「わたし、『美しい』って言葉が、大っっっ嫌いなの」
午前6時。
まだ夜の闇が続いている。
キャンプに来た僕らは、湖畔のほとりにキャンピングカーを停めて、ベンチに座りコーヒー片手に語らっていた。
「へぇ、それはどうして?」
「だって、『美しい』があるなら、その対には必ず『醜い』があるじゃない。
わたしは、どちらかというと『醜い』側の人間だったから……」
「そんなことないよ」
「……あなたは私の味方でいてくれるからそう言ってくれるだけ。……とにかく、そんな対比がどうしても生まれてしまう『美しい』って言葉が、どうしてもだめなの」
「そっか」
空が、白みはじめた。
湖畔の水平線から、朝日が顔を出さんとしている。
水平線近くの空は燃えるような曙色に光って、その曙色を溶かすように、天に向かって空色とのグラデーションが広がっている。
「……わぁ」
彼女は、その壮大な光景に見惚れていた。
もちろん僕もそうだ。
『美しい』
退屈だったので、箱庭を作った。
土台に土を敷き詰めて、植物を植え、水を流し、温度調整のライトも設置し準備は万端。
最後の仕上げに、たくさんの生き物を作って箱庭に放った。もちろん、人に似せた生き物たちも忘れない。
しばらく観察していると、生き物たちはおのおの好き勝手に行動を始めた。
人に似せた生き物たちは、複数体が集まり、コミュニティのようなものを形成する。
「やっぱりそうなるかぁ……おや?」
そこに一体、ほかとは違う行動をしている個体が見えた。
その個体、彼だか彼女だかは、何を思ったか、コミュニティを自ら飛び出したようだった。
そして川(のように流した水)を泳ぎ、山(のように積んだ土)を踏み越え、海(のように注いだ真水)を手製のボートで渡った。
まさに冒険。映画にも劣らない大スペクタクル。サイズは小さいけど。
その姿を固唾を飲んで見守っていると、彼だか彼女だかは、ついに。
箱庭のガラスケースの壁、つまりは『この世界の終わり』までたどり着いた。
さて、たどり着いた瞬間、彼だか彼女だかは、なんと叫んだだろうか。
「まさか、この世界は箱庭だったなんて……」
という絶望の声だったか。
それとも、
「ついに私は! この世界の端まで到達できたのだ!」
という歓喜の声だったか。
……結局声が小さくて聞こえなかったので、それは
『神のみぞ知る』
ということにしておこう。
『この世界は』
(※長い割にオチがありません)
「……どうして、私なんかを助けたんですか!?」
夕日に真っ赤に照らされた屋上で、私は、私よりずっと背の高いそのひとの顔を、睨め付けるように見上げた。
あと少しだった。
あともう少しで、この世界とお別れできるはずだったのに。
非難めいた問いをぶつける私に、彼は柔らかい声で答えた。
「……さあ、どうしてだろうね」
「え」
なんだそれは。私は愕然とした。
私の、たったひとつの地獄からの逃げ道を塞いでおいて。それは、あまりにも、あまりにも無責任ではないか。
「実はね、今、僕も自分でびっくりしてるんだ」
「?」
「僕も昔、君と同じことをしようとして、同じように止められたんだ。
それで、止めてくれた人に『どうして余計なことをしたのか』って、そりゃあもう、すごい剣幕で詰め寄った」
「……それで、なんて返ってきたんですか」
「……同じだよ。
『どうしてだろうねぇ』ってさ」
呆然として言葉も出ない私を見て、目の前の見知らぬ大人は少し苦笑いをして頭を掻いた。
「本当に、どうしてだろう。
ねぇ君、もし。もしよかったらなんだけど」
「なんですか」
「もしも。君が『助ける側』の立場に立ったなら、この『どうして』に答えてあげてくれないか?」
本当に、本当に無責任だ。
私は思わずその人の左頬を引っ叩いた。
そんな日が、もしも来るのなら。
『どうして』
『全人類が待ち望んだ夢の技術!!』
そのコピーとともに公表されたコールドスリープの技術は、瞬く間に世界中に広まった。
「今の時代、将来に不安を感じますよね? それならばいっそ、もっともっと未来に行ってみませんか? 未来の社会はきっと薔薇色!」
家電量販店で、銀色にテカテカ光るミニスカワンピースを着たお姉さんが、まるで冷蔵庫でも売るみたいにコールドスリープを勧める社会が到来した。
わたしは、200年コースを契約した。
『夢を見てたい』
「なああんた、ずっとこのままでいいって、本気で思ってんの?」
ひっきりなしに車が行き交う交差点。
その歩道に立つぼくに、少し離れたところに立つ彼女が、突然話しかけてきた。
その声は、女性にしては低く掠れていた。服装はライダースジャケットに細身のパンツ。肩まで伸ばした茶髪はぼさぼさだ。
「……えっ」
誰からも見向きもされない日々に慣れ過ぎていて、不意打ちに動揺した。
まさか、ぼくに話しかける人間がいるなんて。
返す言葉に迷っていると、彼女はしびれを切らしたように大股でこちらに寄ってきた。
「『えっ』、じゃないよ。あんただよあんた。目が合ってるだろ」
怖っ。ガラが悪すぎる。
逃げ出したいが、足がうまく動かない。
……足が。
「……足元を見てみなよ。これ全部あんたのためだぜ」
そこには、山ほど積まれた花束、お菓子、メッセージ。
「みんなあんたが大切だったんだな。
なあ、ずっとこのまま、ここにいるつもりかい?」
『ずっとこのまま』