お題『向かい合わせ』
正面に座る人物。それは、自分と瓜二つの見た目をしている。
もう何度もこうして向き合っているので、今更それに驚くことはない。
そして今日もまた、いつものように問いかける。
「ねぇ。俺は、どうしたらいい?」
問いかければ、彼はいつでも答えをくれる。
「もう辞めなよ。お前には合っていないよ」
仕事を続けるか辞めるか悩んだ時。彼が合っていないと言ったから、辞めることを選んだ。
「ねぇ。次はどうしたらいい?」
転職先を決められなくて、また彼に問いかけた。
「お前なら、こっちがいいよ」
そうすれば、向かいに座る彼がまた答えてくれる。
彼がそう言ったから、新しい職場をそこに決めた。
このやり取りを始めたのがいつからなのかは、分からない。思い返せばかなり幼い頃から、いつも彼に答えを求めていた気がする。
自分では、何も決められないから。
――どうしたらいい?どっちがいい?これは正しい?何をしよう?あれは綺麗?美しい?美味しい?好き?嫌い?
何もかもを、彼に聞いて、彼に決めてもらってきた。
だって、彼は正しいから。彼に決めてもらえば、何もかもが上手くいく。自分で決めるより、ずっといい。
だからまた、問いかける。
「ねぇ。俺は、どうしたらいい?」
いつものように微笑んで、答えをくれる。
「もう、終わりにしなよ」
「どうやって?」
「最期くらいは自分で。でも、そうだなぁ。綺麗な場所がいいよね」
彼がそう決めたなら、もう、終わりにしてしまおう。
その為に、綺麗な場所を探さなければ。
あの山は、綺麗?この川は?あそこは?ここは?
……海は、どうだろう?
「うん、いいんじゃない」
向かいに座る彼はいつものように、微笑んで答えた。
―END―
お題『やるせない気持ち』
神様に会ったことがある。
まだ幼い子どもの頃のことだ。同い年くらいの少年が、周りの大人たちから“神様”と呼ばれ、救いを求められていた。
自分の親もまた、そのなかの一人。
初対面の、自分の子どもと変わらない歳の子どもに悩みを相談するその姿は、今思えば滑稽だ。
けれど当時の自分は、そんな親を心から愛していたし、救われて欲しいと、救いたいと思っていた。
だから、相談室を出ていく親の背をすぐには追いかけずに見送って、彼を振り返り、問うた。
「俺も、神様になれる?」
彼は何も答えず、ただ微笑んだ。
あれからしばらくして、“神様”はいなくなってしまった。
噂では、“神様”を降りた彼の代わりの、新しい“神様”がいるらしい。けれど、そちらを訪ねる機会はなかったので、どんな人なのかは知らない。
とにかく、親の信じていた“神様”はもういない。
何かある度に救いを求め、何もなくても安心を求め、依存していたとも言える“神様”がいなくなった後は散々だった。
新たな依存先を求めては騙され、失敗し、また新しい依存先を探す繰り返し。
上手くいかないのは、当たり前だ。だって彼以外の誰も、“神様”なんて呼ばれるような存在ではなかったのだから。
だから自分が、“神様”になりたかった。
“神様”なら、きっと、出来ていたのだろう。あの人の願いを叶えることが。もういない、会いたい人に、会わせることが。
人の身では叶えられない、“神様”にしか叶えられない願い。
――それを叶えるために、俺は“神様”になりたかった。
白い花に囲まれ、埋もれていく親を見て、思う。
“神様”には、なれなかったけれど。せめてこの後、どこかで、再会できていますように、と。
―END―
お題『海へ』
何処へ行こうか。何処がいいだろう。
第一に、人目につかない場所がいい。誰もいない、誰にも見つからない場所。
それから、静かな場所がいい。あと、綺麗な場所だともっといい。
山はどうだろうか。昼間は駄目だが、夜ならきっと人目はない。静かだろうし、自然豊かで綺麗でもあると思う。
いや、でも虫がたくさん飛んでいるのは嫌かもしれない。
じゃあ、川はどうだろうか。
夜なら、川遊びをする人はいないはずだ。人がいなければ静かだし、自然に囲まれているが山よりは虫も少ない気がする。
……いや、でも、川では浅すぎる。流れが速く、水量の多い川でないと、意味がない。
どこかの屋上はどうだろう。
場所さえ選べば人通りはなく、静かな時間もあるだろう。
綺麗、かどうかは微妙なところだが、天気がいい日を選べば青空でも夜空でも綺麗に見えるだろう。
……何だかピンと来ない。屋上はやめにしようか。
他には、何処があるだろう。
もういっそ、自宅はどうだろうか。いや、やっぱり山で、川で……。
いくつかの候補を挙げ続けて、ようやく決まった。
海へ、行こう。海がいい。うん、海にしよう。
そうと決まれば、思い立ったが吉日。早速、夜の海へと繰り出した。
今日は朝から一日、いい天気だった。今も、空を見上げれば沢山の星が輝いていた。
自分以外誰もいない空間と、耳が痛くなるような静寂と、美しい星空。まさに求めていた状況だ。
ゆっくりと、海への一歩を踏み出した。
さく、さく、と。微かな足音が静寂のなかに浮かんでは消えていく。
――さく、さく。
一人しかいない筈のこの場所に、自分以外の足音を拾う。
――さく、さく。
足を止めても聞こえてくる足音の持ち主は、どこを探しても見当たらない。
――さく、さく。
自分を追い越して、海の中へと進んでいく。ある筈のない足跡までもが、見えた気がした。
この足跡を、知っている。
今までも多くの人が進んでいった、そして今から自分も辿る道だ。
――さく、さく。ぱしゃ、ぱしゃ。
砂浜は終わり、海の中へ。
あぁ、好い風が吹いてきた。
――ざわざわ、ぱしゃぱしゃ、ぽちゃん……
水面が揺れる。波紋が広がる。その正体を、知っている。
それは、この海の果てへ消えていった優しい人たちが隠した、涙の跡だ。
―END―
お題『裏返し』
「私はね、みんなに幸せになって欲しいの」
彼女と初めて出会った高校生の頃から、そんな理想を語っていたことを覚えている。
「みんなが幸せになれば、この国はきっと美しいと思うから」
そう語る彼女の表情は、いつもと変わらない優しい笑顔のまま。けれど真っ直ぐなその声色から、本気で、真剣に語っているのだと分かる。
――みんなが幸せに。
今思い返しても、そんなものは砂上の楼閣だと思うし、当時の自分も恐らくは同じ感想を抱いただろう。
でも、どんなに思い返しても、あの日の自分が彼女に返した言葉が思い出せなかった。
それから数年後。
彼女の理想に感化でもされたのか、自分は警察官の道を進んだ。
着実に経験を積んでいき、今、世間を騒がせた一つの大きな事件を任されている。
「幸せになりたい人、募集します、ね」
ある時期から巷で話題となったこのフレーズ。
始まりはSNSで、既に削除されたアカウントから発信されたものだ。
そしてどうやら、この募集に集まっただろう人々がその後、消息不明になったという。
話題になり始めた初期はまだ、彼らの消息不明とSNSの募集が確実に結び付いているとは言えない状況にあった。あくまで憶測、推測、もしかしたら、程度のニュアンスで、人々はこの二つをセット扱いした噂を広げていた。
そんな中、同じSNSで自殺志願者を募ったアカウントが、ラストチャンスと銘打ってこの応募に参加することを明かしたのだ。
――幸せになりにいってきます
この投稿を最後に、アカウントの更新は止まったまま。その人物は家族によって警察に行方不明届けが出され、現在まで見つかっていない。
見つかってはいないが、消息は掴めたと言っていいのかもしれない。
当の、募集アカウントから連絡があったのだ。
――想いを叶えて、彼女たちは幸せになりました。
不穏な噂を呼んだのは、“想いを叶えて”、この文章だ。
行方不明になった当人のアカウントを遡れば、そこには“辛い”“死にたい”と毎日のように綴られている。そもそも行方不明になったきっかけも、他の自殺志願者と共に幸せになりにいく、というものだ。
想像力豊かな世間の人々は、あっという間にストーリーを組み立てる。
想いを叶えて、というのは、自殺願望を叶えて、ということではないか。そうして幸せになったというのはつまり、そういうことだ、と。
この話が一気に広まったことにより、あのフレーズが俄に事件性を帯び、賛否両論様々な意見が飛び交った。
そうした事態を重く見た警察が調査に乗り出すに当たって、自分が担当を任された次第だ。
正直に警察としての捜査に進展はないが、一つだけ、心当たりがある。
「あいつ今、どうしてるかな」
幸せに。
思い出すのは、真剣に理想を語った彼女。忘れかけていたあの日の会話が、何故か鮮明に蘇る。
「私はね、みんなに幸せになって欲しいの」
将来の夢。進路希望。そんな話が担任からあった日の、いつもと変わらない帰り道。
どうする?もう決めた?何になりたいの?やりたいことはある?
いつもとは少し違う会話のなかで、彼女が語った理想だった。
「みんなが幸せになれば、この国はもっと美しいと思うから」
いつも通りの優しい笑顔で、けれど真っ直ぐなその瞳が真剣さを物語っている。
彼女は真剣に、本気で、その理想を叶えたいと思っているのだろうことは十分に伝わってきた。だが、それは砂上の楼閣だ。
「みんなで幸せには、なれないんじゃないかな」
だからつい、言ってしまった。
彼女の理想を、ただ肯定することだってできた筈なのに。
「幸せは平等じゃない。誰かが幸せなら、誰かは不幸になる。そういうバランスで出来てる世の中だと思うよ」
言ってから、しまった、と思った。ただ純粋に理想を語った人に、それを否定する言葉など掛けるものではなかったと。
「そっか。じゃあ、どうすればいいか考えないとね」
けれど彼女は気を悪くした様子もなく、笑顔のままで会話を続けた。
彼女はみんなが好きだから、こんな風に言われても、否定されても、怒らないし嫌いにもならない。
きっと、彼女にはいい意味の一番は存在しないのだろう。一番好きも、一番大切も作らない。だってみんなが好きだから。
その在り方に、ずっとモヤモヤしている。
ほんの少し前までは、あの日自分が彼女に返した言葉を思い出すことができなかった。
それなのに、事件の担当に決まり、あのフレーズを目にして。鮮明に記憶が蘇る。
幸せは平等ではない。なら、みんなで幸せになるにはどうしたらいいか、考える。
あれからきっと、考えて。彼女なりに、色々な方法を、考えて。ずっと、考え続けて。
「その答えが、これか」
別々の道に進んでも、頻繁ではなくとも連絡を取り合っていた彼女。自分が警察の道に進んだことも話していたし、彼女が理想を追い続けていることも知っていた。
だから、あのフレーズから始まる事件の話を聞いた時、証拠はないけれど、確信はあった。
あぁ、彼女だ。と。
そんなわけで今日、久しぶりに会わないかと連絡をして。今、彼女の自宅に招かれ、こうして二人で食事をしている。
「やっぱり気付いてた。だから呼んだんでしょう」
相変わらず、にこにこと穏やかな優しい笑顔で、彼女は語る。追いかけた理想の答えを。
まず、考えた。人は何故、不幸なのかを。
出した答えは、想いが叶わないから。
ああしたい、こうしたい。あれになりたい、これになりたい。……幸せに、なりたい。
叶わない想いが不幸なら、想いをなくしてあげればいい。でも生きている限り、想いは無限に湧いてくる。それならば、一度終わらせてやり直そう。
「今が駄目でも、次の世界でなら、幸せになれるかもしれないでしょう?」
あの頃と何も変わらない優しい口調で、優しい笑顔で。人を好きなまま、この方法に辿り着き、実行する。
優しい彼女のままで、犯罪者となったのだ。
「好きだよ。ずっと」
今更、彼女の言葉に返せるものなどなく。出てきたのは脈絡のない、ただずっと押し込めていた言葉。
「うん。知ってるよ」
けれどそんな言葉にも、彼女は笑顔を崩さなかった。
曖昧な返事も、予想通り。
「これから、お前の犯罪の証拠を探す俺は、嫌い?」
「ううん。ずっと好きよ」
長い付き合いだ。この“好き”が同じ意味じゃないことくらい分かる。
みんなが好きな人だから。特別なんて作らない。一番好きにはなってもらえない。なら、一番嫌いになって欲しかった。
幸せになりたい人を募集する。その影に彼女の存在を感じたから、事件を任されるように努力してきたのだ。
全ては彼女を追いかけるため。彼女を捕まえるため。
……嫌いを作らない彼女の、唯一嫌いな人になるために。
これは、裏返しの恋心。
だけどそれも、叶わない。
「お酒、飲まない?コープスリバイバー。作ってみたから、良かったら」
「じゃあ、いただくよ」
降りそうになった沈黙を破くように、柔らかな声がする。その提案に頷くと、彼女はキッチンへ向かっていった。
コープスリバイバー。死者を蘇らせるもの、とかそんな意味を持つお酒だ。
アルコール度数はかなり高いが、二人とも酒に強いので問題ないだろう。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
バリエーションに富んだこのカクテルだが、琥珀色の水面を見る限り、ブランデーをベースにしたものを作ってくれたのだろう。
お礼を言って、早速飲んでみる。
ブランデーとカルバドス、スイートベルモットが合わさった、ほろ苦くも甘い味わいで、とても美味しい。
再び向かいに座った彼女にそう伝えれば、良かったと笑う。
「そういえばこの前、お酒の本を読んだんだけどね。ちょうどそこにコープスリバイバーも載ってて……」
優しく柔らかな彼女の声が、次第に遠くなっていく。
お酒には強い筈だったのに、もう酔ったのだろうか。ここ最近忙しくしていたから、その影響かもしれない。
「立て続けのコープスリバイバー4杯は、死体を再び殺すだろうね、って。まぁ、4杯もいらないんだけど」
思考が鈍る。視界が霞む。グラスを持つ手の感覚も消え、急激に寒さを感じ始めた。全身が震えている気がする。血の気は引いて、唇が冷たい。
もう、何も、分からない。
「あのね、」
完全に机に伏せた彼に向かって、呟く。
もう絶対に聞こえない。それが分かっているからこそ言える言葉。
「好きだったよ、ずっと」
だから今日、連絡をくれた時から決めていた。
想いは叶えられないから。嫌いにはなれないから。
幸せになってもらうために。私は彼を、殺さなければ。
それはきっと、裏返しの愛情だった。
―END―
お題『鳥のように』
――いつか、自由に飛んでみたいね。
――あの鳥みたいに?
――うん。あの鳥みたいに。
いつか。自由に。
あの日見た、美しい鳥のように。
いつか。いつか、飛んで。
自由に。
気楽に。
軽やかに飛ぶ、あの鳥のように。
ここではないどこかへ、飛んでいけたら。
――ねぇ。いつか、一緒に飛んでくれる?
――うん。飛ぼうね。
――約束だよ。
いつか、一緒に。
並んで飛び立った、あの鳥のように。
いつか、飛ぼうね、と。
一緒に。
二人で。
楽しそうな、あの鳥のように。
もっと、優しい世界へ。
――ねぇ。せーの、だよ。
――うん。せーの、ね。
「「せーの」」
いつか、自由に。
いつか、一緒に。
飛べば飛べる、と。
ここではない、どこか。
ここよりもっと、優しい場所へ。
あの鳥のように。
この屋上から。
二人で、並んで。
「せーの」の合図で、手を……。
手を、離せば、飛べた。
屋上の、フェンスの外側。
二人、並んで。
「せーの」が合図。
一緒に。
約束。約束をした。約束だから。約束が……。
落ちていく。
落ちていく。
一人で。
約束したのに。
手を、離せなかったから。
今からでも、この手を。
手を、離して。
間に合わなくても。一緒に。
約束を。
いつか。いつか、自由に。
軽やかに。美しく。
あの鳥のように。
あの鳥のように、飛びたかった。
「せーの」で飛んで、落ちていく。
巣から落ちた、飛べない鳥のように。
もう、あの鳥のようには、なれなかった。
―END―