愛しい人への溢れる気持ちを手紙に綴ったら、便箋30枚もの超大作になった。
「というわけで。先生、添削お願いします」
「えっ、どういうわけ???」
小さな指導室で、国語科を専門とする女性教師はぽかんとした。
「真面目な君がラブレター書くぐらいだもの、応援したいけど……
えっ、でもこれ先生読んでいいやつ? このまま相手の子に渡したらだめなの?」
「や、こんな手紙をそのまま渡した日には、きっと『文章は長けりゃいいってもんじゃない、やり直し』って、すげなく突き返されると思うんです」
「……なかなかシビアな子に恋をしてるのね。わかったわ、それじゃあ失礼して……あっ」
「さっそくどうしました?」
「……この出だしの『あなたは僕にとっての女神であり、天使であり、大輪の薔薇であり、野に咲くたんぽぽであり……』、ああこれまだ続いてる!」
「はい、つかみは大事ですよね!」
「いやいやいやいや!要素をあれもこれも欲張りすぎよ、びっくりした」
「ええ……ここは相手の方の多方面にわたる魅力を表していて」
女性教師は頭を抱えた。
「どれかに絞りなさい……!」
◇
「疲れた……便箋30枚が奇跡的に5枚になった」
「ありがとうございます、先生!」
「まあ、でもこれで大丈夫。胸を張って渡してきなさいな」
「はい!……それでは。どうぞ」
男子生徒は、5枚の便箋を女性教師に差し出した。
「えっ?」
教師は、目を丸くした。
「先生、これが僕から先生への気持ちです。あれをそのまま渡してたら、『長すぎる』って言って読んでくれなかったでしょう?」
「……ええ、でしょうね」
「でもこの方法なら、短い手紙に収まりきらない溢れる気持ちも、もれなくぜーんぶ読んでもらえます! ね?」
『溢れる気持ち』
「は〜、ベッドふかふかで幸せ〜。ここが天国かな……」
「……吐かないでくださいよ先輩。それ、俺のベッドなんだから」
だいじょぶよぉ、なんて間の抜けた返事が返ってきて、こちらまで脱力した。
時の流れの力は偉大だ。彼氏に振られた直後は目に見えるほど落ち込んでいた先輩も、数週間も経つとずいぶん元気を取り戻したようだった。
そしてなぜか、相変わらず飲みに付き合わされ続ける俺。突き放した態度を取ったはずなのに。
「……ここ、一応男の部屋ですからね。わかってます?」
「……へーきだよ……だってきみは、わたしがいやがること、しないもんねぇ」
先輩はそう言うと、それが限界だったのか、すぅすぅと寝息を立てはじめた。
「……『嫌がること』、か」
本当にこの先輩は、図々しくて、無神経で。憎らしくてたまらない。
裏切ってやろうと思った。この先輩が勝手に『信頼』だと思い込んでいる何かを。
俺は、ベッドに無防備に寝転んでいる先輩に近づいた。そして。
先輩の頬に、そっと口づけた。
……今晩の俺には、それが限界だった。
『Kiss』
ネクタイ締めた大の男が、公園のブランコひとつ占領して夕飯を食う。
こんな迷惑行為を毎夕続けていたら、そのうち俺は、遠巻きにひそひそ『ブランコの妖精』なんて呼ばれていた。
「何とでも言いやがれ」
今日もブランコを軋ませながら、おにぎり片手に、背中丸めて携帯の画面に集中する。
すっかり日も暮れて、いつもなら公園に誰もいなくなる頃。
ふいに気配を感じて顔を上げると、俺の目の前に、よれよれの服を着たガキがひとり立っていた。
「うわ、びっくりした。何だお前」
「なあ、おっさん」
「おっさんじゃねぇ、まだ20代だ」
「やっぱりおっさんじゃん。おっさん『ブランコの妖精』なんだろ? おれに立ち漕ぎ教えてよ」
「いやいや、もう夜遅いから家に帰れよ。お母さんが待ってるだろ」
「かーちゃんならさっきまた仕事行った。なあ、教えてくれよ」
「……」
気まぐれだった。
運動神経にはそこそこ自信があるから、ガキにそれを自慢したかったというのもある。
その日から、こいつは毎晩遊びに来た。立ち漕ぎができるようになっても、何かと理由をつけてここに来続けた。
◇
ある日のことだった。
「なあおっさん、おれ、じいちゃんちに引っ越すことになった」
「……そうか」
「かーちゃん、もうかけもち? しなくていいんだって」
「そりゃよかったな。元気でやれよ」
それから別れ際、俺はこう付け加えた。
「俺みたいに、迷惑な大人にはなるなよ」
ガキは、にかっと笑った。
「やだね、おれもいつか『ブランコの妖精』になるんだ」
『ブランコ』
長い長い旅路の果てに、魔王城に辿り着いた。
「よく来たな、『勇者』」
書斎のような部屋の中で、豪奢な椅子に座っていたのは人間の男だった。
「……久しぶりだな、『魔王』」
世界中から『魔王』と呼ばれるその男は、俺のかつての友人だった。
深い悲しみに打ちひしがれて、男は『魔王』に成り果てた。
それをただ見ていただけの俺は、あのとき止められなかったくせに、今や『勇者』なんて担がれてこの場所に立っている。
「お前が来るのを、待っていたよ」
そう言って『魔王』は、そっと剣を差し出した。
「もう疲れたんだ」
「……」
『勇者』は静かに、『魔王』を討ち果たした。
◇
魔王城を出ると、空を分厚く覆っていた黒雲が晴れていくところだった。
こんなところでも花は咲くらしい。
ふと見ると、故郷に咲いていたものと同じ花が、静かに風に揺れていた。
『旅路の果てに』
オフィスビルの広いエントランス。ソファが想像よりふかふかで、気持ちがよかった。
天井が高いなー、なんて考えながらぼんやり待っていると、向こうのエレベーターから降りてくる父の姿が見えた。
「はい、お弁当。もう忘れないでよ」
父に、母お手製のお弁当が入った袋を手渡す。これでわたしの仕事は終わり。
「おう、悪かったなぁ。……というかお前、今日学校は?」
「休んだよ。お父さんにお弁当届けたくって」
もちろん、嘘だ。
今朝は、どうしてもだめだった。
学校に行こうとすると、胃がぎりぎりと痛んで吐き気がした。
原因はよくわかっている。だけど、家族には絶対相談したくない。
父は一瞬何か言おうとしたように見えた。
けれども、その言葉は飲み込んだのか、いきなりわたしの髪をくしゃっと撫でた。
「そうか。お前が届けてくれるなら、またお弁当忘れようかな」
「……やめてよ、めんどくさい」
その手は鬱陶しくて、とてもあたたかかった。
『あなたに届けたい』