『夜の海』
そこでは波の音しか聞こえない。
黒い海から押し寄せてくる大きな音は少し怖くて、
私は家族の元を離れられなかった。
花火をしたんだ。
海に行った日の夜は必ず、砂浜で花火をした。
赤や緑の光が弾けて音を立てた。
しゅわぁぁぁ ぱちぱちぱち
波の音はいつの間にか怖くなくなっていた。
線香花火は最後の楽しみだった。
火の玉が砂浜に落ちるまでを見届けた。
それも終わって「さぁ帰ろう」という頃には、
辺りは火薬の匂いに包まれていた。
父と母が歩き出す。
姉がその後をついていく。
こんな時間でも車は道路を走っていた。
歩道には転々と街灯が置かれていた。
向かいの宿泊施設では窓から灯りが漏れていた。
私たちはこれから、あの明るい場所へと向かうのだ。
夜の海は寂しそうだった。
昼間の海とは違う顔をしていた。
砂浜に火薬の匂いを置いたまま、私は姉の後を追った。
海が背後から呼んでいた。
けれども決して振り返らなかった。
波の音は、やっぱり少しだけ恐ろしかったのだ。
『心の健康』
心の病って、存在するんだよ。
甘えでも弱さでもなくて病気なんだよ。
だから治せるし、改善できるし、対策できる。
それでも罹るときは罹るよね。
でもそれで終わりじゃないよ。
ちゃんと心の病にもお医者様はいるし、お薬はあるし、支えてくれる人も場所も存在してるよ。
今はもう、そういう時代なんだよ。
お医者様にもお薬にも、合う合わないがあると思う。
心の病ってちょっと治療法が多すぎるよね。
だからこそ自分に合ったものを見つけてほしい。
近くの病院行ってみたけど、カウンセリング受けてみたけど、全然駄目だった。合わなかった。嫌だった。
そこで諦めないで欲しい。
もし不調や問題を感じていて、それを改善したいと思っているのなら、他のところも受けてみて欲しい。
きっと貴方に合うところがあるはずだから。
『心の健康』というものに目を向けられてきてはいるけれど、どのような心の病気があり、どのような症状があり、どのような治療法があるのかをちゃんと知っている人はどれだけいるのだろうか。
向き合ってあげてね。
自分の心はもちろん、周りの人の心にも。
気づいてあげてね。守ってあげてね。
心の声を聴いてあげてね。
『明日、もし晴れたら』
明日、もし晴れたら、君に傘を返しに行こう。
電車に乗ってバスに乗って、君の元まで届けに行こう。
日傘をさして傘を持つ。
晴れているのに傘を持つ。
すれ違いざま幼子に、「なんで傘持ってるの?」と
指をさされたって気にしない。
今、私にはこの傘が、赤い糸のようにすら見えている。
これは君と私を繋いでくれる運命の傘なのだ。
小指で持つには少し重たいけれど、
その重みすら愛おしい。
『澄んだ瞳』
その瞳が欲しいと思った。
ガラス玉のように透き通っていて、
冬の夜空のようにしんとしていて、
朝露のように煌めいている、
その瞳が欲しいと思ったんだ。
綺麗にとって保存してあげたかったけど、
とってしまったらその輝きは消えてしまうのかな。
仕方がないから君のまま大切にしようと思う。
君のその澄んだ瞳が濁ることのないように、
ずっとそのまま僕のところにいてくれるように、
大切に大切に育ててあげよう。
見るもの全てを綺麗なものに変えてあげれば、
その瞳は綺麗なままだろうか?
良いだろう。やってやろう。
その瞳のためなら僕は何だってできてしまう。
汚いものも醜いものも、
君に相応しくないものは全部僕の手で退けてあげよう。
ほら、ごらん。
君のためだけに用意された綺麗な世界だよ。
ここで二人で暮らしていくんだ。
君の瞳を守るために。
………?
どうしてそんな目をするんだ。何がいけないんだ。
君の瞳を曇らせるのは、一体……。
ああ、そうか。そうだね。
汚いものがまだあったね。
『花咲いて』
花咲いて 花咲いて 萎んで枯れて
あの子が あの子が 泣いているの
「大丈夫 大丈夫」 頭を撫でて
慰めてあげようか
二畳半の王国 囚われのお姫様
羊枕の上で今日も眠るの
ラベンダーのお香焚いて 薄紅の頬に触れる
忌々しいその左目 僕に頂戴 ね
仄かに香るラーヘンデル
あたたかな大きな手のひら
愛しいあなた思い出して
瞳を開けるの 開くの 入るの 光
「 …!」
花咲いて 花咲いて 蝕んで育つ
あの子が あの子が 泣かないように
「大丈夫 大丈夫」 まぼろし撫でて
幸福を迎えようか
もう眠らなくていいよ
囚われなくていいよ
何処へでも自由にお行きなさい