冬山210

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『夜の海』

そこでは波の音しか聞こえない。
黒い海から押し寄せてくる大きな音は少し怖くて、
私は家族の元を離れられなかった。

花火をしたんだ。
海に行った日の夜は必ず、砂浜で花火をした。
赤や緑の光が弾けて音を立てた。
しゅわぁぁぁ ぱちぱちぱち
波の音はいつの間にか怖くなくなっていた。

線香花火は最後の楽しみだった。
火の玉が砂浜に落ちるまでを見届けた。
それも終わって「さぁ帰ろう」という頃には、
辺りは火薬の匂いに包まれていた。

父と母が歩き出す。
姉がその後をついていく。

こんな時間でも車は道路を走っていた。
歩道には転々と街灯が置かれていた。
向かいの宿泊施設では窓から灯りが漏れていた。
私たちはこれから、あの明るい場所へと向かうのだ。

夜の海は寂しそうだった。
昼間の海とは違う顔をしていた。
砂浜に火薬の匂いを置いたまま、私は姉の後を追った。

海が背後から呼んでいた。
けれども決して振り返らなかった。
波の音は、やっぱり少しだけ恐ろしかったのだ。

8/15/2022, 8:13:16 PM