えである。どうしろと言うのか。
いや、嬉しくない訳では無いというかめちゃくちゃ嬉しいというか普段見られない貴重な先輩のデレはマジで嬉しいが英語という言語の性質のせいか普段とのギャップのせいかあまりにもストレートすぎるというか、いや、あの、どぅ……ぇ……
「Love you, Itaru.」
「 」
絶句。
殺してくれ。いや、もう既に死んでいる。
茅ヶ崎至、享年二十五歳、死因恥ずか死。
水を奪われた魚のように、何度か口をぱくぱくと動かす。当のご本人様はというと、普段言えないことを言えてご満悦とばかりに、ふわりと微笑んでいらっしゃる。酔っ払いは呑気でいいですね。お陰様で茅ヶ崎の心臓は大変なことになってますよ、ええ。
はくはくと何度か空気を吸い、何度も言葉を言いあぐねて、最終的に捻り出した言葉は、
「ありがとう、ござい、ます……デス」
「……はは」
茶化してやろうとか、反撃してやろうとか、いろんな、本当にいろんなことが頭の中を駆け巡ったが、結局一番伝えたいと思ったのは「嬉しい」ということだった。
嬉しい。嬉しいのだ。嬉しいより恥ずかしいの方がデカいけど、間違いなく嬉しかった。
いつもの軽口を言い合ったり、ちょっとした駆け引きめいた言葉の応酬だったり……。そういうので、別に俺は満足していた。それが先輩なりのコミュニケーションで、素直じゃない――素直になれない――先輩の精一杯の愛情表現だって思ってたから。
そんな先輩が、いつもは言えないようなことを、お酒と英語の力を借りてだけど、言ってくれた……そんなの、嬉しくないわけがない。
俺は当分、下手したら一生、先輩からのストレートな愛の言葉なんて聞けないと思ってたわけ。まあ? 俺のような一般人が踏み込めないような? 複雑な事情とやらが? あるようだし? なんて妄想をしながらさ、「だから俺がたくさん言えばいいよね」って思ってたわけ。別に言ってくれなくても態度でめちゃくちゃ示されてるし。
ああ、もう。急にデレるからほとんど記憶が飛んじゃったじゃないですか。せっかくなら一言一句まで覚えていたかったのに。
俺はようやく暴れ回る心臓を鎮めて、小さな声で先輩に告げる。
「俺も、……です」
「うん」
ここが外じゃなければ濃厚なキスのひとつでもするところなのに。先輩のアホ、ほんとに覚えとけよマジで。
口に出す気もさらさらない言葉を延々と心の中で唱えていれば、先輩の方もようやく少し酔いが覚めてきたようで。
「あー、……茅ヶ崎」
「……はい」
「………………水」
「……ふ、ふふ、はい」
珍しく、あーだかうーだかよく分からない声を上げながら、眼鏡を外して片手で目を覆ってしまう先輩。今日は何から何まで珍しい尽くしだ。あの、そう、あの! いつでもどこでもクールガイな先輩が、どうやら照れているらしい。
人間とは面白い生き物で、目の前に自分より緊張している奴が居れば自分の緊張は解けるし、自分より照れている奴が居れば自分の照れは引くらしい。
水の入ったグラスを差し出すと、ようやく目を覆っていた手を離す先輩。俺からグラスを受け取り、きまり悪そうにちびちびと水を飲む姿がまたおかしい。おかしいというか……可愛い。
「…………酔っちゃった」
「ふはっ……帰りたくない?」
「ううん、今すぐ帰りたい」
「ぶふっ……逆に、積極的ですね……ふ、はは」
ようやく少しだけいつものペースに戻ってくる。お互い真っ赤な顔をして、傍から見れば立派な酔っ払い×2だ。
「明日大雪降ったら先輩のせいですよ」
「雹も降るかも」
「うへえ、勘弁」
くすりとお互い笑い合う。
さあて、酔っちゃった千景ちゃんをきちんと寮までお持ち帰りしないとな。(実質お持ち帰りされてるのは俺の方だけど)
なんて、内心一人ツッコミをかましながら、久方ぶりの恋人とのサシ飲みを終えたのであった。
ちゃんちゃん。
◆◆◆
「おはよう」
「…………おはようございます」
茅ヶ崎の視線がベッドの上から降り注ぐ。何か言いたげな空気を醸し出している。
俺はチェアから見上げて水を向けてやる。
「なにかな」
「いえ別に」
「別にって感じには見えないけど」
「…………」
茅ヶ崎は大変不満そうな目でこちらを見てくる。「ジト目」のお手本のような顔だ。
「……先輩はなんにもなかった、みたいな顔してますけど、俺は覚えてますからね」
なるほど。俺が昨日の今日で平然としていたのがお気に召さなかったらしい。どう考えたっていつまでも照れてるような人間じゃないってわかってるだろうに。
「茅ヶ崎」
「茅ヶ崎は二度寝モードに入りました」
覗いていた顔は引っ込んでいる。どうやらすっぽりと布団を被ってしまったようだ。大方自分で言って恥ずかしくなったのだろう。
忙しない奴だ。
だが、俺は茅ヶ崎のいじらしさを感じて、どうにも構ってやりたくて仕方がなくなってしまった。
それこそ昨日の今日なのだから、「たまには言ってください」とか「普段からもう少し素直に」とか、いくらでも要求することはできるだろうに。こいつが言ったのは「俺は覚えてる」という宣言だけだ。
俺に求めてこないのは俺のせいだし、こいつの物分りの良さのせいでもあるだろう。だが、それでも、忘れてやらないと言った茅ヶ崎が、無性にいじらしく感じたのだ。
俺は梯子に足をかけ、茅ヶ崎の方のベッドへと上がる。
ぺろりと布団をめくるが、特に抵抗はない。抵抗はないが、背中をこちらに向け、二度寝モードとやらを継続しているようだ。
「茅ヶ崎」
「……ぐぅ」
「ふ」
支配人でももう少しマシな狸寝入りができるだろう。
後ろから見える真っ赤な耳に唇を寄せる。
「 」
「うひゃあ」
耳を抑えて跳ね起きる茅ヶ崎。あんまり暴れると天井に頭ぶつけるぞ。
「な、な、は、」
「別に、なかったことになんかしないよ」
意味を成さない音を吐き出す茅ヶ崎に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。
どんな表情を浮かべるか少し悩む。悩んで、困ったように眉を下げ、気の抜けた笑みをこぼす。
「ちょっと恥ずかしいけどね」
「……せ」
「せ?」
「先輩はズルい!!!」
「ははは」
キッ、と睨む顔さえ可愛いのだ。間違いなく重症なのはこちらの方だろう。
耳を押さえたまま壁際まで後ずさった茅ヶ崎を追って、ベッドの上へと侵入する。ぎし、と音をさせながら近付き、茅ヶ崎を囲い込む。
「ズルい俺も好きでしょ?」
「…………いっそ殺してくれ」
「あはは」
唇に触れるだけのキスをして、茅ヶ崎を抱えながら布団に倒れ込む。俺は一体いつからこんなにバカになったんだろうか。
珍しく定時に上がれて、珍しく浮かれて、珍しく酔っ払って、珍しく素直になった、そんな珍しい日の次の日に、珍しくバカになってみるのも、悪くはないかなって、思ったんだ。
それだけ。
『いつもからかってばっかりであんまり伝えられてないけど、俺はお前のことをすごく大事に思ってるよ』
『もちろん春組の家族としてもそうだし、恋人として、最愛の人だと思ってる』
『普段は言えないけど、今日はなんだか気分がいいから言えそうなんだ。聞いてくれる?』
『Love you, Itaru.』