記憶は幼稚園の頃から残っている。
いつものように、早くしないと先に行っちゃうわよ、と手を伸ばす君。
小学校の入学式に呼びに来たときも。
修学旅行のバスに向かうときも、君はいつも遅れる僕にそう言いながらも手を伸ばしてくれた。
高校の卒業式も、進路指導の相談のときも。
これからも、ずっとこんな関係が続けばいいと思っていた。そう願っていた。
いつだってそう、君は僕をおいていくことはなかった。
就職活動の説明会も……。
たまに変化系があったと思い出す。
早くしないと、他の人にもらわれちゃうわよ?
なんて、どっちの気持ちが先だったのかもわからないけれど、この関係がとても心地よくて、いつだって君の手を取り一緒に駆け出した。
言ってほしかった、最後まで。
でも、君は言わなかったね。
孫娘の声が、おばあちゃんはどこかと問いかける。
遠くに行ったんだよと答えて、空を見上げる。
──早く来たら、承知しませんよ
そんな声が聞こえた気がした。
君の目を見つめると、思い出すことがたくさんあるんだ。
初めて話しかけられた日は桜が舞い散る入学式の日だったね。新入生? 私もなんだ。同じクラスだったね、よろしく!
そんなふうに私達はすぐに友達になった。
夏の暑い日に木陰で涼みながらアイスを食べた日は、いつもとは違って随分とだらしない目をしてた。私だから見られてもいいや、って言ってたよね。
どんな思いで私が聞いてたと思う?
もう知ってるよね?
冬になって、クリスマスに一緒に遊ばないかって誘ったとき、喜んでくれた君の目の輝きが忘れられない。
翌年も同じように誘ったら、断られたときの衝撃はもっと鮮明に覚えているよ。
好きな人ができたってきいて、初めてあなたは私から目を逸らしたよね。
ぎこちなく、それでも送り出した私は頑張ったと思うよ。
高校を過ぎて、大学を卒業して、めでたくあなたがゴールインした。
その翌年にあなたは暴漢に襲われて視力を失った。なんてひどいめぐり合わせだろう。
それでも旦那さんはあなたを支えて一緒にいるんだから、あなたの人を見る目は正しかったんだよ。
私だって支える、友達として精一杯支えるよ。
私もあなたが好きだから。
あなたはきっとわからないだろうけど、私の気持ちは今も変わらないから。
命があっただけまし、と周りは言うけれど、私にとってそれは想定内だった。
暴漢に襲われたあの日に、両目をえぐり取られただけで済んだということで、私の中には確信がある。
犯人は今も私の隣で甲斐甲斐しく私に世話を焼いてくれている親友で、私の目論見通りになったのだと。
彼女が私に執着しているのは知っていた、私から目を逸らされることをひどく嫌がることを。
私も同じだった。
彼女から目を逸らしたくなかった。
あなたの目にずっと見つめられていたかった、あなたの目をずっと見つめていたかった。それなのに、あろうことか私は他の男に目を奪われてしまったのだ。
自分が許せなかった。
こんな目は、もういらなかった。
最大限親友を揺さぶって、誰にも見つからない事に及べる場所に誘導した。
都合のいいことに夫は目が見えなくなった私を軽々しく捨てるような人物ではなかった。もっとも、捨てられても問題はなかったが。
そうなっても彼女がそばにいてくれるだけだ。
あの日彼女は私を襲い、私の目をえぐりとった。
それを確かめはしないけれど、きっと捨てずにいるはずだ。
だから今、私の目は彼女の目だけを見つめているんだろう。
私の言うことを聞かなくなった目を、取り戻してくれてありがとう。
最近合うたびに、君はあいつの話ばかりする。
この前は遊園地に連れて行ってもらった、今度おしゃれなカフェテリアにいく、服が似合うと言ってくれた、一生懸命選んだかいがあった、って。
本当に、嬉しそうに笑う。
それを見ながら僕が平静を装っていると思っているんだろう、のろけてごめん、でも君にもすぐに良い人できるよ、私の自慢の幼馴染だもん、なんて笑う。
馬鹿だなぁ、と思う。
女子連中には話が流れてこないのか知らないけど、あいつは二股なんてお手の物、泣かせた女は数しれずで通ってるんだよなぁ……。
僕が言っても、きっと夢から醒めたりはしないんだろう。
だからまぁ、無難な対応をしてる。
何かあったときでも、変わらずそばにいられるように。
いいんだ、最初に選んでくれなくても。
今はこのままでいいからさ、何かあったら僕のところに来ておくれ。
やっぱ、この幼馴染は食いついてこないなぁ。
気はあると思うのに、全然私に言い寄ってこないんだ、草食系ってやつなのかな? 二人っきりのときに迫ってくりゃそれなりに相手してやんだけどな、嫌いじゃないし。
今の彼氏が浮気に二股の常習犯なんて私も知ってるけど、知ってれば知っているなりの付き合い方ってもんがある。
お互い都合よく距離をとってるだけなんだけど、多分こいつは私がそういうやつじゃないって信じ込んで疑いすらしないんだろう。
ごめんね、あんたみたいに純真じゃないんだよあたし。
でも、大事な幼馴染ってのは本当だから、あんたが夢から醒めるまでは、そういう幼馴染を演じておくよ。
……悪い女に騙されんなよ?
今夜はとびきりいい獲物が釣れて、気分は上々だった。
お気に入りの銘柄を開けて、楽しみながら料理をしよう。刺し身にするか、開きにするか、煮るのもいいなとあれこれ考えながら車を走らせる。
少し外れた穴場のスポットだから、道が悪い。
事故らないように気をつけないとと思ったら、目の前を見覚えのある影が通り過ぎて思わずブレーキを踏む。
すぐに通り過ぎていったのか、もう姿は見えなかった。
まだ居るんだなぁと思いつつ、改めて車を走らせる。
迷惑だよな、ほんと。
こんな道にいつまでも居着いているなんて、さっさと駆除でもされてしまえばいいのに。万が一事故ったらこんな山道で女一人は詰みなんだぞ。
後部座席でバタバタと跳ねる音がする、活きがいいのはいい事だ。座席から転げ落ちなければだが。
山奥の別荘にようやくたどり着いて、車を止める。
後部座席のドアを開くと、怯えきった瞳と目があった。
舌なめずりを一つ、いい女が釣れたと思ったんだろうが、相手が悪かったな?
さて、刺し身にするか、開きにするか、煮るのもいいが、……今日はたたきにしよう!
ああ、楽しみだ。
長く長く、楽しませておくれよ?
こんなに我慢していたから、もうこらえきれないよ。
幼い頃、母は通り魔に殺された。
犯人はついぞ見つからず、今も母を殺した誰かはどこかでのうのうと生きている。
それが許せなくて、私は探偵を目指した。
どんな事件も解決し、この世の不条理を許さぬために。
幸運にも才能があったのか、若くして名探偵とまで言われるようになり、私の周りで解決されない事件はなくなった。
犯人のわからない事件のたびに、呼び出されてそれを解決する。鑑識の地道な捜査は、証拠を探すためではなく確認するためになった。
一つ一つ、正していく。
そのたびに世界から不条理が減っていると感じていた。
ある夜道、後ろから刺された。
痛みに倒れながら見上げると、見覚えのある顔だった。
よく事件の相談をしてくる警視の部下だ……。
なぜ、と……呻くように口にすると、彼は涙をこぼしながら語るのだ。
自分たちはなんのためにいるのだと。
お前は一足飛ばしに犯人を指し示す、そこに至る道筋もなく、いつしか自分たちは必要なくなった。お前の推理に従うままに確認するだけの手足だ、と。
そんなつもりはないのに、いつしか私は君たちを踏みにじっていたのか?
お前は何も悪いことをしていない、それでもこのままだと俺たちはいらなくなる。
そう嗚咽混じりに言われて、何だそれはと思った。
同じ答えを求めるのに、どうして……。
意識が途絶えるまで考えても、答えは出なかった。
手錠をつけられた部下が連れて行かれた。
何でこんなことをしてしまったのか、わからないでもないが世の中ままならない。
あいつが探偵にならなければ、俺があいつを重用しなければ、部下はこんな事をせずに済んだのだろうか。
警視、そろそろ撤収しますと声をかけられて、俺はもう少しここを見ていくから先に戻れと部下たちを帰らせた。
……あのときもこの道だったな。
俺がお前を殺さなかったら、あいつは探偵にならずに、部下もお前の子供を殺さずに済んだのかな?